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マンガにまつわる無数のトラブルから見える4つのパターンとは? 『日本マンガ事件史』

飯田一史ライター
満月照子+桜井順一『日本マンガ事件史』(鉄人社)

原発事故以降、福島県では放射線を浴びた人からの鼻血被害が多発していると描いた『美味しんぼ』が福島県民への差別表現だと抗議を受けた件、

小学校の図書室で『はだしのゲン』の閲覧制限をすべきとの声があがった件……

このようなマンガをめぐる事件・トラブルは昔からたびたび起こってきた。

1930年代から2010年代までに起こった数々の事件を紹介する満月照子+桜井順一『日本マンガ事件史』(鉄人社)が去る6月11日に刊行された。

この本から見えてくるのは「事件にはパターンがある」そして「これらの事件はマンガ以外のほぼすべての業界においても無縁ではない」ということだ。

■事件・トラブルの4つのパターン

筆者なりに4つに集約すると

1.差別的表現、教育上よくない(と抗議者が考える)表現に対する民間団体や個人からの抗議

2.カネ・権利をめぐる作家・企業のトラブル

3.政治的思惑による当局からの介入

4.諸外国の人々に読まれたことによって生じた政治・文化・宗教的摩擦

この4つにほとんどまとめられる(もちろんこれにあてはまらない、梶原一騎による暴行・脅迫事件や、花輪和一の短銃所持事件のような例外はある)。

逆に言えば上記4点に注意を払っていけば大半のトラブルは回避できる。

また、この4点はマンガに限らずどの業界においても注意・配慮すべきことでもある。

つまりマンガをめぐる事件のほとんどは、社会経済活動を行う多くの人にとっても無縁な話ではない問題が関わっている。

少しだけ、具体的にこの3つそれぞれにたとえばどんな事件があったか見てみよう。

1.差別的表現、教育上よくない(と抗議者が考える)表現に対する民間団体や個人からの抗議

 人種差別や性差別、LGBTQに対する差別などの問題が毎日のように話題になるようになったのは2010年代以降だが、マンガ界ではそれ以前から何度も差別表現が問題誌されてきた。

 この本で取り上げられているのはギャグマンガ『昆虫図鑑』における夜間中学に対する差別表現、『ビッグ錠のギャグ・ギャング』におけるアイヌ差別、『くるくるぱぁティー』における受験ノイローゼや精神疾患に対する差別、『村田対星親子』における部落差別や身体障害者差別、『おカマ白書』への同性愛者差別であるとの抗議、『王様はロバ』への学童擁護員に対する差別……などである。

 その多くがギャグマンガでの描写である点は注目に値する。外見や出身地など特定の属性をいじって笑いを取る作法自体が今日では問題視されるようになってきたが、かつては今以上に横行し、一部は強く抗議され、徐々に「そうした表現はよくない」という常識が形成されていったことがわかる。

 また、今日では信じられないほどに、おおよそ1970年代まで、マンガはPTAなどから「教育上よくない」とされ、たびたび「悪書追放運動」の槍玉に挙がっていた(もちろん近年でも、少年誌での性描写に対する批判はしばしば起こっているが、その比ではなかった)。

 有名なのは先日亡くなったジョージ秋山が「週刊少年マガジン」で連載していた『アシュラ』の人肉食描写に対して全国PTAが起こした不買運動だろう。

 振り返ると、これらの抗議のなかには、行きすぎなものもあった。たとえば「週刊少年ジャンプ」連載のウンコネタ満載のギャグマンガ『トイレット博士』に対して1万枚も内容証明郵便で抗議を投稿した茨木のPTAはさすがにやりすぎで、ほとんどクレーマーと言っていいだろう。批判のロジックも「自分の子どもに胸を張って見せられるのか?」など曖昧だった。

「低俗」「俗悪」なるレッテルを用いての抗議には、差別表現への抗議とは異なり、その後につながる生産的な動きはあまり起きていない。今で言う「お気持ち」案件的なものが目立つ。

 しかし、とはいえたとえば性・暴力などの過激な表現を子どもに読ませるな、といったもっともな面については、ほとんどの場合は対象年齢別に雑誌を分け、たとえば「小学生以下が読むマンガではここまで」といったかたちで出版社側が表現に対する自主規制を行い、ゾーニングすることで対応するようになった(もっとも、その後も性描写に関してはたびたび過激化の揺り戻しが起きて問題になっているが)。

 また、1981年春に日本消費者連盟が、マンガ単行本の吹き出し文字の小ささが子どもの視力に悪影響を及ぼす可能性を示唆し、出版社各社に対して文字拡大や印刷の鮮明化を求めた動きはその後反映され、改善された。

 振り返ってみると、意外にもこうしたタイプの抗議の大半は「表現の自由を萎縮させる」とか「クレーマーの暴走」といったものより、「差別はよくない」「対象年齢に応じて表現の自主規制をし、ゾーニングするべき」といった今日常識的とされる価値観の形成に貢献してきたように思われる。

2.カネ・権利をめぐる作家・企業間のトラブル

『ベルサイユのばら』が舞台化された当初、クレジットと権利料をめぐって作家の池田理代子と宝塚歌劇団と起きたトラブル、同人誌で発表された『ドラえもん』最終回(二次創作)があまりの反響ゆえに藤子プロと小学館が同人作家に抗議した事件、『ライオンキング』と『ジャングル大帝』をめぐる登用疑惑、さらには商標無断使用、写真集からのトレース、原稿紛失事件といった問題が『日本マンガ事件史』では紹介されている。

 こうした事件を顧みると、時代が下るごとに良くも悪くも権利意識が広がり、著作権に関する常識が更新されていったという過程がよくわかる。

3.政治的思惑による当局からの介入

 マンガ表現に対するお上からの介入といえば、エロマンガを警視庁が摘発するというものが真っ先に浮かぶだろうが、それだけではない。

 戦前には国家による柳瀬正夢のプロレタリアマンガの弾圧、戦後すぐには『黄金バット』に対するGHQの介入があり、1981年には矢作俊彦と谷口ジローによるハードボイルドマンガ『Official Spy Hand Book』が日中関係悪化のおそれから厚生省から抗議を受けたり、2010年代に入っても、文化庁メディア芸術祭の展示で反原発マンガが展示拒否されたりしている。

 4つ上げた事件のパターンの中でも、もっとも恣意的で基準が曖昧な抗議がこれであり、「差別をなくす」「権利の盗用・濫用をやめる」ことにつながる事件とは異なり、抗議に従うことで社会がよくなったと言える事例がほぼまったくないという特徴がある。

4.諸外国の人々に読まれたことによって生じた政治・文化・宗教的摩擦

 日本のマンガが日本国内で閉じていた時代には起こらなかったトラブルが、2000年代以降に起こるようになった。

 たとえば『ジョジョの奇妙な冒険』でエジプトのモスクをモデルに描いていたことから修正の必要が生じたり、肌の露出が多いマンガが性描写に厳しいAppleから弾かれたり、アングレーム国際漫画祭で従軍慰安婦問題をめぐって日韓の場外バトルが発生したり、といったものだ。

 これに関しては、日本側が積極的に他国に対して主張していくべき点と、日本のマンガ業界側が他国の文化や各宗教を尊重し、国際的な常識・潮流に従うべき点の両方がある。

 いずれにしても世界的な潮流を見て多文化・多宗教に配慮して作品づくりをしなければならない時代になったことは間違いない。

■野蛮な時代から多様性の時代へ

1.差別的表現、教育上よくない(と抗議者が考える)表現に対する民間団体や個人からの抗議

2.カネ・権利をめぐる作家・企業のトラブル

3.政治的思惑による当局からの介入

4.諸外国の人々に読まれたことによって生じた政治・文化・宗教的摩擦

いずれもマンガに限らずほとんどすべての産業でこれらをめぐる事件は起こってきたと書いた。

トラブルを経るなかで、野蛮な時代から多様性重視の時代に変わってきた。

もちろん、繊細な配慮がなされていなかった時代だからこそなしえた乱暴な表現がもつ強度もあることは否定しないが、今日、表現のバックラッシュが現実的に可能かと言えばそうではない。

われわれはどんな表現・商売をしなくなった/できなくなったのか、今何ができるかに対して自覚的になりたければ、歴史を辿るしかない。

日本マンガ事件史

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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