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「娘を思うと引退した方がいい」女子バレー代表・荒木絵里香、最後の五輪にかける思い

元川悦子スポーツジャーナリスト
柔らかな笑みをのぞかせる荒木選手(筆者撮影)

「東京五輪延期のニュースが流れた瞬間は自宅でテレビを見ていました。ショックでしたね」

 56年ぶりの自国開催の大舞台をキャリアの集大成と位置づけていた女子バレーボール選手の荒木絵里香は、3月24日夜の電撃決定に混乱した。

 今春に小学校入学を控えていた長女・和香ちゃんのために両親の実家のある千葉県へ転居し、五輪後は現役を退く人生計画だった。そんなシナリオがすべて狂ったのだ。

 荒木は2008年北京大会で五輪初出場、2012年ロンドン大会で主将として28年ぶりの銅メダル獲得の原動力となった後、結婚・出産を経て、2014年に復帰。2016年リオデジャネイロ大会のコートにも立ち、2020年東京で五輪4大会連続出場を目指していた。本番まであと4か月の延期決定だったが、唯一のママさん選手は現役続行を決断した。

「すべては私のエゴでしかないですし、自分勝手な思いですけど、『バレーを続けたい』というのが今の素直な気持ちなんです」

 そこまで荒木を突き動かすバレーボールとは、どういうものなのか。なぜ、第一線でコートに立ち続けることを熱望するのか。1年後に向けて再始動した35歳のキャプテンの本音に迫った。

「娘のことだけを思うと、やめた方がいい」

 日本代表の活動再開直前の6月末。荒木は母親としての役割をいったん横に置き、1年延びた選手生活に集中していた。

「延期が決まって、いろんな考えが浮かぶ中、一番強く思ったのが『自分で決めたことを全うしたい』ということ。東京五輪を目指して3年間、久美さん(中田監督)やチームメートと一緒に歩んできたから、やりきりたい。ここまで高いレベルでやらせてもらっているし、やめたら後悔しか残らない。原点に立ち返って再挑戦したいという気持ちです」

 家族の支えも現役を続ける原動力となった。ラグビー元日本代表の夫・四宮洋平さんは「やるしかないでしょう」と背中を押し、率先して孫の面倒を見ている母・和子さんからは「もういいんじゃない」と冗談交じりに引退を促されたが、最終的には「あなた、ホントよくやるね」と再挑戦に理解を示された。しかし、4~5月の外出自粛期間に長時間過ごし、料理や散歩を一緒にするのが日課だった和香ちゃんから「ママ、行かないで」と言われると、やはり複雑な感情がこみ上げてくる。

「和香は『やめてほしい』って言うんです(苦笑)。娘のことだけを思うと、間違いなくやめた方がいい。今は自分のやりたいことを続けさせてもらっている現状ですから。それでも、続けるのはシンプルにバレーボールが好きだから。その思いに対して家族がサポートしてくれるっていうのが、競技者として続ける大きな要素です」

新鍋の引退は「寂しい気持ちに」

 さまざまな感情や雑音を封印し、新たな覚悟を持って2021年夏を見据える荒木。だが、そう考えられない選手もいる。ロンドン五輪でともに銅メダルを獲得した新鍋理沙は、その一例だろう。2019年ワールドカップでも大活躍した30歳の彼女が「絶望というか…、1年後の自分に自信が持てない」と6月29日に現役引退を発表したのは、荒木にとってもショッキングな出来事だった。

「驚きましたね。一緒にロンドンで戦い、メダルを経験した唯一の仲間ですし、寂しい気持ちになりました。でも本人が考えて出した結論だと思いますし、選手にはいろんな形があるので、意思を尊重したいです」

引退を決断した新鍋選手とはさまざまな思いを分かち合ってきた(写真:築田純/アフロスポーツ)
引退を決断した新鍋選手とはさまざまな思いを分かち合ってきた(写真:築田純/アフロスポーツ)

 その一方で、1年後の大舞台に賭けるベテラン選手も少なくない。競技は違えど、ソフトボールの上野由岐子は7月22日に38歳の誕生日を迎え、3大会連続のメダルを狙う重量挙げの三宅宏実も11月には35歳になる。彼女らは「東京五輪延期の影響を受けた象徴的な存在」と見られがちだが、荒木はそんな同世代の仲間たちに励まされる部分が多いという。

「上野さんや宏美ちゃん、スポーツクライミングの野口啓代さんといった選手が頑張っている姿をメディアを通して知ることで刺激を受けるのは確かです。自分も誰かにエネルギーを受け取ってもらえる存在になれればいいなと感じます。

 35歳という年齢的な部分が不安視されることも多いですけど、自粛期間に休みが取れたため故障箇所もないですし、毎日いいトレーニングができているので、心配はしていません。Vリーグは10月から始まる予定で、日本代表も当面対外試合はないと思いますから、基礎的な体作りができる。それもアスリートとしてはプラスに働くと思います」

コロナ禍で考えたアスリートの存在意義とは

 地道に強化を続ける荒木だが、世界の新型コロナウイルスの感染者数は、増加の一途をたどっている。こうした状況から、東京五輪が本当に1年後に開催できるのか不安視する声も高まっている。セレモニー縮小案や無観客開催など多様な意見が飛び交っているが、やはり重視されるべきなのはアスリートの努力や五輪への強い気持ち。そこは改めて強調しておきたい点だ。荒木もトップアスリートの立場からこう言葉を発する。

「日本だけが収まればいいという問題ではないですし、いろんな意見があるのも分かります。しかし、コロナのことは私がどうにかできるものではない。物事を悲観的に捉えるのは簡単ですけど、できることに向き合いたいと思います。

 今回のコロナ禍でスポーツやアスリートの存在意義を考える機会になったのは確かです。私自身は必ずスポーツの持つ前向きなエネルギーを理解してもらえる瞬間が来ると信じています。東京五輪に向けては、これまでたくさんの方が築き上げたものがあるわけですから、1人でも多くの人々にスポーツのすばらしさを伝えられるように頑張っていきます」

大好きなバレーボールを味わい尽くすという荒木選手(筆者撮影)
大好きなバレーボールを味わい尽くすという荒木選手(筆者撮影)

「東京五輪ではみんなで泣き笑って終わりたい」

 2021年7月23日に東京五輪が開催されることを信じて、力強く前進を続ける荒木。その先には完全燃焼した1人のバレーボール選手の姿を思い描いている。

「なぜそこまでバレーボールが好きなのか? それは、この競技を通して心が震える瞬間を何度も経験して、どんどん好きになったから。私自身はホントにバレーボールが下手で(苦笑)、この歳になっても伸びしろを感じますし、うまくなりたい気持ちを変わらず持てているのも大きいですね」

 女子日本代表のキャプテンが自分を「下手」だと言うのは意外に映る。その原点は2004年アテネ五輪落選の憂き目にあった若かりし日々にあるのだろう。当時の日本バレー界は栗原恵、大山加奈の「メグカナコンビ」が日本中を席巻。「加奈やメグが主力組でプレーする傍らで、自分はコートにも立たせてもらえず、ボール拾いばかり。自信を失いかけたこともありました」と本人も述懐したことがある。そこから練習の虫となり、単身イタリアに渡るなど、貪欲に這い上がってきた彼女には、類まれなバレーボールへの探求心と向上心が備わっている。それが自らを突き動かすのだろう。

 荒木は話を続ける。

「目標に向かって進む過程も充実感があります。それを達成した時の喜びはものすごく大きい。チームメートや家族、応援してくれる人々に喜びを共有してもらえた時、『挑戦し続けてよかった』と思います。自分にとってのバレーボールとはそういう特別なものなんです。

 だからこそ、この1年はバレーボール選手を味わい尽くしたい。東京五輪ではみんなで泣き笑って終わりたいんです。今までも味わってますけど、ホントに味わい尽くしたいっていう気持ちが強い。そこまでは和香や母に迷惑をかけますけど、目標をやりきった後にまた家族と過ごせる時間を今から楽しみにしています」

 1年という時間の重みをひしひしと感じながら、チーム最年長のベテランは今日も明日もコートに立ち続ける。この頼もしいキャプテンに率いられる女子日本代表は、2大会ぶりのメダル獲得に向けて、ここから突き進んでいく。

 2021年夏、信頼できる仲間たちと泣き笑う荒木絵里香の姿が今から待ち遠しい。

(画像制作:Yahoo!ニュース)
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【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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