鈴木マイが語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#16】
2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ·オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。
♬ 役割はカタチのないものにカタチを与える
私が〈マタイ受難曲2021〉で担当したのは、フライヤーのデザインを2種類と、当日に頒布したプログラムのデザイン、それからウェブサイト、大きく分けると3つのデザインに関する作業ですね。それに使う写真について、自分で撮影したものを提案させていただきました。
ポジションとしては、音楽という“カタチのないもの”にカタチを与える役割、とでも言ったらいいのかな……。それをお客さまに届けるお手伝いをした、と自分では思っています。
もともと写真は趣味で撮り続けていたのですが、写真をCDのジャケットなどに採用していただく機会が増えまして、せっかく自分の写真を使っていただけるならウェブや紙媒体のデザインもやろうということで、写真、ウェブ・フライヤーのデザインというかたちで音楽と関わっています。
1990年代に青春時代を過ごしたんですけれど、ちょうどバンドブームということもあって、ライヴには行きまくってました。それと並行して、天文部に所属していたので天文写真を撮ったり。その部活でカメラと出逢ったんです。で、大学ではフランス文学専攻だったんですが、写真部に入って暗室に籠もる日々を過ごしていました。
そのころから世界を旅するようになって、撮りためた風景写真が現在の仕事に役立っています。もともと人物写真はほとんど撮ってなくて、いまでもよっぽどのことがない限り撮らないですね。
音楽に関しては、ピアノはずっと習っていました。でも、自分で人前で演奏することはなかったですね。
♬ 壺井彰久さんがきっかけでトリニテのジャケットを担当
shezooさんと初めてお仕事をさせていただいたのは、トリニテの『月の歴史』だったと記憶しています。2015年のことですね。トリニテのメンバーの壺井彰久さん(ヴァイオリン)のご紹介でジャケットの制作を担当することになりました。以前から壺井さんの参加しているユニット(オオフジツボ、ERA)の写真やデザインを担当していた関係で作風をわかってくださっていて、トリニテでも使える写真があるのではと声をかけていただいたようです。
その『月の歴史』のお仕事の次が〈マタイ受難曲2021〉だったんですね。私のポートフォリオをshezooさんに見ていただいたんですが、気に入っていただけたみたいで、アート・ディレクションのお話があったのが2019年の秋。〈マタイ受難曲2021〉のデザイン関係が動き出したのは2020年5月ぐらいで、7月にはフライヤーができています。それから公演が延期になってしまったわけですが。
私自身はハードロックやプログレばかり聴いてきたので、バッハとは縁遠くて、アート・ディレクションといっても最初は漠然としたイメージしか湧いてこなかったですね。そういえば、ピアノを習っていたころに〈主よ、人の望みの喜びよ〉を弾いたことがあったおぼろげな記憶が……。
『月の歴史』のお仕事のときは、作曲家であるshezooさんから各曲の具体的なコンセプトをいただいておりイメージを掴みやすかったんですけれど、“バッハ”や“マタイ”だと原曲ありきという部分もあり、ちょっと違うなぁ、って。それでまず、世に言う“名演”を聴きまくって、聖書の一節を読み込みました。また、候補写真もイタリア、チェコ、ポーランドなど、キリスト教の歴史が深い国々で撮影したものから選出しています。
ちょうどそのタイミングでポーランドへ行く機会があって、なるべく大聖堂や教会へ足を運んで写真を撮りためてくることができたんです。その写真を使ってDVD(『マタイ受難曲2021 Matthauspassion2021』)のジャケットを作りました。磔刑のキリストの足にバラが添えられているショットは、ポーランドのワルシャワで撮ったものです。古い彫刻に現代人の祈りが加わることで別の作品のようになっている。そんなところがshezooさんのマタイに通ずるところがあるかなと思い提案しました。
フライヤーの中心に「人は嘘をつく」というキャッチコピーが入っているように、この企画自体がコンサートというより演劇的ですよね? 3名のアーティストの写真が分割され崩落していくようなデザインにもそれが影響しているんじゃないかと思います。このキャッチコピー、2020年の10月末にshezooさんからいただいた資料のなかにあって、〈マタイ受難曲2021〉の中心的なテーマだとおっしゃっていました。
「嘘は必ずしも悪いものとは限らないですよね。愛する人のためにつかなければならない嘘もある。それを踏まえて、いまを生きている神の子、つまり私たちひとりひとりに訪れるさまざまな苦しみや厄災をキリストの受難に置き換えて伝えたい」というメッセージを、制作のやり取りのなかでshezooさんが送ってくださっています。それが私のデザインコンセプトの中心にもあった、ということなんです。
ウェブ(https://shezoo-matthauspassion.info/)の制作はポスターより先、2020年の11月初頭に作っています。こちらはフライヤーやポスターのように各所の調節をせず、shezooさんからも「マイさんのイメージで進めてください」と言っていただけたので、カラー、デザイン・イメージなど、かなり自由にやらせていただきました。
そういえば、このウェブサイトのいちばん上にドイツ語が書かれているんですけれど、当初のデザインラフでは原題でもある「マタイによる私たちの主イエス・キリストの受難(Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthaus、Matthausの2番目のaにはウムラウトが付く)」という言葉を入れていたんです。
それに対してshezooさんが、「今回の設定では受難を受けるのはイエスだけではなく、人間ひとりひとりが抱えているものに対してなんです」とおっしゃったことがあって、それで「マタイによる、あるいは私たちによる受難曲(Die Passion bei Matthaus oder bei uns、Matthausの2番目のaにはウムラウトが付く)」に変えたという経緯があるんですよ。
それはすなわち、バッハの〈マタイ受難曲〉をそのまま再現するのではないというshezooさんの考え方が集約された言葉でもあったんだと思います。