なぜ川崎中1殺害事件が懲役9~13年の不定期刑に? 少年法が抱える問題とは
横浜地裁は、川崎中1殺害事件で殺人罪と傷害罪に問われた主犯格の少年(以下「A」)に対し、懲役9年以上13年以下の不定期刑を言い渡した。期限までに控訴はなく、そのまま確定した。なぜこうした刑期となったのか。
殺人罪と傷害罪に対する刑罰
Aは、昨年1月17日未明、横浜市内の駐車場で、当時13歳の被害者の顔面を数回殴り、全治2週間のけがを負わせた。約1か月後の2月20日未明には、多摩川の河川敷で、同じ被害者に対し、その首を仲間2人とカッターナイフで何度も切るなどし、殺害した。
刑法が定める刑罰は、殺人罪が死刑、無期懲役、有期懲役(5~20年)の3種類で、傷害罪が有期懲役(1月~15年)、罰金(1~50万円)の2種類だ。有罪の場合、まず殺人罪と傷害罪に対し、それぞれ一つずつ刑罰を選ぶ必要がある。
ただ、同じ被害者に対する殺人罪と傷害罪がセットになったケースでは、通常、傷害罪に対して罰金ではなく有期懲役が選択されている。
ところで、Aは保護観察中だったが前科はなく、他方、自首や未遂などにも当たらないので、これらを理由として刑を加重したり減軽することはできない。
もっとも、今回のように2つ以上の事件で併せて有罪となった場合、刑法では「併合罪(へいごうざい)」と呼ばれ、刑が加重されるなど特別な取り扱いをすることとなっている。
殺人罪でどの刑罰を選択するかにより、以下のように分かれる(傷害罪で罰金を選択しない前提)。
【1】死刑を選択 →この死刑だけで処罰(傷害罪の有期懲役は科さない)
【2】無期懲役を選択→この無期懲役だけで処罰(傷害罪の有期懲役は科さない)
【3】有期懲役を選択→この有期懲役の上限が1.5倍増し(懲役5~30年)
要するに、現実的には死刑か、無期懲役か、有期懲役(5~30年)のいずれかということになる。犯罪の情状に酌量すベきものはなく、ここから更に刑を減軽することはできない。
そこで、成人であれば、例えば「死刑」とか、「無期懲役」とか、「懲役20年」といった刑が宣告される。
少年法による縛り
しかし、Aは未成年であるため、少年法による縛りがかかる。まず、犯行当時の年齢が18歳以上か18歳未満かで大きな違いが出てくる。前者であれば、死刑や無期懲役の選択も可能だが、後者だと、死刑相当でも必ず無期刑に減軽され、無期刑相当だと10年以上20年以下の有期刑に減軽可能とされているからだ。
この点、Aは犯行当時18歳5か月であり、これに当たらず、死刑や無期懲役も選択可能だった。「被害者参加」という制度によって裁判に参加していた被害者の両親も、弁護士を通じ、Aに対して無期懲役を求めていた。
ただ、有期懲役を選択した場合、判決宣告時点で少年であれば、今度は「不定期刑」という少年法独自の縛りがかかる。すなわち、成人の場合だと、先ほども示したように懲役5~30年の範囲内で「懲役20年」などと上限の刑期だけを言い渡す。
しかし、少年の場合、「長期」と呼ばれる上限と「短期」と呼ばれる下限の両方を定め、一定の幅をもたせた刑期にする決まりとなっている。判決確定後の服役態度などを踏まえた上で、弾力的に社会復帰の時期を決めようというのがその趣旨だ。
一般に少年は成人と違って人格的に未熟であり、自覚と発奮、環境の変化などによって大きく変わる可能性があるので、成人以上に改善・更生の余地が高いとされているからだ。実際に認められることはないが、少年法は不定期刑の下限の3分の1の服役で仮釈放を可能としているほどだ。
Aは判決宣告時点で19歳だったことから、この不定期刑の制度が適用される。もし裁判に向けた準備や実際の裁判、判決までに長期間を要し、判決宣告時点で20歳を過ぎて成人になっていれば、不定期刑ではなく、「懲役20年」といった上限の刑期だけが言い渡されていた。
重要なのは、不定期刑の場合、少年法はその上限を15年まで、下限の最高を10年までと定めていることだ。要するに、死刑と無期懲役を選択しなければ、最高刑は成人だと懲役30年であるのに対し、少年では自動的に懲役10年以上15年以下になる。Aが現在19歳であることをも考慮すると、成人の場合と比べ、大きな差があるのは確かだ。
求刑と判決
まず検察は、殺意が突発的に生じたものであり、計画性も低いとして死刑と無期懲役を回避した。その上で、逆恨みといった動機の身勝手さや犯行態様の残虐性、結果の重大性、主犯格であることなどを考慮し、懲役10年以上15年以下の不定期刑を求刑した。これが少年法による縛りを前提とした不定期刑のマックスだった。
これに対し、横浜地裁は、懲役9年以上13年以下の不定期刑とした。検察の主張をおおむね認めた上で、自己中心的な発想に基づく殺意の形成には、父親に暴力を受けて育つといった成育環境に由来する共感性の欠如や未熟さが相当影響していると判断したからだ。「この親にしてこの子あり」とも言うがごとくの判断だった。
なお、犯行当時17歳だった共犯者2名は殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴されている。刑法が定める刑罰は有期懲役(3~20年と殺人罪よりも下限が低い)だけだし、主犯格はAであり、仮にそのまま有罪になっても、Aよりも重い刑期になることはないはずだ。
横浜地裁の判決はあまりにも軽すぎ、納得できないという人も多いだろう。ただ、検察はその主張がおおむね認められたことから、特に不服はなく、控訴しなかった。
また、この事案では、たとえ20代の若年成人による犯行であったとしても、検察は死刑や無期懲役を回避し、懲役18~20年程度を求刑しただろうし、裁判所もその8割程度の量刑にとどめたことだろう。
それでもなお、不定期刑の上限である懲役15年と比べて差があるのは確かだ。そこで、以下のような措置が考えられる。
(1) 不定期刑の上限と下限の引上げ
(2) 少年法の撤廃
(3) 少年法の対象年齢の引下げ
不定期刑の引上げ
これについては、実は2014年の少年法改正で引き上げたばかりだ。それまでは不定期刑の上限は10年まで、下限は5年までだったが、その法改正でそれぞれ5年ずつ引き上げた。それから2年で更に引き上げるというのは、法改正のやり方として現実的でない。
むしろ、不定期刑という制度そのものを廃止し、成人同様に上限だけを言い渡す一方、仮釈放の段階で柔軟な判断をするといった措置を取ることが考えられる。
この点、そもそも大前提として、成人を含め、殺人罪に対する刑罰が国民の素朴な処罰感情とかけ離れ、甘すぎるのであり、他人の命を故意に奪ったのであれば、一発で死刑や無期懲役にしてよいのではないか、と思う人もいるだろう。
まさしく裁判にそうした国民の視点や感覚を反映させるために導入されたのが裁判員制度であり、まれに検察の求刑を超える量刑が下されることもある。それでも、今回の裁判員裁判では、死刑や無期懲役が回避されたというのが現実だ。
少年法の撤廃
次に、少年法の撤廃については、「児童の権利に関する条約」の存在がネックとなる。わが国が1994年に批准しているこの条約は、「児童とは、18歳未満のすべての者をいう」とされている。
その上で、締約国に対し、「刑法を犯したと申し立てられ、訴追され又は認定された児童に特別に適用される法律及び手続の制定並びに当局及び施設の設置を促進するよう努める」ことを求めている。
殺人や傷害、強盗、窃盗、恐喝、薬物など、犯罪の種類によって取扱いに差をつけることも認めていない。
条約は法律よりも上位の法規範であり、この条約がある以上、「少年法」という名称のものか否かは別として、少なくとも18歳未満の者に対し、成人とは別の法律や手続が求められるだろう。
この点、少年法と聞くと、戦後の混乱の中で貧困の末に盗みを働いたような少年を保護するため、GHQの影響で初めてできた法律だと思っている人も多いかもしれない。
しかし、わが国には既に大正11年(1922年)に少年法という名前の法律があった。少年を成人と別扱いにして保護しようとの趣旨は同様だった。ただ、現在と違って少年の年齢は18歳未満とされ、16歳以上であれば死刑の適用も可能だった。
少年法の対象年齢引下げ
そこで、少年法の対象年齢を引き下げるということが考えられる。この問題は、選挙権の拡大や裁判員制度などともリンクしている。選挙権を有する年齢にある者は、一般に国政や地方政治を左右する意思表明が可能なほど分別がついており、精神的な成熟性も備わっていると見られる。
だからこそ、裁判員裁判の裁判員や検察審査会の審査員も、有権者の中から選ぶとされている。選挙権が18歳まで引き下げられ、有権者の範囲が広がった結果、裁判員や検察審査員の年齢も引き下げられることになるはずだが、そうすると、自らが罪を犯した場合には未熟な少年だとして刑罰ではなく保護の対象となるような者が、死刑の選択を含め、他人の犯罪を裁くことになる。
そこで、2016年6月19日に施行される改正公職選挙法は、新たに有権者となる18歳以上20歳未満の者につき、当分の間、裁判員や検察審査員の職務に就くことができない者とみなすとの規定を置いた。あくまで「当分の間」とされ、完全に除外されていない点がポイントだ。
少年法改正の理由付け
そもそも、少子化傾向を考慮しても、統計上、少年犯罪が増加し、凶悪化しているといった事実はない。今回の事件のように、センセーショナルかつ集中豪雨的なマスコミ報道やネット情報の拡散によって、体感治安が悪化しているにすぎない。
少年犯罪が増加し、凶悪化しているから、これを防止するために厳罰化すべきだというのは、反対派からその前提に誤解があると指摘されて終わりだ。
しかし、刑罰は更生や教育、再犯防止、一般国民への威嚇といった観点とともに、その行いに対する報いの観点をも踏まえる必要がある(これを「応報」という)。
死刑や無期懲役といった重い刑罰があっても殺人などの重大犯罪がなくならないように、そもそも刑罰の犯罪予防効果など限られている。厳罰化についても同様だ。それでもそうした重い刑罰が置かれているのは、「応報」という観点も無視し得ないからだ。
特に昨今は、被害者や遺族、国民の素朴な処罰感情を司法に反映させようという流れになっている。先に挙げた被害者参加制度や裁判員制度はその現れだ。「児童の権利条約」でも特別な保護を要する者を18歳未満までとしている。
この「応報」という観点を中心軸に据えた上で、少年法の対象年齢を現行の20歳未満から18歳未満までに引き下げるといったことも、真剣に議論されてしかるべきではなかろうか。
再犯防止策
もっとも、単なる引下げだけだと、少年事件の約5割を占める18、19歳の者が少年法の対象外となる。家庭環境の調整といった現在実施されている改善・更生の働きかけから外れるから、結果的に再犯が増える事態となりかねない。成人による事件の場合は6割強が起訴猶予で終わるが、不起訴に対してはそうした働きかけの制度がないからだ。
現在、検察庁では、起訴猶予により釈放する者のうち、高齢や障害などの事情から福祉的支援が必要なケースについて、保護観察所や自治体などと連携し、更生保護施設や福祉施設への入所、福祉サービスの利用などに結びつける取組を独自に行っている。
少年法の対象年齢を引き下げる場合は、併せてこうした取組を若年の犯罪者にも拡充し、保護観察所などとの連携を法律上の制度として盛り込む必要があるだろう。
この問題は、裁判官、検察官、弁護士といった法曹関係者や刑事法の学者ではなく、国会、ひいては国民一人一人が決めるべき話だ。被害者が多摩川の河川敷で殺害されてから1年。まずはこの凄惨な事件を風化させないことが重要ではなかろうか。(了)