サッカーはビジネススキルに通じる/オランダ日系企業対抗サッカー大会「Jドリームカップ」誕生の背景
オランダの日系企業サッカー大会『第15回Jドリームカップ』は8月28日、16企業18チームがアムステルフェーン市に集まり成功裡に終わった。コロナの影響で生まれた2年間の大会の空白は、過去の常連チームの不参加、新興チームの台頭という現象を招いた。ベスト4に残ったのは優勝経験のないチームばかり。初エントリーの横河ヨーロッパがいきなり優勝を遂げたのは、ポスト・コロナの大会を象徴する出来事だった。
この大会を運営したのは、在蘭日本人サッカークラブ『Jドリーム』の代表者、川合慶太郎さんだ。Jドリームカップが誕生した背景、大会の思想、運営の肝となるところ――など、15回大会を終えた直後の川合さんに伺った。
■ ウォーミングアップの時点で成功を確信
――今回のJドリームカップは2年ぶりの開催となりました。無事に大会が終わり、お疲れさまでした
「こういう大会に一度出ると『来年も出場したいね』という話に必ずなる。それがコロナの影響で2年間空いてしまうと社員の異動があったり、コロナ明けで会社の理解が得られなかったりして、今回は久しぶりに参加チームの募集が大変でした。一から大会のことや開催の趣旨を説明しないといけない企業もありました。でも、今回出場した18チームがポジティブな印象を持ったはずなので、来年もエントリーしてくれると思います。こういう大会は、やれば次の年につながっていくんです」
――今日は在オランダ日本大使館の堀之内秀久大使、アムステルフェーン市のアダム・エルザカライ副市長がお見えになりました
「この大会のエントリー規定には、こういうのがあるんです。
・チームに必ず日本人と現地スタッフが最低2人いないといけない
・試合中、両国の選手が最低1人はピッチに立っていないといけない
つまり、日本人だけのチームはダメ、現地スタッフだけのチームもダメ。絶対にミックスにしないといけない。こういう話をすると大使、市長、副市長がとても喜ばれます。ちなみにアムステルフェーン市には、毎回スポンサーになっていただいてます」
――今大会を振り返って、どうでしたか?
「晴れた時点で半分成功ですよね。皆さんが一緒にウォーミングアップしているときの顔を見ると、全力で楽しそうでした。その瞬間にもう成功したなと。みんな、この大会を2年間、待ち望んでいたわけじゃないですか」
――久しぶりに参加できるという思いや、コロナの重いムードが溶けたという思いですよね
「そして久々の再会もあるわけです。同じ会社内のコミュニケーションも大事ですが、同僚のご家族や他の企業の方々ともコミュニケーションをとってほしいという思いが私にはあります。明らかに皆さん、楽しそうだった。やってよかった――それが全てじゃないですか」
■ Jドリームカップが生まれた背景
――第1回大会は?
「2007年です。JドリームのU50チームができた翌年ですね。
Jドリームは2001年、日本大使館、日本人学校の要望もあって作られたクラブです。当時、駐在員のお子さんがスポーツをする機会が少なく、運動不足が問題になっていた。せっかく、オランダというサッカー環境に恵まれた国に住んでいるんだから、サッカーを楽しんでほしい――そういう思いから作ったクラブです。
すると今度はお子さんを送り迎えしていたお父さんたちが、素晴らしい環境でサッカーをしている子どもたちを見ていて自分たちもサッカーをやりたくなってしまった。こうしてJドリームU50チームができたんです。
U50チームができると、今度はお父さんたちとの飲み会が生まれるわけです。そこで話されていたのは常に現地スタッフに対する愚痴でした。
『俺ばっかり仕事している』『現地のスタッフは仕事をしない』『彼らとコミュニケーションが取れない』――といったことですよね。
だけど、私は当時、日系企業にローカル採用で勤めてましたが、現地スタッフの社員とコミュニケーションが取れてましたし、仕事もできると思っていました。英語や仕事は駐在員の方たちのほうができるはずなのに、なぜでしょうという話に、飲み会のたびになってました。
『私はサッカーができるからじゃないですかね』という話になったことがありました。ならばU50のメンバーが会社でチームを作ってキャプテンになって『こういう大会があるから参加しようぜ』と音頭を取ったら、会社でのコミュニケーションがよくなるかも――ということで作っちゃったのがJドリームカップです」
――当時は今と違いましたか?
「全く違いました。なぜなら第1回から3回ぐらいまでは日系企業のサッカーに対するハードルが高すぎた」
――サッカー大会に参加することのハードルが高かったんですか? 理解のハードルが高かったんですか?
「会社として大会に出ること、日本人がサッカーをするということのハードルが高かった。日系企業の駐在員としてオランダに来ている人たちは、怪我することができないわけですよ。また、その時代は駐在員とローカルの社員の差がとてつもなくあった。当時は大会のスポンサーになってもらうにも『高い』『メリットがわからない』とか断られてばかりでした。しかし、ありがたいことに、ある日系企業さんが大きいスポンサー費を出してくれたので、Jドリームカップを立ち上げることができました。
大会を続けていくうちにエントリーの敷居が下がったのか、『Jドリームカップに参加したい』という企業が増えてきました。チームの中の日本人選手の割合も確実に増えていきました。この大会が(チーム構成が日本人と現地スタッフの)ミックスじゃないといけないという認識も広がってます。
大会のウェブサイトを見れば分かると思いますが、今回もたくさんのスポンサーが集まりました。チャリティークジの景品も各社、いろいろと提供してくれました。
スポンサー費は一口500ユーロですので、高いところでも1000ユーロです。このくらいのスポンサー費でも、これだけのイベントができるので助かりますし、大会を楽しめますよ――ということも知ってほしい。駐在員の方はいずれ日本に戻るわけです。オランダで知ったことを、いろいろな形で日本でも活用してほしいですね」
■ サッカーはビジネススキルに通じる
――サッカーができるということと、会社内でコミュケーションが取れるようになるということに関係はありますか?
「JドリームU50の初期メンバーの人がよく言っていたのが『オランダのサッカーの教え方、モノの伝え方というのが、とてもビジネスにつながる』ということ。レイモンド・フェルハイエンさんのピリオダイゼーションという理論があるんですが、難しいことを言ってるわけではなく、当たり前のことしか言ってない。あまりに当たり前すぎるから『No』とは言えず『Yes』としか言えない。
要は段階を追って教えていくわけです。選手に10の力を身に付けさせたいときに、いきなり5から始めるのではなく、1→2→3→……→10と段階を踏んで上がっていく。
それを知ったU50のメンバーが『オランダではサッカーをそう教えるんですね。それはビジネスに使えますね』と言って、実際に自分の会社で実践した。今までだと『これをやっておいてね』とオランダ人の社員に言ってもやってもらえなかったのが、『これをやってもらうために、まずはこう。それからこう』と説明したら、やってくれるようになったそうです。
オランダやヨーロッパではサッカーはビジネスですよね。おそらく、オランダのサッカーの考え方というのは、会社の経営から学んだと思うんです。なぜなら、サッカークラブを潰すわけにはいかないから。
昔はオランダのサッカー指導者も1週間のプラン、1シーズンのプランがあったわけではなく、その日の気分で練習メニューを決めてたそうです。会社で社長がいきなり今日は違うことをやったりしたら潰れるじゃないですか。だから私は、オランダのサッカーはビジネスの世界から学んだと思うんです。
そして日本の駐在員たちはJドリームでオランダのサッカーの教え方を知って、それをビジネスに応用していきます。ある会社では、オランダに駐在したら社員にJドリームU50に入るよう勧めています。なぜなら、ビジネスの学びになるからです。
『育成』は子どもだけが対象というわけではありません。大人のチームにも当てはまります。年齢だけでなく、その人の実力、経験にあった方法で1から順番に教えていくわけですから」
■ Jドリームカップはまだまだ続く
――話は今回に戻ります。18チーム参加の大会を1日でうまくオーガナイズしましたね
「Jドリームカップは最初、デュッセルドルフ(ドイツ)のソフトボール大会を参考にしました。デュッセルドルフにはとても多くの日系企業がありますが、大きなグランドをいくつにも区切って、イニングも短めにして1日で大会を終わらせていました。
せっかくの日曜日にお父さんを借りるわけですから、1日で終わらせるほうが良い。1日だけの大会のほうが協賛企業を集めやすい。そしてプレーしている人たちだけが楽しいという大会だけにはしたくなかった。家族を連れてきて応援してもらって、出店を出したりして面白いイベントにしたかった。さらに同僚のご家族との付き合いとかが生まれたり」
――昨年も実はJドリームカップがあったそうですね
「ミニJドリームカップです。去年はコロナの規制が緩和されたばかりでしたので、例年だと『ご家族、友人、知り合いを大会に連れてきてくださいね』と言ってたのを、昨年は『誰も連れてこないでください』と言わないといけなかったのが辛かったです。
2年開催が空いた今回(注:昨年のミニJドリームカップは開催に含まず)、こんなにチームが集まって、しかも新たに参加した企業が増えたので、来年からの心配は参加チームが増え過ぎたらどうしようということです」