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【男子マラソン】鈴木健吾、日本記録保持者として苦しんだ1年を経て、妻と共に世界へ

和田悟志フリーランスライター
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 今シーズンのロードレースシーズンも一区切り。

 2021年に創設されたジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズ(以下、JMCシリーズ)も全ての対象大会を終え、昨年12月に結婚した鈴木健吾(富士通)、一山麻緒(ワコール→資生堂)夫妻が、そろって男女の初代チャンピオンに輝いた。

 そして、夫婦共に、7月に開催されるオレゴン2022世界陸上競技選手権大会の日本代表にも内定した。

“ずっと挑戦していきたい”チャレンジャーであり続けたかったが…

 鈴木は、昨年3月のびわ湖毎日マラソンで日本人として初めて2時間5分の壁を突破し、2時間4分56秒の日本記録を樹立した。

 しかし、「目立つタイプではない」と自称する鈴木にとって、日本記録保持者となってからの日々には重圧がつきまとった。

「日本記録を出してからの1年間、自分自身にも“もっともっと”っていうプレッシャーをかけていたかもしれません。周りからの期待もたくさん感じて、それが重圧になり、自分自身、知らず知らず苦しい気持ちになることが多かった1年でした。

 ありがたいことなんですけど、出る試合出る試合で注目されるようになりました。でも、もっと強い選手はいっぱいいるので、自分では“ずっと挑戦していきたい”と思っているんですけど…。周りからは日本記録保持者として、追われる立場というふうに見られることが苦しかったです」

 昨年10月のシカゴマラソンは、中間点までは日本記録ペースで進めるも、終盤に先頭争いから陥落し2時間8分50秒で4位だった。ワールドマラソンメジャーズでこの成績は、もちろん十分に評価できる。だが、日本記録保持者として臨む初レースとして注目が集まっていただけに、物足りなく映ったとしても仕方がなかった。

 そんな中、重圧に耐えることができたのは、チームスタッフやトレーナー、そして、妻の一山ら、周囲の支えがたくさんあったからだという。

「“たかが日本記録を1回出しただけ。日の丸を背負っている立場でもないし、自分らしくチャレンジャーでいけ”そのような言葉を、いろんな方に言っていただきました」

“自分自身はチャレンジャー”――そんな意識で東京マラソンには臨もうと決めた。

2021年のびわ湖毎日マラソンで日本新記録を樹立
2021年のびわ湖毎日マラソンで日本新記録を樹立写真:西村尚己/アフロスポーツ

 しかし、東京マラソンへの道のりにも試練があった。

 今年の元日のニューイヤー駅伝が終わってから、駅伝からマラソンへと練習をうまくシフトすることができなかった。

 1月中旬からは徐々に状態が戻ってきたが、奄美、徳之島と合宿を終えて、千葉に帰ってきてから膝を痛めた。本番が迫っていたのにもかかわらず、1週間以上もジョギングさえできない期間があったという。

 レース前での会見では、「(日本記録を出した)びわ湖とだいたい同じ流れでやってきた」と話していたが、実は不安を残していた。

「5割6割できたかどうかぐらいの練習内容だった」とレース後に明かしている。

「妻と一緒に世界選手権に行きたい」

 そんな状況でもスタートラインに立ったのは、世界の舞台に立つことを固く誓っていたからだった。

「この1年間、世界選手権の代表をつかむことを目標に掲げてきました。

 妻とも東京マラソンに2人で出るって決めて、一緒に世界選手権に行きたいという目標を立てていたので、不安な状態ではありましたけど、たくさんの人に支えていただきながら、なんとかスタートラインに立つことができました」

 本調子であれば、史上最強のマラソンランナーであるエリウド・キプチョゲ(ケニア)にチャレンジするつもりだったが、不安を残していただけに、1km2分57秒ペースの第2集団でレースを進めた。

「前半は、自分でも分かるぐらい、落ち着きがない走りになった」と振り返るように、冷静さを欠いているようにも見えた。だが、鈴木の中には、思い描いていたレースプランがあった。

「あまり練習ができていなかったし、調子もあまり良くなかったので、ラスト勝負になるとちょっとしんどい。勝機を見出すなら早い段階で勝負を仕掛けたいと思っていました。

 ペースメーカーが付くのは最長で25kmまでだったので、20〜25kmで動こうと決めていました」

 20kmの手前でペースが落ちかけると、「ちょっと上げてほしい」とペースメーカーにペースアップを促す場面もあった。

 23km過ぎから日本人先頭争いが徐々にふるいにかけられる。

 そして、25kmを前にペースメーカーが外れると、鈴木は井上大仁(三菱重工)や吉田祐也(GMOインターネットグループ)らを振り切った。まさにプラン通りのレース運びだった。

 35kmまでは日本記録を上回るペースを刻んだ。

「“日本記録もいけるんじゃないか”と見られていたと思うんですけど、練習ができていなかった分、“後半失速しないように”と思いながら走っていました。“後ろから来たらどうしよう”という緊張感もありました」

 単独走になってからの心境をこう明かす。

 結局、自らの日本記録には届かなかったが、それでも、日本歴代2位のパフォーマンスとなる2時間5分28秒。日本人トップの4位でフィニッシュテープを切った。

「1人になってからは、時計を見ながら、自分のリズム、自分のペースを意識していました。それがすごく良かったと思っています」

 不安を抱えながらも、自身のレースプランを遂行するだけの“強さ”も見せつけただろう。

3月11日にリモートでグループインタビューに応じる鈴木(写真提供NIKE)
3月11日にリモートでグループインタビューに応じる鈴木(写真提供NIKE)

 妻の一山も2時間21分2秒で日本人トップの6位。フィニッシュ後には、抱擁し、互いの結果を喜んだ。2人の合計タイムは4時間26分30秒。同一大会における夫婦合計タイムのギネス記録をも上回った。

「正直、そこ(ギネス記録)は意識していなくて、2人の目標であった世界選手権に向けて頑張った先に、今回のタイムが付いてきました。それは本当にうれしいことでした」

 そう話す鈴木は、思わず表情を緩める。

 一山は昨夏の東京オリンピックに出場し、8位入賞を果たしている。そして、今夏は夫婦そろって世界に挑む。

※東京マラソン前後の記者会見、3月11日に行われたグループインタビューを基に構成しました。

フリーランスライター

1980年生まれ、福島県出身。 大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。 その後、出版社勤務を経てフリーランスに。 陸上競技(主に大学駅伝やマラソン)やDOスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆。大学駅伝の監督の書籍や『青トレ』などトレーニング本の構成も担当している。

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