ここ数週間の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)では、ある爆笑問題への批判記事に対する反論を太田光が繰り返し行っている。
それは聴く人が聴けばみっともない野暮な行為かもしれないが、それ故、芸人あるいはテレビタレントととしてのプライドがにじみ出ていてとてもカッコいい。
また、その反論の中で『サンデー・ジャポン』(TBS)は「全員で時事ネタ漫才をやる」というコンセプトで立ち上げたなどと思わぬ貴重な証言が飛び出したりもした。
中でも、爆笑問題の漫才の構造について語った内容はそのまま「テレビ論」になっており興味深いものだった。
先の批判記事に限らずよく爆笑問題の漫才に対する批判としてあげられるのは「ストーリー性がない」ということだ。基本的に「時事ネタ漫才」のため、短い時事ネタを連ねている。そのつなぎの部分が甘いというものだ。これは実際本人もそのために覚えにくいなどとネタにしたりしている。だが、このネタの構造にもちゃんと理由があったのだ。
つまり、爆笑問題の漫才は、テレビ視聴者の特性に合わせて、いつチャンネルを合わせても、途中からでも見てもらえる漫才をやってきたのだ。
■バカッター芸人
同様に、爆笑問題を批判する際、よく言われる言説が、太田に対し「つまらない」ボケを繰り返しているという点だ。
相方や共演者に対し、からかうようにしょうもないことをしつこく言ったり、必要以上に騒いで進行の邪魔になったりする。
そういった自らのテレビの芸風を太田は「バカッター芸人」と自嘲する。
太田がこうした芸風になったのは『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ)の頃からだった。
それまで爆笑問題といえば尖った芸風。どちらかといえば斜に構え、常に考えぬかれた「面白いこと」しか言わないタイプだった。
だが、この頃から大きく芸風が変わっていく。その変化を敏感に感じ取ったマキタスポーツは当時の心境をこう振り返っている。
マキタスポーツが読んだというインタビューは恐らく98年9月号の『広告批評』だろう。この号は「これが爆笑問題だ!」と題した約50ページに及ぶ爆笑問題の大特集号だった。該当のインタビューの聞き手は橋本治だ。
■「野暮」に生きる
こうした心境の変化はどのように生まれたのだろうか。
そのきっかけのひとつが実は雑誌の連載だったと明かしている。
それは、ネット配信もしている中京テレビのローカル番組『太田上田』の中で中京テレビの新入社員から「色々なメディアが台頭し、テレビのおかれている状況は厳しくなってきています。お二人の立場からこれからのテレビマンに必要なことはなんだと思いますか」という質問に対して、太田が考える「テレビ」について答える際に、自らの若手時代を振り返って答えたものだ。
爆笑問題は『ボキャブラ天国』出演の少し前の1994年4月から「爆笑問題の日本原論」という現在も掲載誌を変えながら続いている連載を開始している。
当時はまだテレビでの活躍の場も少なかった若手芸人の一組に舞い込んだ連載の仕事。太田は気合が入った。自分の尖った笑いを詰め込んだ渾身の原稿を提出した。
もうひとつ太田のスタンスを決定づけたことがある。それはビートたけしの存在だ。
太田はビートたけしに憧れて芸人になった。
そんな太田が、ビートたけしの著書『時効』(文庫版)に「解説」を寄せている。
ビートたけしという“本物”がいるから、自分が“偽物”であるとことをつきつけられてしまう、という太田。だから「偽物が本物に近づくための唯一の手段」である「学習」をするしかないと綴り、こう続けている。
つまり、太田光が「つまらない」ボケを繰り返すのは、「テレビ」という特性と自分の芸人観を考え抜き、導き出したものなのだ。「野暮に生きる」ことこそ、太田光のテレビ芸人としての生き方なのだ。