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梅宮アンナ、父の相続問題で怒涛の1年…今始めたこと

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
怒涛の1年を振り返り、自身の変化を語るアンナさん(撮影すべて:島田薫)

 俳優の梅宮辰夫さんが亡くなられて、12月12日でちょうど1年になります。大切にしていた家族はこの1年をどう過ごしてきたのでしょうか。約半世紀にわたり人生を共にしてきた妻のクラウディアさん、かわいくて仕方がなかった長女のアンナさん、孫の百々果さん。実は大変な1年を送っていました。新しいチャレンジを決意した、アンナさんへのロングインタビューです。

梅宮辰夫さんの一周忌を迎えますが、どんな1年でしたか?

 私、まだ1回も泣いてないんです…1回も泣いてないの。それだけやることが多かったんです。父が亡くなる1年前、透析を始めた頃から覚悟はできていました。あと、この1年は母を支えるのに必死で、本当に大変な1年でした。

 母は…泣いてばかりでした。母があれだけ泣き崩れて不安のどん底に突き落とされたのを見て、いかに梅宮辰夫がすごかったか、家族のためにどれだけのことをしてくれていたのか、亡くなって改めて分かることもありました。いつも「アンナ、アンナ」で、私に依存しているのかもと思うこともありましたけど(笑)、やはり偉大でしたよね。

 火葬場では母がごあいさつするはずだったのにできなくて、結局、私が代わって代表でやることになって、その日を境に梅宮家のことはすべて私がやらないといけなくなりました。もう誰に何を相談していいかも分からない。頼れるのは自分しかいませんでしたね。

 母については、半世紀以上一緒にいた相方にいなくなられると多分こうなるのかなと思います。もともと、父が「何もしなくていいから」と言って母と結婚しているんです。

 この言葉どおり、最後まで母にはほぼ何もさせませんでした。料理や子供のこと、犬の世話、電気・ガス・水道料金の支払いなどの細かいところまで、生活全般をすべて父がやっていました。母は掃除と洗濯はしてたかな。

 私には想像しかできないですけど、夫婦はお互い頼りあっているから夫婦なんですよね。父と母もそうでした。でも、私は、誰かと一緒にいる時は「好きだから」しかなくて。昔の恋愛も全部そうです。好きだからいるだけなの。だから頼りあうというのもなくて…。

 私は誰かと一緒にいるのが苦手で、自分のペースで電気を消したいし、テレビをつけたい。離婚した時も「私には結婚は合わないんだ」って思いました。全然1人でいいし、1人がいいし、離婚して18年間、1回も再婚しようと思ったことがないし、この先もそうだと思います。

梅宮さんが亡くなられてから、分かったことはありますか?

 父はとにかく几帳面な人でした。亡くなる直前、1週間くらい前までかな…ずっと何かを書いていたんです。私は終活に向けて何かをやっているんだと思っていたら、そうじゃなかった。「料理レシピ」を整理してまとめていたんです。雑誌の切り抜きをきれいに貼って、そこからアレンジしたもの、自分で考えたものなど数が半端じゃない。目次まで自分で作っていたのが何十冊もありました。

 あれを見ると、最後の最後までお料理に向き合っているのが、父にとっては安堵する時間だったんだと思えるんです。機会があったら本にしてあげたいって思う。父が最後までずっとやっていたことは何か形にしてあげたいと思って、誰かまとめてくれる人を探してます。

この1年間、何が大変でしたか?

 相続です。父が亡くなったのは12月12日。年が明けてすぐに、父の税理士さんのところに向かい、「何も分からないので、私がやるべきことを教えてください」とお願いしました。

 相続手続きは死亡時から10ヵ月間と、国で定められています。うちの場合、10月12日が最終期日でした。それがまあ~大変なわけですよ、いろんな書類が必要で。

 亡くなるとすぐに口座が凍結されるので、開ける作業をしなくてはならない。法定相続人をはっきりさせないといけない。その際、出生時から死亡時までの所在地を明確にしないといけないんです。

 母との結婚後は分かるんですけど、母と結婚する前にも、父は結婚していたんですね。母も結婚していたので、うちは再婚同士なんです。そうすると、相続に関わるから他に子供がいるかいないか、いれば認知しているかどうかをはっきりさせなくてはいけない。

 「え?パパ…他に子供いるのかな?もしかしたら私に兄弟いたりして」とか考えて、やっぱり不安に駆られるんですよ。いると聞いていたわけでもないけど、でもいるかもしれない。結婚も何回かしてたのかなとか、死んだ人の過去を暴くというか、親だからこそ嫌な作業でした。

結果はどうでしたか?

 結局、子供はいませんでした。でもそこからも大変で。父は満州生まれで引き揚げなんですが、私はその後、水戸(茨城)に行ったと思っていたんです。ところが水戸の役所はデジタル化されていないし、昔のことすぎて紙の書類も残ってなくて分からない。もう一生口座も開けられないと困り果てていたんですけど、「そういえば!前に(NHKの家族の歴史をたどる番組)『ファミリーヒストリー』に出ていたからNHKに聞けば分かるんじゃない?」と思い立ち、NHKまで聞きに行ったら「水戸じゃなくて会津若松(福島)ですよ」って言われて全部分かった。

 「パパ最高!よくぞ『ファミリーヒストリー』に出てくれてました」と思ったんですが、それぞれの土地に行かなきゃいけないし、役所にはトータルで50〜60回は行ったと思います。

期間はどれくらいかかったんですか?

 1月から始めて全部終わったのは8月です。ほぼ毎日フル稼働して8ヵ月。それでもまだよかったのは、梅宮辰夫という人がとてもシンプルに生きていたということです。架空の会社があるとか海外に物件があるとかいうわけでもなく、「梅宮辰夫」という名前だけで勝負していましたから。

 そして大事なのは法定相続人です。ここが明確にならない限り、財産分与はできない。結局、母のクラウディア、私、娘の百々果の3人だとはっきりしました。

 実は百々果は6年前に両親の養女になっているんです。当時、税理士さんから呼ばれて「このまま梅宮辰夫さんが亡くなると、アンナさんがとても大変な税金を払うことになりますけど大丈夫ですか?」と言われたんです。

 最初、何を言ってるのか分からなかったんですけど、私の娘の百々果を父の養女にすることにより、税金が軽減されると説明され、法と税の勉強をすることになりました。母はともかく、「アンナさんと百々果さんを姉妹にすればかなり軽減できる」ということだったんです。

 所有している家は松涛(東京・渋谷の高級住宅地)と真鶴(神奈川)。松涛の家の価格評価が半端なく高いので、このままだと払えなくて放棄しなくてはいけないことが考えられると言われ、親が建てた家もそのままもらえないのだと知りました。

自分の娘を妹にする決断は悩まれたのではないですか?

 一人っ子だったので、実は妹ができる感覚がうれしくて「姉妹か!」って感じでした。父も「百々果が子供ならうれしい」って言うし。母は「子供にしなくても」という感じでしたが、百々果に説明したら「TAXを無駄に払う必要はないよね。いいよ、別に気持ちが変わるわけじゃないから」ということで、6年前に手続きをして、娘が妹になったんです。

 離婚して百々果が小さい時は親にみてもらわないと仕事に行けないし、当時はそれを育児放棄とか言われて傷ついてメソメソしたこともありました。たしかに、1から10まであったら私は3か4しかできなかったけど、私たちには私たちなりの物差しがあってやっていたので。

 百々果とはこれまでも1つ1つ話し合って進めてきたし、今も「百々果」「ママ」と呼び合っていて、戸籍上のこと以外、気持ちは全然変わらないので、私たちにとってはよかったと思います。実際に松涛の家を売却した時、少なくとも私と百々果は救われました。

大変な日々だったんですね。

 やることも多かったけど、実は、父が亡くなって私も何かやらなきゃと思ったんです。娘に話したら、「ママはいつも言うことは大きいけど、形にしたことないよね」と言われて、背中を押されました。

 コロナで世の中が自粛になった時、芸能も停止した、人と会えない、でも今なら集中して何か作れる。ライフスタイルに合うものを作りたいとずっと言い続けてきたけど、チャンスとタイミング、世の中の空気感で「今だ!」と思えたんです。

 私は買い物はほとんどネットなんですけど、皆もより一層、家にいるわけだから、家で買い物できるように作ろうと決めました。

 この時期、春から夏にかけて作り始めるなら何がいいかと考えて、カシミヤのセーターとストールをサイトで販売することにしたんです。父の死後の手続きと同時進行で本当に休む暇がなかった。この1年、あまりニュースも見る暇がなくて、ヤフーニュースだけは朝起きてチェックしてましたけど(笑)。

カシミヤのお店を始めたんですか?

 はい、名前は「anmo closet(アンモクローゼット)」。明確なビジョンはありましたけど、3月に動き出して9ヵ月、12月15日から販売開始です!ブランド名はアンナと百々果の名前を合体させたものですが、2人で生活していた時には何でも一緒に使っていて、クローゼットももちろん一緒。私のクローゼットにあるようなものを作りたいと思って決めました。

 「アンモ」という響きも他にない感じで気に入ってます。ブランドのモデルは私です。イメージは大切なんだけど、私、結構、誤解されてて。夜な夜な高いワインを飲んでる“パリピ”みたいに思われてるけど、お酒飲まないですから(笑)。夜10時に寝て朝4時に起きてます。おばあちゃんみたいな生活です。

カシミヤだけだと季節が限定されませんか?

 第1弾はカシミヤですけど、今後はいろいろライフスタイルに合うものを作っていけたらと思ってます。安いものはたくさんあるけど、高級ブランドの何十万円というのもちょっと違う。いいものも安いものも知ってる人が欲しいものを作りたい。身につけると雰囲気が出るもの。

 誰もやってないことをやらないと意味がない。今回も決して安いものではないんです。でも、安い設定にしても売れないかもしれない。正直なところ、私もやりながらなんです。やってみないと分からない。チャレンジです。

将来的には百々果さんと一緒に仕事をするんですか?

 娘は今、大学1年生で、マーケティングを専攻しています。ビジネスを専攻しているので、仕事にもできる限り一緒に連れて行くんです。頭脳は娘、体を動かすのは私が得意なので、何かには携わってもらうと思います。数字が得意なので、お金のことはやってもらおうかなと思ってて。2人で補いあいながら一緒にできるといいな。

【インタビュー後記】

私がリポーターを始めた頃、ワイドショーの主役はアンナさんでした。毎日先輩リポーターが梅宮家に出かけていくのを見て、すごい世界だなと衝撃を受けたのを思い出します。久しぶりにお会いしたアンナさんはびっくりするほど変わらず、キラキラして前だけを見て走っています。素直で明るくて正直。梅宮辰夫さんの愛情が今も透けて見えるようでした。

■梅宮アンナ

1972年8月20日生まれ。東京都出身。父は俳優の故・梅宮辰夫さん、母はクラウディアさん。「JJ」の専属モデルをはじめ、数々の人気ファッション誌でモデルを務めてきた。2002年に長女・百々果さんを出産。今年12月に自身初のアパレルブランド「anmo closet」を立ち上げる。

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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