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ぶっ飛んだ名作ドラマ『無能の鷹』が最終回に見せた恐ろしい展開の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:REX/アフロ)

痛快で笑えるドラマ『無能の鷹』

『無能の鷹』は痛快なドラマであった。

笑えるドラマだった。

最初から最後まで徹底してほぼ無意味なドラマだった。だから見ていてずっと楽しかった。

このドラマを見ると、ふつうのドラマを重く感じてしまうくらいだ。

主人公が困難に遭って立ち向かうのに共感すると、おもしろいんだが、それはそれでどこかちょっと重くなっているのだなと気づく。

菜々緒のとっつきにくさを逆手に取る

『無能の鷹』のヒロインには共感しにくい。

鷹野ツメ子(菜々緒)は、見た目には「とても仕事ができる雰囲気で満ち満ちているキャリアウーマン」であるが、実態は無能。正真正銘の無能である。

菜々緒は、その見た目からスーパーな存在であるから、もともととっつきにくい。共感しやすいキャラを演じても、どこか馴染みきれないところがある。

そうならばいっそ、まったく共感できないキャラクターにしたらどうか、ということなのだろう。まったく人の気持ちがわかっていない女性に仕立て上げた。

するととてつもなくおもしろいドラマになってしまった。

なかなかすごいところである。

優秀な小学生以下の能力

鷹野ツメ子(菜々緒)はどういう育ちをしてきたのか不明であるが、あらゆる単純作業ができない。たとえばコピーが取れない。パソコンを起動できない。「燃費」という漢字も読めないで「もえぴ?」と聞いてきていた。

いろんな能力が、優秀な小学生以下である。

ふつう、こんな社会人は存在しない。

共感できる部分がない。

鷹野ツメ子は誤解されて仕事を取ってくる

でも、鷹野ツメ子は、仕事できるオーラが凄い。

なので、初対面の他社の人にはほぼすべて有能な人と勘違いされる。

その誤解に乗っかって、相手の好感情をうまくすくいとって、一緒にいた者が難しかった商談をまとめあげる、という展開が毎回つづいた。

ぶっ飛んだドラマが一周まわる

でもオフィスにいるときは、まったく働いていない。

『無能の女』はかなりぶっ飛んだドラマであった。

さらに最終回ではまたぶっ飛んで、ぶっ飛びすぎて、一周回ったようになった。

彼女たちのいる営業部が閉鎖となって、同僚の営業部員は、全員解雇だと言われる。

でも鷹野ツメ子は、画期的なロボットの開発に助力したということで、アメリカシリコンバレーのビッグ企業に転職することになった。

就労ビザのことをピザと勘違いしているし、また「パスポートってパスしてもいいんだよね」というレベルの知識しかないまま、それでも彼女はアメリカに渡った。発音はいいが英語は喋れないらしい。それでも渡米するところがすごい。

存在しない鷹野ツメ子がみんなに見えるという不思議

このあと少し奇妙なシーンがある。

営業部が閉鎖される日、みんなでお別れ会を開いているところに、アメリカにいったはずの鷹野ツメ子が現れるのだ。みんなと写真を撮る。

その場にいた同僚たち11人は、彼女と一緒に写真に写る。

とおもったのだが、じつは彼女はそこにはいなかった。

写真に写っていない。

彼女はそこに来ていなかった。

鷹野ツメ子は実在したのか

鷹野ツメ子なるものは、本当に存在したのか。

ひょっとして、会社勤めのみんなが、何か楽に感じられるよう、みんなで一緒に作った共同幻想だったのではないか。

ぶっ飛んだドラマは、意外な方向の謎を出してきた。

鷹野ツメ子は、営業でときどき奇跡は起こす。

言葉遣いと態度は立派で、挨拶もじつに立派にこなす。たぶん好意的に見ている人を元気にさせてくれる。

でも会社にいるあいだ、何ひとつ業務をこなしていない。

無害なら、こういう存在がいてもいいかもしれない。でもリアルにいるとたぶん邪魔な存在のはずである。

鷹野ツメ子は相手にされない

最終話で鷹野ツメ子がヘッドハンティングされるもとになったロボットは、もともと何の役にも立たないという部分を売りにして、世界中で反響を呼んだ。

でもやはり役に立たないということでリコールされて、捨てられた。

彼女もアメリカの会社はすぐに首になって、しかも首になったことに気づかないでそのあともしばらく通っていたという。

最終話の後半になって、鷹野ツメ子のような存在は、社会からそもそも相手にされない、という当たり前のことが示されることになった。

ぶっ飛びドラマがもう一つぶっ飛んでもとに戻ってしまったということでもある。

かなり怖いドラマでもある

鷹野ツメ子の同僚だった鶸田くんが、就職活動するがすべて落ちまくり、最後の最後にたどりついた会社で「鷹野ツメ子のような自己PR」を展開して、採用された。

オフィスに出社すると、どうやら自然豊かな地方にあるらしいが、そこに行けば、鷹野ツメ子がいた。

あいかわらず「ドローンのテスト」と「ドロンすればいい」の違いを把握できないまま、パソコンで猫動画を見ていた。

こんな小さい会社では、すぐさま馘首されるはずだが、働いている。

そういうドラマであった。

見ようによっては、かなり怖いドラマでもある。

名作ドラマは菜々緒の快演が成り立たせていた

いろんなふうに解釈できるだろう。

彼女のような存在であっても、立ち居振る舞いによっては、居場所はあるのかもしれない、というふうに見るのがもっとも穏当なところ。

みんな正常だとおもっていても全員で同じ感情を抱くと、存在しないものが見えてしまうのかもしれない。

そもそも彼女がまわりを騙しているだけかもしれない。

そういうふうに捉えることもできる。

でも、全話をしっかり楽しませてもらったものからすると、気になるところはあったが、あまり深く考えないほうがいいとおもう、というのが正直なところだ。

元気になるドラマだったから、これはこれでよかったのだとおもう。

ある種の名作ドラマだったと言えるだろう。

菜々緒の快演がすごすぎる。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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