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佐々木勇気八段、決勝の名局を制してNHK杯初優勝! 藤井聡太八冠、年間最高勝率記録の更新ならず

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 3月17日。第73回NHK杯将棋トーナメント決勝▲佐々木勇気八段-△藤井聡太NHK杯(八冠)戦が放映されました(収録日は2月12日)。棋譜は公式ページで公開されています。

 結果は169手で佐々木八段が勝利。昨年決勝の雪辱を果たして、NHK杯初優勝を飾りました。

 藤井NHK杯選手権者は、2年連続優勝はなりませんでした。

 藤井八冠はNHK杯決勝放映日におこなわれた棋王戦五番勝負第4局で伊藤匠七段に勝ち、棋王位防衛を果たしています。

 藤井八冠は2023年度の全対局を終え、最終勝率は0.852(46勝8敗1持将棋)。歴代2位の記録となりました。

 結果的にはNHK杯決勝での敗戦が響き、中原誠五段(現16世名人)が1967年度に記録した勝率0.855(47勝8敗)を抜くことはできませんでした。

 改めて言うまでもありませんが、タイトル戦で八冠を制し、トーナメント制の4棋戦ですべて決勝に進出し、ほとんどトップクラスの棋士を相手にして、この成績は驚異的です。最高記録更新はならずとも、将棋史に残る偉業を達成したというべきでしょう。

2年連続同一カード

 決勝戦開始前、藤井NHK杯と佐々木八段はここまでの過程を振り返りつつ、次のように述べています。

藤井NHK杯「いよいよ決勝戦ということで、大変緊張しています」「今期もなるべく終盤に考慮時間を残すということを意識していて。実際にそれができた対局が多かったので。その点もよかったかなというふうに思っています。どれも難しい将棋だったんですけれど。一局あげると、3回戦の久保九段との一局は、中盤からかなり激しい展開になったんですが。その中でバランスをとって戦っていくことができたかなと思っています」「佐々木八段とは2年連続の対局になりますけど、去年以上に面白い将棋を指せるようにがんばりたいと思います」

佐々木八段「自分の中の1回戦(2回戦の服部慎一郎六段戦)を勝つことを、まずは意識していて。徐々に勝ち上がるにつれて、決勝の舞台に上がりたいなっていう気持ちが強くなってきました」「4人の対戦中、3人の方が歳下の若手ということで。かなり大変な試合が続いたんですけれど。なんとかその勢いに押されず、勝ち上がれたかなと思います。佐藤天彦九段戦は印象に残っていて。右四間と左美濃を組み合わせた戦法で戦ったんですけど。私にとってはそれが初めて採用したので、はい、印象に残ってます」「藤井NHK杯と対局できる貴重な機会ですので、自分の全力を出し切りたいという気持ちと、相手を意識しすぎず、ぶつかっていけたらいいなと思います」

現代最先端の戦い

 振り駒の結果、前期と同じく、先手は佐々木八段に。前期は相掛かりで、今期は角換わりに進みました。

佐々木「角換わりのテーマ図を今日はぶつけたいなと思って、研究してきました」

 実戦経験、研究準備ともに十二分の両者の手はすらすらと進み、腰掛銀にかまえたあと、銀矢倉にスイッチし、そして戦いが始まりました。

 解説はNHK杯優勝11回を誇る、名誉NHK杯選手権者・羽生善治九段が務めました。

羽生「特にこの2人は最先端の形を究めているということもあるので。本当に詰みのところまで研究している形もたくさんあると思いますね」

 互いに桂を中段に跳ね出したあと、佐々木八段は藤井陣にと金を作る戦果をあげます。藤井NHK杯は質駒の桂を取り、攻めに使って反撃に出ます。80手を過ぎても佐々木八段の指し手は渋滞がなく、大変な研究の深さがうかがえました。

 88手目。藤井NHK杯は佐々木玉の上部に桂を跳ねて迫ります。いかにも危ない形。しかし佐々木八段はノータイムで桂を打ち、藤井玉に王手をかけました。

羽生「ひょえー。でもこれも考えてあるんだなあ。絶対研究です」

 羽生九段も驚いているうちに、あっという間に最終盤に入りました。NHK杯の放映時間は10時30分から12時。このとき時刻はまだ、11時前でした。

藤井「思っていた以上にこう、激しい将棋になってしまって。ちょっとその激しい流れに飲み込まれてしまったところがあったかなと思います」

白熱の終盤戦

 佐々木八段は藤井玉を右端1筋にまで追い込んだあと、95手目、手を戻して受けに回ります。コンピュータ将棋(AI)が示す評価値は、ここまできてなお、ほぼ互角。ただし時間の消費は藤井NHK杯が先行しています。

 96手目。藤井NHK杯は自玉の上部に銀を打って、受けに回りました。

羽生「これは佐々木さん、初めて考えると思います。さすがに。ここで時間使わないと、いつ使うのかっていう局面なんで。考えますね。これは考えます」

 羽生九段の言葉通り、佐々木八段はスーツの上着を脱ぎ、少し手を止めて考えます。

 そして97手目。佐々木八段は6筋のと金を、そっぽの7筋へと入ります。攻防によくはたらく藤井NHK杯の8筋の飛車の利きを限定させようという、意表の一手でした。

羽生「これすごい手ですよ、本当に。部分的には知ってた手なのかもしれないですけど、それにしてもすごい手です」

 と金を取らずに、飛車を一つ浮いて逃げる藤井NHK杯。対して佐々木八段は飛金が利いているところにと金を引き、あくまで取らせようとします。

羽生「うーん・・・。いや、意味がよくわかりません、はい」

 一局を通じて、終始にこやかに解説していた羽生九段。この場面でも、いかにも楽しそうに笑っていました。

 佐々木八段は101手目を考えているときに、10回ある考慮時間をようやく使い始めます。そして熟慮の末に、藤井玉の横に歩を打ちました。着実な攻め。しかしこの瞬間、藤井玉は絶対に詰まない形になりました。

 好機が訪れた藤井NHK杯。一気に佐々木玉に迫ります。そして形勢の針は、藤井勝勢へと傾いていきました。そして残り時間もまた逆転します。先に考慮時間のすべてを使ったのは、佐々木八段の方でした。

藤井NHK杯、勝ち筋を逃す

 盤面右側の8筋にいた佐々木玉は次第に左側に追われていき、119手目、3筋にまで逃げてきました。そこで藤井NHK杯の手が止まります。

記録「50秒・・・55秒・・・藤井NHK杯、最後の考慮時間に入りました。残りはありません」

 複雑な局面で、時間はない。早指しのNHK杯ではこうした状況から、数限りないほどのドラマが生まれてきました。

藤井「終盤は私の実力では、ちょっと判断がつかないところが多くて。非常に難しかったのかなと思います」

 どんな時間設定でも、おそろしく強い藤井NHK杯。しかし本局では勝ちを読みきれませんでした。

記録「40秒・・・50秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」

 秒を読まれながら、藤井NHK杯は右手をぐっと伸ばし、佐々木陣のスミに打ち込んでいた手元から遠い角をつかんで、ぐっと中央に引き成ります。

羽生「おお・・・! これは度胸のある一手ですよね」

 テレビ画面の上に表示されている形勢を示すバーは、「先手2%」から「先手82%」に変わりました。全国の観戦者からは、悲鳴に近い声が漏れたかもしれません。

 あとで振り返ってみれば、ここか、あるいはその前、角を成るのならば5五ではなく6六が正解でした。

 両手を頭にやる佐々木八段。もちろん、形勢の表示などは見えません。状況は両者ともに一手30秒未満で指す「30秒将棋」。十分に考える間もなく、すぐに秒読みの声が迫ってきます。

記録「10秒・・・20秒、1、2、3、4、5、6、7、8」

 そこまで読まれて佐々木八段は、2筋下段の飛車を走り、相手の銀を取りました。

羽生「あっ、おお、なんと! ああ・・・」「ひゃー」

 羽生九段も驚いた一手は、自玉の逃げ道を作って詰めろを消しながら、相手玉に詰めろをかける劇的な「詰めろ逃れの詰めろ」。盤上この一手ともいえる、唯一の正解手でした。

藤井「ちょっと本譜は▲2四飛車をうっかりして・・・」

 藤井NHK杯は局後、そう語っていました。指している間も、どこかで勝ちを逃したことはわかったのでしょう。藤井NHK杯はときおりうつむき、つらそうな表情を浮かべます。それでも手段を尽くし、急所の2筋に飛と龍を並べ「詰めろ逃れの詰めろ」をかけました。

佐々木八段、「詰めろ逃れの詰めろ」の応酬を制する

 131手目。佐々木八段は自陣に銀を打ちつけ、詰めろを逃れます。指運(ゆびうん)ともいえる最終盤。しかし佐々木八段は誤りませんでした。

 134手目。藤井NHK杯は「9」(29秒)まで読まれ、駒台に8枚乗っている歩を1枚手にして、佐々木玉を守る要の金に当てます。

 対して、佐々木八段は「8」(28秒)で金を逃げました。盤上だけを見れば、4手前と同じ。ただし駒台を見れば、藤井八冠の側の歩が1枚少なくなり、佐々木八段の側に移っています。藤井NHK杯から佐々木玉への詰めろが途切れれば、そこで佐々木八段は藤井玉に詰めろをかけて勝ちになります。

 秒を読まれる中、必死に手段を探す藤井NHK杯。しかしそれが見つかりません。また29秒まで読まれて、いま打ったばかりの歩を成り捨てました。

羽生「あ、これは時間を稼いでますね」

 一歩を捨てる代償に、30秒近くを稼ぐことはできます。対して佐々木八段もギリギリまで考えるので、1枚の歩で一分近くの時間を稼げる勘定になります。

 8枚、7枚、6枚、5枚。藤井NHK杯の駒台の歩は少しずつ減っていきます。ついに4枚になったとき。藤井NHK杯は左手を頬にあて、がっくりとうつむき、一瞬、鬼のような形相を見せました。次に目を閉じたまま顔を起こし、悲しそうな表情を浮かべます。そしてまた、がっくりと肩を落としました。

 147手目。「7」まで読まれて佐々木八段はまた金を逃げます。悄然とした様子の藤井NHK杯。解説の羽生九段は静かに推移を見守っていました。

 148手目。藤井NHK杯は歩の成り捨てをやめ、隣りの筋の歩を突き出しました。これもまた詰めろです。

 149手目。佐々木八段は中段に角を打ちました。

羽生「そうなんですね。これが攻防の一手で、詰めろ逃れの詰めろで」

 2年連続の藤井-佐々木戦。昨年も「詰めろ逃れの詰めろ」の応酬が続き、最後は藤井勝ちでした。そして今期は、佐々木八段が壮絶な終盤戦を制するところとなりました。

佐々木八段、ついに栄冠を勝ち取る

 156手目。藤井NHK杯は十数秒で中段に銀を出て、佐々木玉に詰めろをかけました。攻める過程で藤井NHK杯の側の龍が消えているため、この瞬間、藤井玉には詰みが生じています。

 上体を揺らしながら考える佐々木八段。時間があれば当然、藤井玉の即詰みを読み切ったでしょう。

 159手目。「8」まで読まれた佐々木八段は中段に飛車を打ち、王手銀取りをかけました。長く複雑な手順で相手玉を詰ますのではなく、自玉上部を押さえる銀を抜いて、着実に勝ちへと近づく手段です。

 162手目。藤井NHK杯は佐々木陣に角を打ちます。これは形作り。とはいえ、それでも正解手が指せなければ、将棋は一手で逆転します。

 163手目。佐々木八段は相手の歩頭に銀を打ち捨て、王手をかけます。歩で取れば藤井玉は詰み。飛車で取ればその飛車を抜いて勝ち。

 164手目。藤井NHK杯は玉で銀を取ります。現在、世界でいちばん将棋が強く、いちばん詰将棋を解くのも早い藤井NHK杯。自玉の詰みは当然わかっています。その上で、視聴者にわかりやすいところまで指し進めました。

 佐々木八段はしばらく扇子をあおぎ、自身に風を送っていました。胸元に手をやり、ネクタイを直し、そして万感の思いを抑えるかのように、しばらくうつむきました。

記録「20秒、1、2、3」

 169手目。佐々木八段は藤井陣に角を打ち、中段の藤井玉に下から王手をかけました。セオリー通りの包むような寄せです。

羽生「このへんで投了だと思います」

 羽生九段の言葉は当たりました。後世の人々がこの図面を目にした際には、大熱戦、名局の余韻が伝わってくるのではないでしょうか。

記録「10秒・・・」

 しばらく目を閉じていた藤井NHK杯。そしてまた、がくっと首が落ちました。

記録「20秒、1、2、3、4、5、6」

 藤井NHK杯は気持ちを落ち着けたあと、静かに深く頭を下げます。佐々木八段が丁寧に一礼を返し、今期NHK杯は幕を閉じました。

記録「まで、169手をもちまして、佐々木八段の勝ちとなりました」

 笑顔はなく、左手を頭にやり、うつむく佐々木八段。いつの時代も、将棋界の勝者の姿はこうしたものです。

 羽生九段は本局を次のように評しました。

羽生「お互いの持ち味の鋭さが、非常によく現れた、いい将棋だったなと思います」

 表彰式で、佐々木八段は次のように語っていました。

佐々木「優勝できるとは思っていなかったので。本当は涙が出るくらい嬉しいことだと思うんですけど。いま終わった直後で、大変な終盤戦だったこともあって、いまは胃が痛いです。胃が痛い将棋でした。(来期は)やはりまた、ここの決勝の舞台まで勝ち進めるように努力したいと思います」

敗戦は、ほぼ名局の藤井八冠

 藤井八冠は今年度も、わずかに8回しか負けませんでした。

 熱心なファンの方であれば、これら藤井八冠の敗戦がほぼすべて、優れた内容であったと思い起こせるのではないでしょうか。

 名局は、藤井八冠一人で生み出せるわけではありません。佐々木八段のように、藤井八冠に勝てるほどの実力者がいればこそ、新たなドラマが生まれていきます。

 藤井八冠は前年度、トーナメント制4棋戦ですべて優勝し「グランドスラム」を達成。今年度は日本シリーズで優勝。銀河戦、朝日杯、NHK杯で準優勝でした。

 佐々木八段は最強の相手を倒し、値千金の勝利で、全棋士参加棋戦初優勝を飾りました。

続いていく戦い

3月17日。棋王戦第4局・藤井棋王-伊藤匠七段戦の解説で、佐々木八段は対局現地に解説役として訪れていました。NHK杯決勝の放映が終わった午後、次のように語っていました。

佐々木「あまりに優勝とかしなさすぎて。NHK杯の優勝トロフィーをてっきり持って帰れるものだと思ってたんですよね。実際持って帰れないじゃないですか。だから、写真も撮り損ねてしまって」

 藤井八冠と佐々木新NHK杯選手権者の対戦成績は、これで藤井4勝、佐々木2勝となりました。

 藤井八冠のNHK杯連覇、そして最高勝率記録更新を止めた佐々木八段。振り返ってみれば2017年、藤井四段の30連勝を阻止したのも、佐々木五段でした。

 藤井八冠と佐々木八段。両者の戦いは、この先もまだまだ続いていくことでしょう。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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