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『山本ジャパンへの楽観と不安』

木村公一スポーツライター・作家

今更かも知れない。年も明けて随分と経ち、「お詫び」というのもどうかと思ったが、WBCの話題に入るには、やはりお詫びをせねばならない。当コラムの一回目に「代表監督はソフトバンクの秋山監督に内定」という”誤報“を記してしまったことだ(まさに今更、か?)。結果的には周知のように、秋山監督は王さんの要請をも拒み、代表監督は「保険の保険」(連盟担当記者)とされていた山本浩二氏へとお鉢が回った。それこそ当時のことを蒸し返す愚行は避けるが、とまれ“誤報”は訂正せねばならない。陳謝です。

で、山本監督である。

就任当初は、その評価に「?」ばかりが付いて回った。地味なキャラも禍したが、最たる要因は北京五輪時のコーチとしての評判が芳しくなかったためだ(これこそ今更話か?)。打撃の人が守備コーチを任されたのは気の毒だったとしても、ノックはキャッチャーフライが満足に上げられず、「生涯初めて(本人談=当時)」という三塁ベースコーチは、本番の北京に入っても打者に伝達ミスすることがあった。いくら王さんが「人柄の良さは代表監督にうってつけ」と推挙したとはいえ、荷は重いと思われた。

ところがコーチや選手の人選に入るや、「なるほど」と頷かせる、なんとも手堅く効果的な人事を推し進めた。

適材適所のコーチ人事

まずコーチでは、守備部門で高代延博、投手部門で与田剛の両氏を入れた。いうまでもなく彼らは09年の前回大会でコーチを務めた二人だ。これまで代表チームのコーチはあえて同じ人物に任せず、持ち回りかと思わせることが多かった。いきおい、選手よりコーチの方が国際大会初体験、という頼りない事態を招きもした。だが今回、二人が加わったことで確実に、そして短時間にチームはまとまると見る。高代コーチは前回、サンディエゴなどでメジャー関係者から「芸術的」とまで称されるほど正確、かつ実戦に近いゴロを打てる職人だ。三塁ベースコーチに至っては広島、中日、オリックスなどで長きにわたり経験済み。実は北京五輪で山本氏が三塁ベースコーチをする際、「サインの出し方」をA4レポート用紙数枚にわたってまとめ、提供したのが他ならぬ高代コーチだった。二人は法政大学の先輩後輩、広島でも監督とコーチという間柄だが、そんな学閥を抜きに、高代コーチの起用は当を得た人選だったと思う。高代コーチなら、アメリカの球場の天然芝でゴロがどのようにバウンドするか、しないか。球審にどのようなジャッジの傾向があるか。初めて対戦する投手が牽制する際にクセがあるかどうか。すべて知り、また察知出来る。おそらく、山本監督は宮崎での強化合宿初日から、なにもせず高代コーチが仕切って消化されていく練習を見ていればいい。

与田コーチは前回大会、コーチの経験がない上での抜擢で不安視する向きもあったが、ブルペン担当コーチとして的確にベンチとの意思疎通をこなした。現役時代に主に抑え役を担っていたことも幸いした。先発投手しか経験のない投手コーチとは異なり、合宿から大会の流れの中で、具体的な投手の調整方法、疲労度の見極めなど細かなバックアップを務められた。舞台がアメリカに移ってからも、日本とは異なる、慣れない構造のブルペンにもかかわらず、フィールドでの試合展開とリリーフ陣の投球練習のタイミングを正確に計算していた。さらには大会終盤、抑え役を藤川球児からダルビッシュ有にスイッチした時期も、中継ぎ陣に動揺を与えることなく、ときとして憎まれ役にもなって投手陣をまとめた。それはブルペンでの投手たちの「生理」を熟知し、把握していたからこそ出来たことだ。

野球という競技は、優れた選手を集めても、ただそれだけでチームにはなり得ない。とくにプロの場合、12球団あれば12通りの野球スタイルや考え方がある。練習でもそれぞれのペースというものもある。なまじ実績がある選手たちが集まるだけに、そうした顔ぶれをひとつにまとめるのは、実は至難の業なのだ。だが彼らのようなコーチが加わることで、ときに緩衝材となり、ときには水先案内人として、チームをまとめていける。

ただし、いくらコーチが適任者でも、彼らがプレーするわけではない。本当の意味で選手をまとめていけるのは、とにプレーする選手同士だったりする。

09年大会でグーの拳でダルビッシュを送り出す与田コーチ。
09年大会でグーの拳でダルビッシュを送り出す与田コーチ。

井端、相川というベテラン起用の意味

今回、山本監督は概要が発表される前の段階で、井端弘和内野手(中日)と相川亮二捕手(ヤクルト)を真っ先に選んだ。これには正直、唸らされた。実績では勿論、代表に加わっても不思議のない二人だ。しかし「絶対に入る」というクラスではない。ベテランといえばそれまでだが、「ならば○○だっていいじゃないか」と別の選手を推したい声も出るだろう。

理由は、二人の共通点にある。井端は2001年のIBAF野球ワールドカップ以後、アテネ、北京五輪に参加するなど、国際大会の感覚を日本のプロ選手の中でも最も認識している選手のひとりだ。それだけに監督やコーチの思いも理解出来る。実際、北京五輪のときなどでは、キャプテンの宮本慎也(ヤクルト)のサポート役として心を砕いた。当時、宮本はこんなことを言っていた。「キャプテンと言っても、年も離れてくると若い選手の心理を掴みきれないときがある。そんなとき、井端のような選手が、若手の声をすくって僕に届けてくれた。反対に僕の考えをまともにぶつけたら衝突しそうなときは、彼が代わりに伝えたりしてくれた」

いわばキャプテンと選手のパイプ役。相川も同様にグランドでのプレー以外の役割を担える貴重な存在だ。アテネ五輪も前回WBCも、代表にこそ入ったが、主な役割はブルペンの裏方に徹して投手たちの球を受け続けた。相川自身、今回の代表入りが決まった際に、こんなコメントを残している。「僕がなにを求められているか、わかっているつもりです」

そんな二人を山本監督は真っ先に選んだ。前述の高代、与田の二人と井端、相川の四人。地味なポイントに思われるかも知れないが、真っ先にこの四人が決まったことで、山本ジャパンの背骨が出来上がったと思った。それも、山本監督が北京五輪での苦い経験を教訓とした証に感じられる。

イチロー不在をいかに埋めていけるか。それも山本監督の問われるところ。
イチロー不在をいかに埋めていけるか。それも山本監督の問われるところ。

国際大会での危機管理の重要性

こうした人材がより効力を発揮するのは、チーム状態が良いときではなく、悪い方向に崩れていきがちなときだ、と思う。打者が活発に打ち、投手が完璧に抑える。そんな試合展開ならコーチなどいらない(それだけの選手の集団なのだから)。まとめ役の選手も同様だ。問題は打てなくなったとき、抑えきれなくなったときに、監督を中心とした首脳陣が選手という駒をいかに使い分けるか。使い切れるか。将棋では「死に駒」という表現があるが、野球もしかり。

それも国際大会という、ペナントレースとは異なる雰囲気の中、熟慮する時間的余裕も許されない中で、瞬時の判断を求められる。いわば危機管理こそが、首脳陣が最も時間を費やし、気に留めるべき要素なのだ。

だから監督には「経験」が求められる。それも国際舞台という特殊な経験が豊富なら、なお良い。その点が、やはり山本監督の唯一の不安要素と言わざるを得ない。広島の監督を辞して8年。北京五輪があったとはいえ、いわゆる“試合勘”から遠ざかっていることは否めない。評論家として試合は数多く見て来ただろう。だが評論家が長い人ほど(無論、例外はあるが)、“評論家グセ”がついている場合が多いのだ。試合を見つつ、無意識にも結果論でプレーを判断してしまう傾向だ。

投手の継投であれ、打者の攻撃であれ、「いまは○○が良かったから抑えた」とか「○○だったから打てなかった」と、ついつい結果から分析、判断して解説することが多くなる。しかし監督に結果論は必要ない。大事なのはむしろ目の前のプレーが、これからどうなっていくかを瞬時に予測し、対応する判断力なのだ。こればかりは山本代表監督としては、決定的に欠けているポイントだ。

しかしそれを自覚していたからこその、前述の人事と考えれば……。性格的にも豪快そうに見えて、実は相当繊細な性格だとも聞く。ある代表チーム関係者が言っていた。「山本監督の口グセは“俺は選手たちをよく知らないから”。」なのだとか。だから可能な限り時間を作って選手と接し、その中で自分も知って貰いたいと考えているのだと。コーチ・ミーティングでも持論を展開し押しつけるのではなく、聞き役に回ることが多いとも聞いた。

結果は、わからない。だが少なくとも、山本ジャパンは期待に応えるだけの野球を披露してくれるだろう。四人の人選からは、そんな期待感を抱かせる。

プロ野球のキャンプが始まり、やがては宮崎での強化合宿も始まる。本番は、もう目の前だ。

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スポーツライター・作家

獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテイターも。でもここでは国内野球はもちろん、他ジャンルのスポーツも記していければと思っています。

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