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20年前、スピードスターとともに甲子園の土を踏んだ高校球児が今も独立リーグでプレーし続けるワケ

阿佐智ベースボールジャーナリスト
甲子園出場から20年。今も現役を続ける井野口祐介選手(群馬ダイヤモンドペガサス)

 ちょうど20年前、2002年の夏の高校野球には、史上最多の4163校が地方大会に参加した。高校野球人口の減少が叫ばれていることを考えれば、ひとつのピークとなった大会だろう。高知代表の明徳義塾が初優勝を飾ったこの大会には、のちの「スピードスター」・西岡剛擁する大阪桐蔭が11年ぶり2度目の出場を果たし、今に続く黄金時代の幕を開けている。

 この大会に群馬県代表として初出場を果たした桐生市商のチームの主力打者として甲子園の舞台に立った井野口祐介は、現役選手としてプレーを続けている。

 日本に独立リーグが発足して17年。「夢を叶える場所であるとともに夢を諦める場所」と言われたこのリーグも、現在ではその選手の「夢」もプロ=NPBだけにとどまらず、多様化してきている。決して恵まれた環境ではないが、その中でプロとしてプレーを続けるのもその夢のかたちのひとつである。

 日本第2の独立リーグ・北信越ベースボールチャレンジリーグが4球団でリーグ戦をスタートさせたのは2007年のことだ。この時大学を卒業し、富山サンダーバーズのメンバーに名を連ねていた井野口は、リーグがルートインBCリーグと名を変えた今でも、生まれ故郷の球団・群馬ダイヤモンドペガサスでコーチの肩書をつけながらも、主力打者としてチームを牽引している。

あくまで「現役選手」。選手8割、コーチ1割

 西岡とは、昨シーズンまでライバル球団栃木ゴールデンブレーブスの主力選手として相まみえた。そのライバルは、選手としての肩書を残したまま、九州の独立リーグに新設された福岡北九州フェニックスの監督としてBCリーグから旅立っていったが、井野口は指導者としてのキャリアを歩み始めた同級生と自分を重ね合わせることはない。

「僕は、いや、監督、コーチになりたいというのはあまり思わないですね。今は、ちょっとコーチ業をかじってやっている感じです。フルコミットしたらまたちょっと面白さが出るのか分からないですけれども、選手のほうが面白いなと思っちゃうので、監督業なんかは全然興味ないですね」

 コーチは今シーズンで3年目になるという。

「初めてなったのは3年前ですね。それでいったん2020年に外れて、昨年からまた兼任というかたちです」

 コーチの肩書には当然報酬もついてくる。薄給の独立リーガーにとってはありがたい話のはずだが、井野口は意に介さない。

「選手専任かコーチ兼任かについて僕から要望を出すことはありません。球団から言われて、『そうですか』って(笑)。向こうにもお金や監督の意向などいろいろあるでしょうから」

 コーチに復帰してからも、本人の意識は選手寄りだという。いわく、「9割は選手」。コーチとしての仕事は、自分の空いた時間に後輩の面倒を見るくらいで、基本的には、作戦面やメンバー選びに参加することはない。

「器用じゃないので、今みたいに中途半端な立ち位置は結構難しいんですよ。コーチに意識がいくと、やっぱりそれこそ他の選手のこともしっかり見ないといけないじゃないですか。そうすると、試合中なんかは、いつのまにか自分の打順だったりとか。難しいですね」

 現在37歳。とくにいつまでプレーを続けるというのも頭にはないという。

「よく区切りの40歳までとか言われますけど、それも特に考えていないですね。数字にも興味はないです。やめたいと思ったらやめるし、クビと言われればクビだし」

独立リーガーという職業で家庭を支える

ユニフォームを脱げば、6歳と3歳ふたりの子供のパパだ。この春には、上の子の入学式にも足を運んだ。アメリカでも2シーズンプレーした経験のある井野口は、その影響だろうか、プロ野球選手である前にまず家庭人というスタンスだ。子供の学校行事には積極的に参加するつもりだという。

「授業参観にも行きますよ。今はコロナでダメですけど。公式戦とかだったらちょっと考えますけれども、練習やオープン戦なら休みをもらって行くつもりです。そっちの方が大事ですから」

 家族もプロ野球選手であるパパを観にスタンドにやって来る。

「今年はまだ1回、2回ですけど。やっぱり力みますね」

 現在打率は.224と振るわないものの、自慢の長打力は衰え知らずでリーグ3位タイの5本塁打を放っている。取材の日も、最後の打席でダメ押しのホームランを左中間に放った。

「ちょっと詰まったなと思ったんですけど、角度が良かったのか、風が後押ししてくれたのかスタンドまで届きましたね」

甲子園にも出場した地元のヒーローにスタンドのファンの反応も違う。彼が打席に立つとひときわ大きな拍手が送られるが、照れ屋の井野口は「気付かない」と笑う。

「まあ、長くやっているので知っている人は知っているかなとは思いますけれども」

プロ18年目を迎える今もBCリーグを代表するスラッガーだ。
プロ18年目を迎える今もBCリーグを代表するスラッガーだ。

年々広がる後輩とのギャップ

独立リーガーの在籍期間は平均すると2年未満。その中でプレーを続けていくということは、チームメイトとの年の差は年々開いていくということだ。群馬の場合、井野口のすぐ年下の選手とはひと回り違う。ジェネレーションギャップは当然生じるのだが、井野口はこれも肯定的に捉える。

「話が合わないこともありますよ。よくわからない言葉使ってたりしますよね(笑)。世代が違うのでそれは当然です。でも、普通だと10歳歳下の人と深く関わる機会があまりないと思うので、ちょうどいい機会だと思っていろんなことを聞いたりとかしています。そもそも僕は流行にも疎いので、そもそも同世代とも割と話が合わない。若い選手も多様化の時代なんで、自分が好きなものを見て聞いてとかですから、みんなの共通の話題とかは昔ほどないんじゃないですかね」

NPBの次にみる「夢」

 独立リーグ1年目から2年連続で打点王を獲得するなど、その突出した打力はNPBスカウトの目に早くから留まっていた。ドラフト指名手前まで行ったことも数度あったとは後から聞かされた。しかし、結局それもかなわず。日本でダメならと、5年目を終えた後、アメリカの独立リーグに新天地を求めた。その際、彼はこう言っていた。

「ここでは、日本でプレーしていた助っ人選手もプレーしています。彼ら以上の成績を残せば、『逆輸入』してくれるかもしれないでしょ。あるいはメジャーは無理でもメキシコあたりからは引きがくるかもしれない」

 アメリカで2シーズンプレーした後は、再び群馬に戻ってプレーしている。

「30歳ぐらいまではNPBに行けたら面白いなと思ってやっていたんですけれども、その後はそういう気持ちはないですね。なので、結構モチベーション維持は難しいです。数字に関しても興味ないと言いましたが、ここで何本、何割打っても何も起きないというのは自分で分かっているので。ただ、モチベーション維持のために、トータルというより今シーズンこのぐらい打ちたいなというのは設定します」

 それでもまだ、トップリーグでプレーするという「夢」は捨てきれていない。NPBという夢を断念した後は、ラテンアメリカに狙いを定めている。実際、2017年から2シーズンはオフにニカラグア、メキシコに渡った。

「メジャーリーガーも参加するパシフィコ(メキシカン・パシフィック・リーグ、メキシコウィンターリーグの最高レベルでカリビアンシリーズへの出場権をもつ)はちょっときついですけれども、メキシカンリーグだったらもしかしたらとか思います。以前、ベラクルスリーグという下部ウィンターリーグに参加したんですけど、そこではメキシカンリーグの普通かそれ以下ぐらいの選手がプレーしていましたから。ここでそれなりの成績を挙げてメキシカンリーグにトライしようと思っていたんです。成績も残せて、シーズン後のニカラグアでの国際シリーズのメンバーにも声がかかったんですけど、子供が生まれるので帰国したんです。今でも、あそこで残っていたらどうなっていたかなとかちょっと考えちゃいますね」

 20年前の甲子園球児の夢はまだ続いている。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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