常識や束縛から解放され自由になる。それは幸せに老いを全うするということ。『海辺のリア』
今回は公開中の『海辺のリア』から、主演の仲代達矢さんのインタビューをお届けしますー。
「仲代さん=リア王」と言えば、黒澤明監督の『乱』を思い出しますが、あれから30年たって再び演じる「リア王」は、ポワーンとした徘徊おじいちゃん。高齢化社会の縮図、みたいな話になっています。確かに、権力なくなった途端に息子たちに用済みにされるという「リア王」ってそういう話。でも仲代さんの中にうつろう表情を見ると、ホントにボケてるのか、ボケた演技で周囲の目をくらませてるのか、そこらへんにすごく含みが生まれるんですね~。さすが名優!と言ったら、いやいや名優とか言われるのが一番こまっちゃうんだよ~!なーんておっしゃる、実は素晴らしく気さくなお方。ということで、まずはこちらをどうぞ!
5分も続くラストの長台詞は圧巻でした。
セリフを覚えるのが苦手なんですよ、ほんとになんで役者になったのかと。
私は演劇と映画と二股かけてきましたが、演劇の場合は稽古に3か月かけるし、映画の場合でも、私が若い頃は、シナリオは2か月前には手元にありましたから。当時の撮影所では、セットに台本を絶対持ち込まなかった。先輩の三國連太郎さんとか、みんなそういう俳優さんばかりでしたから。『海辺のリア』では、小林政広さんが早めに書いてくれましたけど、まあ覚えるのは昔の10倍くらい時間がかかる(笑)。最後のシェイクスピアのセリフなんてずいぶん苦労しましたよ。
この作品で演じている役について教えてください。
主人公の桑畑兆吉は、認知症と疑われたことによって、今までの常識や束縛から解放されて、自由に歩き回っています。その幸せに老いを全うする姿を喜劇的に描くというのが、監督の狙いですけれどね。僕のひがみ根性もありますが(笑)、あんな末期高齢者がいっぱいいると困るだろうと思いますよ。認知症というと悲劇的に思えますが、そもそも人間は背中合わせの悲劇と喜劇を生きているんだろうと思います。私も長い間役者をやってますが、比較的、相対する要素が裏腹にある複雑な役が多くて。そういう役のほうが、単純な正義の味方よりやってて面白い。今でいう“イケメン俳優”なんて言われたことないですが、とても幸せな役者人生だと思います。
物語のベースはシェイクスピアの『リア王』です。84年に主演された黒澤明作品の『乱』も『リア王』をベースにした作品でしたね。
贅沢な話ですが、私は昔から前にやった作品と同じものをやりたくないんですね。『海辺のリア』を非常に楽しくやらせていただいたのは、ベースは『リア王』だとしても、初めて出合ったような作品だったからです。
30年の時を経て、何か演じる上での心持の違い、理解の違いなどはありますか?
『乱』は、すごい作り物でしょ?(笑)あの時は51歳で、仮面のような顔は4時間かけてメイキャップで作られていますから。黒澤明先生曰く、あの作品は悲劇であり、狂気のお話。私が演じた秀虎という男も戦国時代だから、相当ひどいことをしている。人間の欲望と争い、憎しみを、神の目線から描いた作品なんです。でも憤した末に狂気に陥った秀虎に対し、今回の桑畑兆吉という男は憤してはいないですね。
演じるうえで一番変わったのは、自分を客観的にみられるようになったことでしょうね。芝居の最中も、もう一人の仲代先生が“違う、そんな芝居じゃない”って言っていたりする。いい意味で丸くなってもいます。昔は「上手くやろう」とか「この映画を制したい」と思っていましたが、今はそういうのはどうでもいい。楽になっていますね。私は昔からぼんやりした子で、「モヤ」(モヤっとしてるの意味)と呼ばれていたんですが、その感じが出ているなというのはあります。
『乱』の現場で、何か印象に残っている出来事はありますか?
三ノ城落城の場面では、黒澤監督に「この階段で転んだら4億飛ぶぞ」って言われましてね。そりゃそうですよね、カメラは8台も回してるし、火をつけた城は燃え尽きちゃいますから。「稽古するか。しようよ」と言う黒澤さんに、「大丈夫です、私の足の親指には目がついてますから」ってね。黒澤組でご一緒した僕の戦友みたいなお姉さんがいるんですが、彼女はこう言われましたよ。仲代さんの良さは、演技が上手いとかいうより、度胸と色気よね、って。
ご自身をモデルにした認知症の疑いのある老人という役を演じることに、何かためらいのようなものはなかったのでしょうか。
まったくないです。俳優と監督は「ここはどうしたらいいか」と意見を交わすものですが、彼とは阿吽の呼吸というか、台本に書かれているから、その通りにやればいいという感覚です。私はとにかく動きますししゃべりますから、どうとでも撮ってくださいと。これまで一緒にやってきた監督でいえば、岡本喜八監督や五社英雄さんに“兄貴”という感じがしたのと似ていて、まあ弟みたいだよね。こういうと申し訳ないけど、僕の方がずっと年上だから。
小林政広監督の魅力はどんな部分ですか?
とかくわかりやすい作品を求められる環境の中では、シナリオライターも説明的なセリフや解説的な台本を書いたりするけれど、彼はテーマを口になんて出さないんですね。人と人との関係や短いセリフで表現して、最後の思いはお客さんにゆだねる。なかなか素敵な監督だな、いい出会いをしたなと思います。僕は昔からいい監督との出会いが多いんです。いい監督って必ず「前の作品と同じように演じないでくれ」っていうんですよ。だから僕は“何でも屋”になったの。岡本喜八監督なんて「黒澤さんの時は立派だったけど、柔らかくやって、モヤ自身でやって」って。そういうのは、俳優にとって幸せな季節だったと思います。
仲代さんをモデルに引退した84歳の主人公が描かれていますが、ご自身は引退を考えることなどあるのでしょうか。
いま84歳ですが、85歳まではどうにかやろうと思います。そこで引退とは言いませんよ、次にもしやったら嘘つくことになる。でも映画の主演なんて仕事はもう来ないだろうから、『海辺のリア』が最後じゃないですか?もちろん本心じゃありません(笑)。この年になると「今日も生きたら明日も頑張ろう」と、その連続です。それから自分のためも考えながらも、人のために。昔より人の気持ちがわかるのでね。そもそも我々役者の仕事は、それが基本なんです。一緒に演じる相手の演技を受けてどう出るか、ですから。
でもこれに気づいたのも50歳過ぎ。それまでは自分の芝居に一生懸命で、相手の芝居を受けることをなかなかできませんでしたが、大先輩の山田五十鈴さんには「台本をもらったら、まずは相手のセリフを覚えなさい」と教えられましたね。そうすると相手に反応した芝居ができるから。溝口健二さんなんて「今日はリハーサル中止、みんな反応して芝居してないから」って言うこともありましたね。特に映画の場合は、相手の話を聞いている、その顔つきも撮りますしね。
俳優の醍醐味はどんなところでしょうか。
スタントマンがいないから、昔の役者は結構ひどい目にあってるんですよ。冬に零下30度の川に飛び込むとかね。よく生き延びてると思います。落馬なんかも5回してますから。でもこれやればすごい絵になる!と思うと、怖さがなくなるんです。やっぱり変なんでしょうね。快感なんですよ。お客さんが喜び感動する「画」が作りたい、「あれどうやったの?」って言われるようなね。
最近の日本映画に対して、何か思うところはありますか?
私が俳優として過ごしてきたのは、テレビがなく、娯楽といえば映画だけという時代です。映画がどんどん儲かるから、東宝の黒澤明や松竹の小津安二郎といった各社エース監督は、時間とお金を好きなだけ使って自由奔放に作っていました。だから今の映画界って、実はよくわかんないんですよね。もちろん素晴らしいものを見逃しているのもあるのでしょうが、面白くないものもいっぱいあって。私がどうこう言える立場ではないですが、まあ80年も生きてきたのですから、そろそろ少し悪口を言ってもいいかなと(笑)。
『海辺のリア』公開中
(C)「海辺のリア」製作委員会