権力側におもねる気質は何処からくるのか?最も湘南らしくない湘南映画が物語ること
大磯を舞台に、地元で生きるしかない男たちの断ち切れない人間関係を濃密に描いた映画「ある殺人、落葉(らくよう)のころに」。日本の小さなコミュニティや大きな会社の組織でも起こりがちな問題の根源に迫ったところがあると言っていい本作の作品世界に迫る三澤拓哉監督と、キーパーソン知樹を演じる中崎敏の対談の後編。
前回の対談では前段となる「3泊4日、5時の鐘」から、「ある殺人、落葉(らくよう)のころに」までの経緯をたどった。ここからは「ある殺人、落葉のころに」の話に入る。
閉ざされた土地、小さなコミュニティに縛られる男たちの人間模様
まず、なにかしら社会や歴史に関わる作品を模索していた三澤監督は、本作のきっかけをこう明かす。
三澤「地元思いのいい人と勘違いされている気がして(苦笑)、次の作品ではエッジの利いた、社会の暗部に踏み込んでいければなと漠然と考えていたとき、『3泊4日、5時の鐘』の舞台となった旅館『茅ヶ崎館』のご主人が大磯につながりがある方で。『大磯で撮るんだったら何か自分も協力できるし、紹介できるよ』と言われたので、行ってみることにしたんです。
茅ヶ崎から大磯は、ほんとうに車で5分、10分ぐらい。近いんですけど、僕も通り過ぎるぐらいで町をめぐったことはなかった。実際、回ってみると、同じ湘南とはいえ、雰囲気がまったく違う。
あくまで僕の個人的な体感なんですけど、光と影のコントラストがはっきりしている気がしたんです。1作目の自分を一度壊して、2作目はさきほど言ったように社会や歴史の光と影みたいなことを題材に考えていたので、舞台としてはぴったりの町ではないかなと。そこから今回の作品はスタートしました」
その物語は、土建屋で働く幼馴染の俊(守屋光治)、知樹(中崎)、和也(森優作)、英太(永嶋柊吾)という男4人が主人公。大磯で生まれ育った彼らは地元からほぼ出ていない。全員の恩師で和也の叔父でもある土建屋で全員は流されるままに働きだし、現在に至る。
俊は仲間ではあるが4人の仲では孤高の存在。知樹は全員のパイプ役で、この4人の関係の継続を取り持つとともに秘かに俊に想いを寄せている。和也と英太は完全な上下関係。悪気はないが高圧的な和也に、英太は従う状態が続いている。そして、この4人の力関係は高校時代から変わっていない。
いわば閉ざされた土地での小さなコミュニティで生きる男たちの縛られた人間模様が見つめられる。
権力側になびく気質はどこからくるのか考えてみたい
それは、閉鎖的で封建的な日本の村社会や人間関係をある種表しているように映る。そういう意味で、大磯という土地に限らない、日本のあちこちのコミュニティであり、学校や会社においての人間関係や、上下関係で生じる支配構造を表してもいるといっていい。
三澤「そうですね、『日本人のマインド』といいますか。たとえばなにより世間体を気にしたりとか、なにか長い物に巻かれる権力をもった側になびく気質だったりとか、そういうものがどこからきているのかを考えてみたいところがありました。
それで、実際に大磯の歴史や町の歩みを資料で調べてみると、伊藤博文や吉田茂といった時の権力者が古くは邸宅を構えていて、そのことが良くも悪くも町に影響を及ぼしている。
ただ、これはなにも大磯に限ったことではない。あらゆる町であることなのではないか。むしろ小さなコミュニティであればあるほど、有力者はいて、その力は多方に及び、あらゆる場面でヒエラルキーが生まれるのではないか?
そのヒエラルキーは親から子へも受け継がれて、代々続いていく。その一度出来上がった構造からはなかなか抜け出せない。そういう構造が私たちが生きている社会にはあるのではないだろうか?
それをさらに深く探ると、たとえば外国人技能実習生に起きている問題だったり、僕らがアジア各国を見る目と欧米を見る目との違いだったりとか、にもつながっているのではないか、と。こうした日本であり日本の人々の中にいまも厳然とある旧態依然とした意識をことを物語にしたためられたらと考えたことは確かです」
一方、知樹役を託された中崎は脚本にこういう印象を抱いた。
中崎「一番最初に脚本を読んだとき、『自分が演じる知樹が4人の中でどういう立ち位置なのか』というのはすごく考えなくてはいけないと思ったんです。
この4人の力関係で、どう立ち振る舞えばいいのかを。
そこで話し合いの場をもったんですけど、三澤監督が『知樹はその場しのぎをしていく人物だと。その場をどうにか繕って、収める。
たとえば和也の英太に対するいじめにも近い接し方は目に余るところがある。そのことは、知樹も視界に入っている。でも、和也をたしなめることはないが、英太をいい具合にフォローする。
間違ったことを正すことはしないけど、考える範囲内で最大限波風のたたない形で関係を壊すことなく存続させようとする。
知樹はそういう人の顔色をみて、ほんとうはなにも解決はしないんだけれど、解決したようにみせる、そういう役回りで。
実は、『3泊4日、5時の鐘』で演じた知春も、似たようなところがあるというか。彼は一見すると理不尽な要求にも従って、みんなにいい顔をする。
こういう役を続けていただくということは、三澤監督から自分はそういう人間に見えているかのではないかと、ちょっと複雑な心境なんですけど(苦笑)。
ただ、その世界しか知らない段階って誰しもある。特に学生のころは、学校やクラスの中、仲間との世界のすべてで、もっと広い世界に無限の可能性があることなんて知る由もない。
僕自身は子どものころをアメリカで過ごしたこともあってか、日本に戻ってきたとき、小さい世界でなにか縮こまって生きるような学校や人間関係に、余計に違和感を抱いたところがあって。ずっと『身近なところが生きづらくて、息が詰まるぐらいだったら、すぐに切り捨てて、環境を変えてしまえばいいのに』と思っていたんですね。
ただ、僕のような考えに立ったとしても、そのコミュニティに相容れない、馴染まないので、苦しんだ時期があった。
何でこんな小さいところでみんなが右往左往するのかというか思いながらも、実際は、僕も大学までは、そうした小さな枠組みの人間関係の下に置かれて、その中で生きていた。
そういう経験を踏まえて向き合うと、余計に人間の深いところを描こうとしている作品だと思ったし、知樹の立ち位置もわかるところがあった。4人の関係性で三澤監督が何を描きたいのかも、自分の中で腑に落ちるものがあった。興味深い題材に向き合える作品だと思いました」
同じことをわたしたちはどれだけ繰り返せばいいのか?
ある種の村社会を背景に、そこに潜むブラックな人間関係を描いたドラマは、無条件に強い者になびいてしまう人間心理、気づけば自らの掟のようなものが出来上がってしまう組織の在り方、居場所を見出せず、逃げる術をみつけられないもたざる者の負のスパイラル、無条件な愛国心の危うさなど、この社会のさまざまな歪みを浮かび上がらせる。
三澤「ここ数年で、マイクロナショナリズム的な思考が強まってきている気がして、そこに踏み込みたいところはありました。
でも、何か、糾弾するつもりはあまりなくて。むしろ、みんな悪いことをしている自覚はないんだけど、無意識の中で、なにか掟のようなものができて、そこにとらわれて、ゆっくりと負のスパイラルにただ落ちていく。そういったことがいろいろな場面であるような気がする。
この負の連鎖は断ち切れないのか?同じことをわたしたちはどれだけ繰り返せばいいのか?
ちょっと問いを投げかけたいところはありました。自分自身に対しても」
SNSの混沌とした状況や不安感を表現したい気持ちもあった
作品はきわめてリアリズムのドラマとして描かれる一方で、なにか虚実が入り乱れるようなファンタジックな瞬間に出会うところもある。たとえば、堀夏子が演じる恩師の未亡人の千里、彼女に魅入ってしまう俊などは、なにか人物というよりはさまよえる魂そのもののようにも映る。
またその所在があるようでないような彼らの存在が、ちょっとした噂話が独り歩きして、勝手に流布していくような、小さなコミュニティにある性質を表しているようにも思える。
三澤「いま、SNSでは、一つの事象に対して、いろいろな説が飛び交う。拡大解釈しすぎだろうということから、陰謀論までがまことしやかに語られてしまう。なにが事実なのかわからないぐらい、いろいろなストーリーが勝手に語られてしまう。
そういう『何がほんとうなのか?』とか、『今見てるものは正しいのか?』とか、混沌とした状況がある。そこに対する、不安感を作品の中で表現したかったところがある。
そういう部分が先ほどのようななにか得体のしれない人物に映るところのつながっているのではないかと思います」
その劇中の中で中崎が演じた知樹は、先述したように、この一種の共同体をつなぎとめるキーパーソン。画面に映っているときも、映っていないときも、存在している人物というか。その場にいてもいなくても、作品は、知樹の影がちらつき、気配が漂う。
この映画で描かれる世界の傍観者であるとともに介入者でもあるといっていいかもしれない。振り返ると、「3泊4日、5時の鐘」の知春もまた作品の中で映っていても、映っていなくても存在する人物であった。
この役を中崎に託した理由を三澤監督はこう語る。
三澤「中崎さんは、すごくいい意味でですけど、ちょっと浮いてるっていうか(笑)」
中崎「それ、悪口じゃないですか(笑)」
三澤「いやいや、異物感があるというか(苦笑)。何かを見ている時、焦点がその表面ではなく、その中に当てられている。そういう目をしているように感じたんです。『3泊4日、5時の鐘』のときに。なにか目の前で起きることを、自分事として見ているような、みていないような。直視しているようにも、全く別の何かを見ているようにも。
それが『知樹』そのもののように思えて、この役は中崎さんしかいないなと。なので、知樹はあてがきなんです」
中崎「三澤監督にとって、それが俳優としての僕の長所といわれたら、そうなんでしょうけど。周りから見た長所って自分にとっては嫌いなところだったりするので、ちょっと複雑な気持ちですね。
ただ、三澤監督が描くところできちんと役割を果たせているのならばうれしいです」
三澤「いや、中崎さんは、僕の描く世界の体現者で、もう欠かせない大きな存在です」
中崎「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
「ある殺人、落葉のころに」
監督・脚本:三澤拓哉
出演:守屋光治 中崎 敏 森 優作 永嶋柊吾
堀 夏子 小篠恵奈 盧 鎮業 成嶋瞳子 大河原恵
ユーロスペースほか全国順次公開中
場面写真およびポスタービジュアルは(C)Takuya Misawa & Wong Fei Pang