「メンドーザ・ライン」の最終打席◆敬遠四球の特異日!?…【5月22日のMLB】
◆2019年5月22日
ニューヨーク・メッツ傘下のAAAに在籍していたラジェイ・デービスが、昇格の知らせを受ける。ウーバーの車を手配し、2時間以上かけてシティ・フィールドに到着した時、試合は3イニング目に入っていた。さらに、デービスはクラブハウスにたどり着くのに迷ったが、8回裏に代打で起用されると、3ラン本塁打を打った。当時のデービスは38歳。このホームランは通算62本目。
◆2004年5月22日
オークランド・アスレティックスが、レジー・ジャクソンの背番号「9」を永久欠番とする。ニューヨーク・ヤンキースは、レジーが1993年に殿堂入りした直後、彼の背番号「44」を欠番とした。
◆1990年5月22日
シカゴ・カブスのアンドレ・ドーソンが、敬遠四球で5度歩かされ、1試合の最多記録を更新する。1打席目と4打席目と6~8打席目。16回裏に1死一、三塁からドーソンが歩いて出塁した直後、デーブ・クラークがサヨナラ安打を打った。それまでの最多は、1962年にロジャー・マリスが記録した4度(12イニング)。こちらも、5月22日の試合だった。9イニングの1試合最多は、バリー・ボンズの4度(2004年5月1日と9月22日)。
◆1982年5月22日
テキサス・レンジャーズのマリオ・メンドーザが、代打として起用され、送りバントを決める。野選により、自身も一塁に生きる。31歳ながら、これがメジャーリーグでは最後の打席となった。通算686試合で打率.215、出塁率.245、4本塁打、12盗塁。1979年はシアトル・マリナーズで、遊撃のレギュラーとして自己最多の148試合に出場したが、打率.198に終わった。打率.200を指す「メンドーザ・ライン」は、当時、チームメイトのトム・パチョレックとブルース・ボックティーが言い出したジョークだという。この年、2人の打率は.287と.316だった。メジャーリーグを去った後、メンドーザは母国のメキシカン・リーグで39歳までプレーした。2000年にメキシコの殿堂入り。
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