【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条義時も知らなかった、菊地凛子さんが演じる妻「のえ」の裏の顔
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時の妻「のえ」が不穏な動きを見せている。「のえ」について、詳しく掘り下げてみよう。
■「のえ」とは
ここに来て、再び菊地凛子さんが演じる「のえ」の存在がクローズアップされている。「のえ」は生田斗真さんが案じる源仲章と会話をしていたが、「まるでメロドラマだ!」と話題だった。
もともと北条義時の妻は、比企朝宗の娘の姫の前だった。建仁3年(1203)9月に比企の乱が勃発したので、義時は泣く泣く姫の前と離縁した。比企氏との縁を切るためだ。そこで、妻として迎えたのが「のえ」だった。
「のえ」は一般的に「伊賀の方」と称される女性で、生没年は不詳である。「のえ」の父は伊賀朝光で、伊賀守に任じられたので、伊賀氏を称したといわれている。「のえ」の兄弟には、光季、光宗などがいた。
比企の乱において、朝光は北条方に味方して軍功を挙げた。朝光は「のえ」を義時の妻に送り込むことで幕府での確固たる地位を確保すると同時に、義時の外戚として子の光季、光宗も重用された。
■「のえ」の暗躍
先のことであるが、「のえ」が強かな女だったことが判明する。貞応3年(1224)7月、夫の義時が亡くなったが、必ずしも死因が明らかなわけではない。いまだに謎である。
一説によると、義時は「のえ」によって毒殺されたという。その事実は『明月記』に書かれているが、ほかに裏付ける史料はなく、事実か否か判断し難い面がある。あまりに衝撃的なので、慎重な検討が必要だろう。
義時の死後に勃発したのが、伊賀氏の変である。「のえ」と義時の間には、のちに7代執権となる政村という一子があった。「のえ」らは娘婿の一条実雅を将軍に、政村を執権にしようとしたという。しかし、このクーデターは失敗し、「のえ」らは流罪になった。
■まとめ
ドラマに登場して以降の「のえ」は、何となく不審人物として描かれてきた。なぜ、義時がそのことに気付かないのか不明であるが、いずれ少しずつバレるのかもしれない。