遂に最初の犠牲者を出した、スコット隊の軌跡
20世紀初頭、多くの探検家が極地への到達を目指していました。
その中でスコット隊は南極点到達を目指していたのです。
この記事ではスコット隊が最初の犠牲者を出すまでの軌跡について紹介していきます。
怪力の水兵、南極にて死す
スコットたちは静かに基地への帰路を進み始めました。
極点から1500キロ、その途方もない距離は、勝利を逃した今、彼らにとって絶望的な長さでしかなかったのです。
しかし、時は彼らを待ってはくれません。
11月に基地を出発してから既に二ヶ月半。
3月には秋が訪れ、さらに冷たい寒気が迫りつつあったのです。
1月24日、一行は最後の「1度半デポ」に到着したののの、そこで思いがけない事態に直面します。
燃料缶が揮発し、量が目減りしていたのです。極寒の気候が革の止め具を締め上げて壊し、燃料が少しずつ漏れていたのです。
燃料は彼らの命綱とも言うべきもの——凍った食糧を溶かし、ストーブでテントを温め、日々の体力を保つための不可欠な存在でした。
それがわずかに減っている事実に、スコットは胸の奥底から押し寄せる重苦しい不安を感じずにはいられなかったのです。
さらに、彼らを取り巻く不運は続いていました。
12月31日、ソリの修理中にエバンスが手に傷を負い、その傷が冷気で凍傷に進んでいたのです。
しかし、スコットはエバンスを「屈強な男」という先入観で捉え、その症状を軽視してしまいます。
エバンスもまた「最初に音を上げるわけにはいかない」と意地を張り、自らの体調の悪化を隠し通しました。
極地という過酷な環境の中で、誇りと沈黙がやがて彼の全身を蝕んでいったのです。
1月30日、スコット隊はついに大氷河の頂上へと到達し、ここから下山を始めたものの、燃料も食糧も底をつきかけており、スコットはついに配給制限を命じます。
エバンスは凍傷と壊血病に苦しみながら、ついには転倒して後頭部を打ち、混濁した意識の中で倒れ込みました。
2月17日、エバンスは完全に力尽き、仲間たちに看取られながら息を引き取ったのです。
残る4人は、厳しい寒気と空腹に襲われながら、必死で前進を続けました。
しかし、その中でオーツの凍傷も進行していたのです。
鼻や耳は黒ずみ、指先は壊死を始め、腫れ上がった手で靴を履くのも一苦労だったのです。
オーツは次第にソリを引くこともできなくなり、3人に遅れながら雪の中を懸命に歩くだけでした。
3月1日、彼らはようやく中腹のデポにたどり着き、食糧を掘り出して生き延びます。
残る4人はその晩、久々にテントの中で暖かいひとときを過ごしたものの、それは最後の安らぎの時間となります。
夜が明け、寒気が舞い降り、気温は急降下して零下40度へ。
スコットらは極寒の嵐に追われ、オーツの手足は次第に凍りついて動かなくなっていったのです。
雪原を進む歩みはますます鈍り、オーツは生き延びる意欲を失いつつありました。
凍傷と絶望に追い詰められる彼らに、苛酷な南極の寒気が今、容赦なく襲いかかっていたのです。
参考文献
アプスレイ・チェリー=ガラード著・加納一郎訳(1993)「世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検隊」朝日文庫