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日米野球、24年の時を経て目撃した“真逆”の光景

菊田康彦フリーランスライター

これまで数え切れないぐらい野球の試合を観てきましたが、ノーヒットノーランにはほとんど縁がありませんでした。なにしろ今まで生で観たノーヒッターは、たった1度だけ……だったのです。一昨日までは。

8年ぶりに開催された日米野球で、第2戦から4戦の舞台となる東京ドーム
8年ぶりに開催された日米野球で、第2戦から4戦の舞台となる東京ドーム

初めて生で観たノーヒットノーランは1990年の日米野球第8戦でした。チャック・フィンリー投手(当時エンゼルス)、ランディー・ジョンソン投手(当時マリナーズ)という2人のサウスポーが、清原和博選手(当時西武)、落合博満選手(当時中日)、広沢克己選手(当時ヤクルト)をクリーンアップに据えた全日本を5四球のみに抑え、達成したものでした。

あれから24年、まさか同じ日米野球でその“真逆”の光景を目の当たりにすることになるとは、思ってもみませんでした。2006年以来、8年ぶりに開催された日米野球、その第3戦(東京ドーム)。日本代表「侍ジャパン」は先発の則本昂大投手(楽天)から西勇輝投手(オリックス)、牧田和久投手(西武)、そして西野勇士投手(ロッテ)のリレーでMLBオールスターズを無安打(4四死球)に封じ込み、日米野球史上4度目のノーヒットノーランを成し遂げました。

ただし、過去3度は前述の1990年のほか、1971年のボルティモア・オリオールズのパット・ドブソン投手(対巨人)と、1908年に初の日米野球で来日した「リーチ・オール・アメリカン」のパッツィー・フラハティー投手(対早稲田大=完全試合)と、いずれもMLBサイドによるもの。1962年には村山実投手(阪神)がデトロイト・タイガースを8回2死までノーヒットに抑えたこともありましたが、日本側のノーヒッター達成は今回が初の快挙となります。

なお、前述の1990年の日米野球は、フィンリー、ジョンソン両投手のほかにデイヴ・スチュワート投手(当時アスレチックス、同年22勝)、ラモン・マルティネス投手(当時ドジャース、同年20勝)、野手ではバリー・ボンズ選手(当時パイレーツ、同年MVP)、セシル・フィルダー選手(当時タイガース、同年本塁打王&打点王)、ケン・グリフィー・ジュニア選手(当時マリナーズ、同年打率.300、22本塁打)などなど、そうそうたるメンバーを揃えたMLBオールスターズが開幕4連敗。第5戦からは引き分けを挟んで3連勝と巻き返し、最後はノーヒットノーランで締めくくったものの、3勝4敗1分けで選抜チームとしては初の負け越しを喫しました。

今年の日米野球は全5戦で、15日の第3戦まで3連勝の侍ジャパンは、早々とその1990年以来の勝ち越しを決めています。今回のMLBオールスターズには、ホゼ・アルトゥーヴェ選手(アストロズ)、ジャスティン・モーノー選手(ロッキーズ)と両リーグの首位打者に加え、10年総額2億4000万ドルという破格の契約で話題になったロビンソン・カノー選手(マリナーズ)のようなスーパースターもいますが、目玉になるはずだったアルバート・プーホールズ選手(エンゼルス)が出場を辞退し、投手陣にも絶対的なエースが不在で、けっしてベストメンバーとは言えません。

それでも「MLBオールスターズ」の看板を掲げている以上、言い訳はできないはず。ドン・ジマー監督(当時カブス、今年6月に他界)が率いた1990年の「ジマー・オールスターズ」も負け越しはしたものの、4連敗後の3連勝(1分け)にはメジャーのプライドを感じました。3連敗からの4連勝で見事に勝ち越した2002年のMLBオールスターズもしかりです。

今年の日米野球も残り2試合(ほかに親善試合1試合)。侍ジャパンが日本サイドとしては初の日米野球全勝を決めるかどうかに注目しつつ、メジャーの意地にも期待したいところです。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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