法制審は、なぜこの声を聞かないのか~可視化を巡って冤罪被害者たちは語る
取り調べの可視化(全課程の録音録画)などを巡る法制審議会特別部会の議論は、当初期待されていた冤罪防止の目的から、だいぶ遠いところでなされているように思えてならない。そんな中、取り調べの可視化を求める日本弁護士連合会主催の市民集会が7月31日に開かれ、足利事件の菅家利和さんら冤罪の被害者4人が、取り調べの実態を語り、全面的な可視化の必要性を訴えた。同じ日、「なくせ冤罪えんざい!市民評議会」(客野美喜子代表)が冤罪被害者らと共に法務省を訪れ、可視化などを検討している法制審議会特別部会に対し、全ての事件で取り調べの全過程を可視化するよう求める要望書を提出した。
事実でない調書でもサインしないと取り調べが終わらない
日弁連の集会では、逮捕・起訴されたものの裁判で無罪となった2つの事件と、裁判でも有罪とされて服役を余儀なくされ、再審でようやく冤罪を晴らした2事件が取り上げられ、それぞれの当事者が経験を語った。
看護師として働いていた北九州市の病院でお年寄りの爪のケアをしたことが虐待行為として傷害罪で逮捕・起訴され、福岡高裁判決で無罪が確定した上田里美さんは、寝たきり高齢者の爪の特徴とケアについて話しても、「全然聞いてくれなかった」という。いくら「爪を切った」と説明しても、「いや爪を剥いだんだ」と退けられた。事実を説明しても、「自分を正当化している」と拒絶された。刑事は「ここは反省する場だ」「心を裸にして謝罪しなさい」と繰り返し、「看護師としでではなく、人として答えろ」と迫った。上田さんは頭がすっかり混乱し、根負けして、「爪を剥いだ」という刑事の言葉を受け入れた。
「爪をケアして患者様がきれいになってすっきりした笑顔を見せてくれるが見るのが好きでうれしい」と話しても、調書には「爪がなくなっていく様子に異様な喜びを感じた」とか「爪を切って剥ぐことしか頭になかった」などと、虐待の動機として記述された。
検察官の調書でも、「爪を剥ぐことで現実の煩わしいことを忘れた」などと書かれた。上田さんは、もう自暴自棄になって、「いくらでもサインするのでいいように書いたらいいじゃないですか」と言うほどだった。それでも、「自分でしゃべれ」と言われたので、検事の誘導に従って、できるだけ求められる「正解」を探しながら答えるようになった。「まるで面接試験を受けているようだった」と上田さん。
「一番辛かったのは、患者様の家族が怒っている、と言われたこと。ご家族が怒っているのであれば、ご家族が納得するようなこと、処罰を受けないと世間も納得しない、と思うようになった」
取り調べの最後には、出来上がった調書を読み聞かされた。そこに書かれているのは、高齢の患者の爪を剥いではサディスティックな喜びを感じる冷酷な人間像だった。
「私って、そんなにひどい人間だったのかしら、と情けなくってどうしようもなかった。それでも、とにかくサインしないとコトが終わらないので泣く泣くサインをした」
メディアにも、大々的に「虐待看護師」として報じられた。
「逮捕される前、『朝ズバ』でみのもんたさんにケチョンケチョンに言われているのを見て、ひどい看護師としてレッテルを貼られたので、もう看護師はできないと思った」
誰も自分を信じてくれないのではないか。そんな孤独な状態な中で、弁護士はこまめに接見に来てくれた。だが、すっかり動揺していた上田さんは、この時点では証拠をまったく見せてもらえない弁護士に対して取り調べの状況を言葉でうまく説明できず、弁護士のアドバイスも生かすことができなかった。取調官からは弁護士の悪口も聞かされ、「初犯だからそんなに長い罪(刑罰)にはならないから」となぐさめられ、取り調べの間は、むしろ捜査官の方が信頼できるような気持ちにさえなった。
名ばかりの「任意」
鹿児島県警の警察官が選挙違反をでっち上げた志布志事件で、警部補から「踏み字」を強要された川畑幸夫さんは、「任意」の取り調べの実態を生々しく語った。連日朝から晩まで「お前は人間じゃない」などと怒鳴られ、「自白」を迫られた。取調官の前には水やお茶があるのに、川畑さんが頼んでも水も飲ませてもらえない。体調が悪くなってもなかなか病院に連れていってもらえない。やっとのことで病院に行き、医師からは「安静にしているように」と言われたのに、そのまま警察に連れて行かれた、という。
「踏み字」を強要されたのは、3日目の取り調べ。父や義父などの名前が書かれ「お父さんは、そういう息子に育てた覚えはない」「早くやさしいじいちゃんになってね」「元警察官の娘をそういう婿にやった覚えはない」など、家族からのメッセージのような文言を書いた3枚の紙を示され、「これを見て反省しろ」と言われた。
さらに1時間後、警部補は川畑さんの足首をつかんで、その紙を10回ほど踏まされた。その時の様子を、弁護士を川畑さん役に見立てて、再現してみせた。
選挙違反事件は全員が無罪になり、警部補は特別公務員暴行陵虐罪で懲役10月執行猶予3年の判決を受けたが、そこで踏み字は「少なくとも1回」と認定された。川畑さんは、「可視化がされていれば、自分の言うことが通ったのに…」と悔しさが募った。
「『任意』なんて名ばかり。任意の取り調べの段階から全課程の可視化が必要だ」と強調した。
菅家さんは、朝早く、突然警察官の訪問を受け、警察署に連れて行かれた。形の上では「任意同行」だったが、「任意も強制も分からなかった」菅家さんは、拒むことはできなかった。密室の取り調べで、「自白」に追い込まれた。
取り調べでは、机の下で足を蹴られた。
「(最初の取り調べからすべてを録音録画する全面可視化だけではなく)頭から足もとまでを全面可視化して欲しい」と菅家さん。
机をバーンと叩かれるなど、威迫的な取り調べが「とても怖かった。道を教えてくれる交番のお巡りさんはやさしいが、取調室の警察官は怖い。びっくりした」と語る。
自分自身は身に覚えもないので、認めれば無期懲役や死刑の可能性がある、というのも、頭に浮かばなかった。「裁判官は分かってくれると思っていたのに…」と、無実の訴えを聞き入れず、調書を信用して有罪判決を出した裁判所に対する不信感もにじませた。
実況見分や自筆見取り図の真相
富山県氷見市で起きた強姦・同未遂事件で実刑判決を受け、服役が終わった後に真犯人が自白して無実が明らかになった柳原浩さんも、「任意」の段階で自白に追い込まれた。取り調べは朝から深夜まで続き、「お前の姉さんも、間違いないと言っている」と言われて家族からも見放されているのか…と衝撃を受けた。亡くなった母親の写真を示され「母さんが泣いているぞ」と言われ、「もう何を言ってもダメだ」と絶望的な気持ちになって、「はい」と一言。その直後に逮捕された。
逮捕されて一番衝撃的だったのは、勾留の手続きで検察官と裁判官に否認した後の時のこと。警察署に戻ると、警察官は「なんてことを言うんだ。この野郎。バカ野郎」と叫びながら、机を思い切り叩いた。逆らったら何をされるか分からない、という恐怖感で震え上がった。
以後の柳原さんは、警察官の言うなりに行動した。
実況見分で車に乗せられ、被害者宅を案内するように告げられた。行ったことがないので分からない。それでも、警察官に「どこを曲がるのか」「まだか」と聞かれたびに、「ここで曲がるのかな」と思い、「右に曲がってください」とか「左です」など答えた。当然のことながら、いつまで経っても着かない。適当に「ここです」と言ったら、「ここは空き家だぞ」と怒られた。そのうち、しびれを切らした警察官が、一軒の家の前に連れて行ってくれた。そこで、こう指示された。
「被害者の家を指させ」
周囲を見回しても、民家はその一軒だけ。柳原さんがその家を指さしたところを、写真に撮られた。その後、玄関の前まで連れていかれ、「よく中を見ろ」と命じられた。よくよく中の様子を見た。すると、警察署に戻ってから白紙を渡され、被害者宅の見取り図を書くように求められた。
こうして作成された見取り図が、調書に添付された。
もう一件の事件でも、柳原さんは被害者宅の見取り図を書かされている。この時は、先に鉛筆で下書きを描かれており、柳原さんはその上をボールペンでなぞればいいようになっていた、という。
さらに、犯人が履いていたとされる星のマークが入った靴の絵を描くように求められた時には、「つま先に星のマークが入っている靴はないだろう」と思い、横に星を入れた靴の絵を描いた。
柳原さんは「逆らったら酷い目に遭わされるのではないかと怖くて、『描けません』と言えなかった」という。
そんな代物でも、本人が描いて、自筆で説明を入れたり署名もしている図面は、いかにも本人が「任意」に作成に応じたような印象を裁判官に与え、そうした図面が添付された調書に書かれたことは、本人が自分の記憶に基づいて語ったことだと容易に信じてしまうのだろう。
法制審特別部会幹事で、早くから取り調べの可視化を求めてきた小坂井久弁護士は、「日本独特のことだが、取り調べが『懺悔の場』となっている。悔悟させることが取り調べの機能だと公然と言う学者もいる」と指摘。可視化の要求が全く無視されていた時代に比べれば、論議は「遅々として進んでいる」ものの、法制審の議論は全事件全面可視化からははるか遠い。小坂井弁護士によれば、爪ケア事件(傷害罪)や志布志事件(公選法違反)などは、「現時点では、法制審の議論の対象になっていない」という。
「私たちの声を聞いて」と冤罪被害者たち
法制審議会の特別部会は、厚労省局長だった村木厚子さんが逮捕・起訴され、検察官が証拠改ざんまでやっていた事件をきっかけに作られた検察の在り方検討会議の提言を経て作られた。可視化の法制化についてもここで議論されているが、1月末に発表された「基本構想」では、1)裁判員裁判などごく一部の事件に限って全課程の録音・録画を行う 2)録音・録画は取調官の裁量に任せるーという2案が示され、冤罪防止を訴えている人たちを大いに落胆させた。同部会では、通信傍受や会話傍受、司法取引など捜査手法の拡大についても議論されている。冤罪被害者の話は、志布志事件で長期間身柄拘束された県会議員に一度、それもごく短時間のヒアリングをしただけだ。
6月に結成された市民団体「なくせ冤罪えんざい!市民評議会」が法制審に提出した要請書は、厚労省事件での反省を踏まえて適正な司法の実現を目指して設立されたと思っていた法制審特別部会の議論が、「警察、検察、裁判所など各出身母体の権限の温存や拡大を第一義的モチベーションとする意見の応酬」になっていることに対する失望感を表明。冤罪被害者の声を聞き取りを行い、これまでの議論を見直すように求めた。
合わせて、再審無罪が確定した東電OL事件のゴビンダさんや布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さんら冤罪当事者ら8人も要望書を提出。全面可視化や検察官の手持ち証拠全ての開示を求めるその要望書にも、法制審に対する落胆が記されている。
〈冤罪を体験した私たちは、「取調べの全面可視化」こそ、冤罪を防ぐ第一歩として、この審議に期待し、結果を楽しみにしておりました。ところが、なにがどうなりましたのか、いつの間にか論点がすり替わり、「捜査手段の補強が前提である」かのごとき論議になったり、中間報告では「取調官の判断で可視化を行う」ごとき内容になったりしているのを知りました。全く理解できない変転です。〉
冤罪の被害者たちは、「冤罪を作ってきた警察や検察の代表者」や「御用学者」を多数入れた特別部会の構成に納得できない、と述べ、「そのような人たちの話ではなくて、なぜ私たちのような体験者の話は聞かないのでしょうか」と訴えている。