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【男子マラソン】鈴木健吾が痛感した世界との約3分の差。「自分の殻を破り、少しずつ積み上げていきたい」

和田悟志フリーランスライター
写真提供NIKE

 3月29日に、今夏のオレゴン世界陸上競技選手権大会の男女マラソン日本代表6人が発表され、昨年12月に結婚を発表した鈴木健吾(富士通)、一山麻緒(ワコール→資生堂)が、夫婦そろって日本代表に正式決定した。

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間近で感じた東京五輪。”世界で戦いたい”という思いがより強く

 鈴木は、神奈川大在籍時に2017年のユニバーシアード台北大会のハーフマラソンに出場し、個人3位、団体戦では金メダルを獲得している。

 また、その前年には日本学連派遣でオランダのセブンヒルズ15Kというロードレースで8位に入った〔ちなみに、優勝したのは男子5000m、1万m現世界記録保持者のジョシュア・チェプテゲイ(ウガンダ)だった〕。

 学生時代から海外で経験を積み、将来を嘱望されていたランナーだった。そしてついに、今夏の世界選手権には初めてシニアの日本代表として出場する。

 鈴木にとって、日の丸を付けて世界で戦うことは悲願だった。

 昨夏の東京オリンピックは、男子マラソンの日本記録保持者でありながら、鈴木はその舞台に立つことが叶わなかった(もっとも鈴木が日本記録(2時間4分56秒)を樹立したのは昨年2月のこと。その1年前に日本代表は決定しており、鈴木は届かなかった)。

 そのオリンピックの舞台には、チームメイトの中村匠吾がマラソンに、松枝博輝、坂東悠汰が5000mに出場(以上、長距離種目のみ)。さらに、女子マラソンには、後に妻となる一山が出場し8位入賞を果たしている。

 鈴木にとって、出場できなかったとはいえ、東京オリンピックは身近に感じた世界大会だった。

「オリンピックを近くで見させていただいて、日本記録という肩書き以上に、オリンピック代表っていうのはすごくプレッシャーがあるのかなっていうふうに感じました。

 当日にレースを見ていて、やっぱり私も、オリンピックっていう舞台にチャレンジしたい、勝負したいっていう気持ちがすごく強くなりました。

 何としてでもMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ、パリ五輪の日本代表選考レース、23年秋開催予定)で代表権をつかみとって、世界と戦えるようにしたいと思っています。

 メダル争いできるように、これから経験値を積んだり、そもそもの強さを磨いていったりしないといけないと思っています」

 世界、とりわけオリンピック出場への思いをいっそう強くした。

東京で痛感したキプチョゲまでの距離

 そして、3月の東京マラソンでは、自身の日本記録には届かなかったものの、セカンドベストの2時間5分28秒の好記録で日本人トップの4位となった。今夏の世界選手権とMGC出場を決め、パリ五輪に向けて、絶好のスタートを切ったと言っていい。

 しかし、東京マラソンでは、快走を見せた一方で、鈴木には心残りもあった。

 それは、世界記録(2時間1分39秒)保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が出場していたのにもかかわらず、キプチョゲらの先頭集団でレースを進めることができなかったことだ。

圧倒的な強さを誇るキプチョゲ選手。東京マラソンでも優勝した
圧倒的な強さを誇るキプチョゲ選手。東京マラソンでも優勝した写真:代表撮影/ロイター/アフロ

「今回、キプチョゲ選手が東京に来てくれたことは、自分にとってうれしいニュースで、一緒にスタートラインに立てたことがすごくうれしかったです。

 レース前に様子を観察していたんですけど、“これが世界のマラソン界のトップを走る選手なのか!”とオーラをすごく感じました」

 史上最強ランナーと一緒に走れることを心待ちにしていたものの、鈴木は、2月に膝を痛めるなど万全な状態ではなかったため、最初から第2集団に位置取った。

「本調子なら前の集団で挑戦したいという思いがあったんですけど、調子があまり良くなかったので、第2集団で行くことにしました。

 蓋を開けてみると、やっぱり(キプチョゲと)3分ぐらいの差が開いてしまっていて、そこに行くまでの道のりはなかなか険しいなって感じました。自分の殻を破りながら、少しずつ差を縮めていかないと、世界で戦える選手にはならないなって思いました」

 優勝したキプチョゲのタイムは、日本国内のレースで歴代最高記録となる2時間2分40秒。4位の鈴木は、その2分48秒後にフィニッシュしている。

 キプチョゲと鈴木の自己記録の差は3分17秒あるが、その約3分の差はそうそう簡単に埋められるものではないことを痛感した。

 それでも、鈴木は前を向く。

「何かをすれば、すぐに世界と戦えるとは思っていません。自分の1日1日をしっかり積み上げていくこと。その先に、世界で戦える選手になっていくのかなと思います。

まずは自分の力を過信せず、少しずつ積み上げていくことが大事になってくると思います。

まだ世界と戦った経験が少ないことは、自分の可能性を広げられるともいえる。何度も海外レースに出場し、日の丸を付けて戦えるように頑張っていきたいです」

 鈴木は今年27歳。マラソンランナーとして円熟期を迎えるのはこれからだろう。また、世界へのチャレンジもまだ始まったばかりだ。

「東京マラソンでは勝負できなかったので、世界選手権では前でしっかりチャレンジできるように積極的な走りをしたいと思います」

 すぐにはその差を縮められなくとも、何度も何度もチャレンジを重ねていくことで、キプチョゲの背中を視野に捉えられるようになるのかもしれない。

 まずは7月、オレゴンでの鈴木の走りに期待したい。

※東京マラソン前後の記者会見、3月11日に行われたグループインタビューを基に構成しました。

フリーランスライター

1980年生まれ、福島県出身。 大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。 その後、出版社勤務を経てフリーランスに。 陸上競技(主に大学駅伝やマラソン)やDOスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆。大学駅伝の監督の書籍や『青トレ』などトレーニング本の構成も担当している。

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