『あなたのブツが、ここに』 仁村紗和が届ける、忘れてはいけない大切な記憶
※NHKオンデマンドにて2025年7月28日まで配信
強くても弱くても、勝っても負けても、生き抜く権利は誰にでもある。
仁村紗和主演、夜ドラ『あなたのブツが、ここに』(制作・NHK大阪、NHK総合にて毎週月~木曜夜10時45分)が最終週を迎える。
■人生負け続けの主人公・亜子の運命が変わる
2020年10月、大阪・十三のキャバクラ「バベル」で働いていたバツイチシングルマザーの山崎亜子(仁村紗和)は、コロナ禍の煽りをモロにくらい仕事が激減。追い討ちをかけるように給付金詐欺に遭い、貯金が底をついてしまう。
二進も三進もいかなくなった亜子は、一人娘の咲妃(毎田暖乃)と暮らしていた高級マンションを引き払い、尼崎で母・美里(キムラ緑子)が営むお好み焼き屋「お月さん」に転がりこむ。
キャバクラの常連客だった「マルカ運輸」の社長・葛西(岡部たかし)の誘いで、最初は昼間だけ宅配ドライバーとして働き始める亜子だったが、先輩ドライバー・武田(津田健次郎)に「宅配なめんな」と激しく罵られ、仕事を辞めてしまう。
だが、ほどなくして「バベル」は休業。無職となった亜子は咲妃とキチンと向き合って話したことをきっかけに、もう一度マルカ運輸で働かせて欲しいと頭を下げ復帰する。そして、コロナなんてやり過ごせる、と心のどこかで思っていた自分の甘さを反省し、腹をくくってフルタイムで働くことを決意。一人前の宅配ドライバーとして少しずつ成長していく。
しかし、咲妃が転校先でひどいイジメを受けたり、別れた元夫・祐二(平埜生成)が突然亜子の前に現れたりと、ただでさえコロナで滅入っているところに降りかかるピンチの数々。果たして亜子はこの困難をどう切り抜けていくのか。自ら「負け続けてばかり」と振り返る彼女の人生だが、土壇場で大逆転はあるのか……。
■すべての登場人物が主人公。コロナ禍でもがく人々のリアル
このドラマでは、個人の力ではどうにもならない大きなうねりの中、自分自身の人生を見つめ直し、必死になって生き抜こうとする亜子の姿が胸を打つが、もう一人の主人公とも言えるのが、亜子が出会う人々である。
キャバクラの従業員、マルカ運輸の葛西社長、副社長で葛西の妻の聖子(山崎静代)、武田、ミネケンこと峯田(佐野晶哉)たち先輩・同僚ドライバーはもちろん、荷物を届けるために訪れる宅配先の人たちまで、亜子を取り巻く人物の描写が克明かつ秀逸なのだ。
初対面の時にブリーフ一丁で現れ亜子の度胆を抜き、会うたびにその風貌が変わっていく種田(徳井優)。毎回時間指定をしておきながらその時間には不在。遅れて届けるとストレスを発散するかのようにネチネチ小言を言ってくる関根(隅田美保)。
母からネグレクトを受けており、カップラーメンしか食べず栄養不足で倒れてしまう中学生・里奈(高橋真彩)。「お月さん」の常連客である黒澤(海原はるか)と井原(鳥川耕一)。亜子が働いていたキャバクラのナンバーワンだったが、コロナ禍の中で自ら命を絶ってしまったノア(柳美稀)。
それぞれに事情を抱え、それでも必死に前に進もうとうする彼らは、もはや一人一人が主人公と言っても良い。彼らとの関わり合いを通じ、亜子は働くこととは何か、生きることとは何かを考えていく。
そして何より、このドラマで一番のポイントは「宅配ドライバー」という職業だ。
ネットショッピングなどで普段、何気なく宅配サービスを利用している私たちだが、指定した日時通り滞りなく配送するために彼らが工夫し、苦労を重ねていることは、頭で理解できてもなかなか思いを巡らせることは難しい。だが、そんな宅配サービスの裏側を描いた本作を見て、物流の最終ランナーとして私たちの生活を支えてくれている彼らに改めて敬意を抱いた人も多いのではないだろうか。
■ひときわ輝きを放つ主演・仁村紗和の存在感
主人公の亜子を演じる仁村紗和は、1994年生まれの27歳。大阪で生まれ育った彼女は、ロケ地が尼崎ということもあり、このドラマの空気に実になじんでおり、主人公は彼女しかいない! と思わせるほどの適役である。
初の主演ドラマ『明日もきっと君に恋をする。』(2016年)ではタイムリープを繰り返す少女・ゆきを演じ、そのアンニュイかつミステリアスな表情が印象的だったが、ドラマがスタートする前に私が週刊SPA!で行なったインタビューでは、がむしゃらに生きる亜子は素の自分に近いと語っていた。その言葉通り、本作での彼女は実にのびのびイキイキとしている。
亜子の大事な一人娘・咲妃を演じる毎田暖乃は『妻、小学生になる。』での演技が話題になったが、このドラマでも抜群の演技力を発揮。かつて『おちょやん』で共演した仁村とのコンビネーションもばっちりで、二人の何気ないやり取りを見ているだけで気持ちが和んでくる。
いや、二人だけではなく、登場人物全員の演技から、人の心の持つ温かさがじわじわと伝わってくるのだ。主役からほんの1シーンだけのサブキャストまで、誰一人欠けても『あなブツ』は成立しないと言い切っても良い、まさに唯一無二のキャスティングと言えるだろう。
■コロナ禍を生き抜いた証として記憶に残したいドラマ
9月半ば、WHO(世界保健機構)のテドロス事務局長が「コロナの終わりが視野に入った」と発言、アメリカのバイデン大統領も「パンデミックは終わった」と見解を述べるなど、新たなステージへ向かい始めたと言える新型コロナウイルス。
この2年余りの厳しい状況のなか、幸いにして難を逃れた人もいれば、心と体に深い傷を負った人、不幸にも志半ばでこの世を去った人もいる。
もしかすると、いつの日かこの苦しみを、少しでも穏やかな気持ちで振り返れる時が訪れるかもしれない。しかし、悩み、戸惑い、もがき苦しみながら、理不尽な運命に立ち向かい、必死に生き抜いていた人たちの存在を決して忘れてはいけない。
テレビドラマは時代や社会を映し出す鏡であると私は思う。『あなたのブツが、ここに』はコロナ禍を懸命に生きた人たちの姿と、大切な記憶を届けてくれる作品なのだ。