『コタツがない家』最終回 小池栄子と愛すべき3人のダメ男たちよ永遠に
どんなに面倒くさいことばかりでも「家」に家族がいることは、それだけで幸福なことではないだろうか。
小池栄子主演、『コタツがない家』(日本テレビ系にて毎週水曜夜10時〜)が今夜、最終回を迎える。
■どこまでも自分勝手なダメ男たちに振り回される一家の大黒柱母
ウェディングプランナー会社「フェリシュラン」の社長で、自らもやり手のプランナーとしてメディアに露出している深堀万里江(小池)は、漫画家の夫・悠作(吉岡秀隆)と高校生の息子・順基(作間龍斗)と3人暮らし。
しかし、悠作は10年以上新作を描いておらず、リビングのソファーで夜遅くまでテレビゲームをするなどニート同然の生活を送って廃業寸前。順基も大学推薦の面接を控えているにもかかわらず、親に内緒で受けていたアイドルグループオーディションで一番最初に脱落するなど、自分の進むべき道を見失い気味だ。
そんなある日、警察から熟年離婚した万里江の父・達男(小林薫)が、栃木の山中を一人で歩いていたところを保護されたとの知らせが入る。心配した万里江は達男を引き取り、こうして女1人、男3人、ネコ1匹の新しい生活が始まる。
が、当然のごとく物語はそれだけで終わらない。
達男はしばらくしてからなんと投資詐欺に遭っていたことを告白、さらに放浪先の鬼怒川で知り合った女性とヨリを戻して一度は深堀家を出るも、結局フラれて戻ってくる。終始達男とソリが合わない悠作は意を決して漫画家廃業宣言をしたかと思えば、新作漫画のためだと言っていきなり万里江に離婚を切り出す。順基は大事な面接で面接官に挑発的な態度をとって自ら推薦を棒に振り、悠作の弟(豊本明長/東京03)が営む和菓子屋で修業を始める。
それぞれが次々と巻き起こす問題や勝手な行動に頭を抱えながらも、万里江は一家の大黒柱として健気に家族を、そして深堀家を支えていこうとするのだが……。
■ゴールデン連ドラ初主演の小池栄子を支える吉岡秀隆、小林薫、佐間龍斗の名演
2022年に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、北条政子役として堂々の演技を見せてくれた小池。ここに来て本作でゴールデンタイムの連続ドラマ初主演に起用されるなど、今、注目の俳優の一人であることは間違いない。深堀家の生計を一身に背負い、家族を支える母を健気に、そして立派に演じている。
そんな彼女が演じる万里江を悩ませる3人のダメ男たちを演じる俳優たちも、とても魅力的だ。
まず、悠作役の吉岡秀隆。往年のドラマファンには『北の国から』の黒板純、『Dr.コトー診療所』の五島健助が印象的だが、ぐうたらでのらりくらり、能書きだけは立派な悠作は実に小憎らしい。そこに「純」の面影はないと感じる人も多いかもしれないが、私は逆に「純」の姿がオーバーラップした。
『北の国から』での純は、子どもの頃に同級生のパソコン雑誌を盗んだり、不注意で丸太小屋を全焼させたり、上京先のガソリンスタンドで知り合ったタマ子(裕木奈江)を妊娠させたりするなど、実のところなかなかのダメ男だ。もちろん、人を傷つけることはもってのほかだが、ズルさやだらしなさを隠さない、その人間くささになぜか惹かれる悠作というキャラクターに吉岡が生命を吹き込んでいる。
また『深夜食堂』ではマスターとしてシブい演技を見せてくれた小林薫だが、鬼怒川の女にフラれて深堀家に戻ってきた時の神妙な演技には腹を抱えて笑った。順基を演じる作間龍斗も、大河ドラマ『どうする家康』で豊臣秀頼を演じるなど、俳優としてのポテンシャルを感じさせる。彼らが演じる三者三様のダメ男たちの存在が、このドラマの面白さを何倍にも増幅しているのだ。
脚本は生田斗真主演『俺の話は長い』で第38回向田邦子賞を受賞した金子茂樹。ほかにも『コントが始まる』『大河ドラマが生まれた日』など、丁寧な群像劇を書ける脚本家として、今後も期待がかかる。演出面では深堀家で揉め事が勃発するたびに鳴り響くゴングの音もユニークだ。
第9話で、ハンコまで捺した離婚届を破いて帰宅し、悠作に向かって「あなたの存在すべてが、私の生きるエネルギーなの」と言った万里江の姿はとても感動的だったが、その前に玄関先で真っ赤なマフラーを脱いで最後の戦いに挑む彼女の顔には、完全にアントニオ猪木が乗り移っていた。彼女が心からこのドラマを楽しんでいることがうかがえる名シーンだった。
■あらゆる「面倒くささ」こそが「生きる歓び」
実際のところ「家族」というものはとにかく騒々しく、なにかと面倒だ。
どうでもいいことで仕事や作業の邪魔をされたり、突然、予想もしてなかった行動でスケジュールの変更を余儀なくされたり……もちろん、自分が家族にそうしてしまうこともある。そんなふうに世の中の多くの家族が日々、慌てふためき、それでもなんとか1日を乗り切っているに違いない。
だが、一見、余計で無駄なことにも思える、日々積み重ねられていく大小さまざまな出来事こそが「家族」の醍醐味であり、気がつかないうちに心の拠りどころになっていないだろうか。面倒くささこそが生きる歓びなのだ。
本作でも、達男が深堀家に来てから家族の会話が明らかに増え、登場人物たちの声のトーンが1オクターブ上がったような気がする。バラバラで暗く陰気なムードに覆われていた家が息を吹き返し、揉め事だらけになったが明るさとにぎやかさも確実に生まれた。
昭和の時代「コタツ」は家族団らんのシンボルだった。だが、それも核家族化や価値観の多様化、ライフスタイルの変化によって遠い過去の記憶になりつつある。いや、もはや過去の遺物、単なるノスタルジーなのかもしれない。けれど、それでも「コタツ」という言葉に家族の温かみを感じてしまう。
たとえコタツがなくても心と体があたたまる“家”の出来事を描いた、令和の時代に生きる私たちの心に刺さった『コタツがない家』。最終回はぜひコタツでゆっくりくつろぐ深堀家の姿が見たい。