【河内長野市】町の発展のために唯一無二の名物を!南天苑山崎社長が語る、楠木正成甲冑隊への思いとは
河内長野は市の7割が山で構成され、さらに中世のものなど歴史を感じる建物が多くありますね。とはいえ、全国的にみるとまだまだ知名度が低い気がします。さて、先日5月25日前後の日曜日に、恒例行事でもある観心寺の楠公祭がありました。
私も毎年楠公祭に足を運ぶので、今年も5月26日に観心寺まで行ってきました。
ちょうど、僧列が楠木正成の首塚に向かって歩いているところでした。
観心寺の楠公祭は、国歌君が代の斉唱から始まり、例年通りに行事が粛々と行われています。
昨年に続いて今年も、元HE BLUE HEARTS(ブルーハーツ)の梶原徹也さんのドラムの奉納がありました。今年も魂が激しく揺さぶられるような素晴らしいドラム奉納でした。ただ法要としての楠公祭なので、ドラム奉納が終わった直後、みんな拍手をしようとしたのを慌てて止めて、一礼していたのが印象的でした。
ところが、この楠公祭の参加者の中に武者の甲冑(かっちゅう)を着て現れた人たちがいました。この人たちは楠木正成甲冑隊で、左側の人はあまみ温泉南天苑の山崎一弘社長です。
南天苑といえば、県境の駅天見にある高級温泉旅館として有名ですね。建物は日本銀行本店や東京駅の丸の内駅舎を手掛けた建築家の辰野金吾(たつのきんご)が設計しているので、大手メディアに度々取り上げられています。南天苑自体が河内長野の観光スポットのひとつです。
またインバウンドの訪日外国人も多く宿泊しています。上記動画は訪日外国人向けの英語の動画(日本語字幕付き)ですが、大阪市内の喧騒から離れた場所として南天苑に宿泊しているシーンがあります。
そんな南天苑の山崎社長が、なぜ甲冑姿で楠公祭が行われていた観心寺に姿を現したのでしょうか?事前に楠木正成甲冑隊を結成したことを知った私は、楠公祭が始まる数日前に南天苑の山崎社長に真意を伺おうとインタビューをしました。
山崎社長によれば、河内長野の歴史や自然が素晴らしい町であることはわかっていても、日本国内には同様の場所は数多くあるため、観光資源としては弱いのではと考えているそうです。国宝が多くある町といっても京都には勝てないし、自然なら北海道や沖縄などには及ばないとのこと。
山崎社長は日本で、できれば世界でここにしかないものがなければ観光の目玉にはならないと考えていました。例えば奈良公園には放し飼いのように野生の鹿が数多くいますが、鹿が市内の公園に普通にいるような町は、日本国内はもとより、世界中を見ても恐らく奈良くらいしか思いつかないのではといった具合です。
では、そんな日本や世界でオンリーワン的な観光的なものはないのかと考えた時、河内長野を含めた南河内地域が日本の歴史の中心的な場所だった鎌倉末期から南北朝時代にかけてを取り上げるのがいちばんしっくりくるのではないかと。
この時代に活躍したといえば、楠公さんこと楠木正成です。皇居外苑にも銅像があるほどの正成なので、彼を町おこしに利用できれば、日本や世界でも河内長野を含めた南河内地域がオンリーワンになれると山崎社長は考えたのです。
そして山崎社長は、楠木正成で連想できるものとして、刀、甲冑、兜、鎧など、侍文化と歴史を国内海外に向けて情報発信、地域の独自性としての活動を展開しようというのです。
例えば正成の愛馬「千早丸」は有名ですが、愛刀の「小竜景光(こりゅうかげみつ)」のことを知っている人は意外に少ない。しかし山崎社長によれば、ゲームの世界で名前が知られたため、若い人は意外に知っているとのこと。山崎社長は、この愛刀についても河内長野から情報を発信すれば町おこしにつながるかもしれないと考えています。
ちなみに甲冑は、かつて日本の武将が着用して戦ったもので、世界的にみてもオンリーワンなものですね。端午の節句のときに飾られる五月人形も甲冑のミニチュアです。
ところが、南天苑には本当に人が着用できる本物の甲冑が複数あるというのです。「様々な理由で南天苑に集まった甲冑たちを町おこしに活用できないか?」と、山崎社長は考えました。
そして山崎社長は楠木正成甲冑隊を設立しました。昨年ぐらいからそんなことができればという気持ちはありましたが、直接のきっかけは、町おこしについて研究を行っている奈良の大学生と知り合ったことで一気に結成につながりました。
山崎社長は、楠木正成甲冑隊の趣旨として次のように熱く語りました。
結成後の楠木正成甲冑隊の現時点での活動は次の通りです。甲冑五領をコスプレ使用して地元などのイベント等に参加し、インスタモデル、歴史案内人として活躍します。(※甲冑・鎧の数え方が領)
- 2023.10.21・22 「500日前!EXPO Fes!」
- 2024.5.19「河内長野市市制施行70周年記念事業」
- 2024.5.26「令和6年楠公祭」
楠公祭の最後は来賓・関係者や一般参列者が焼香を行ないましたが、関係者として楠木正成甲冑隊が読み上げられました。こうして兜をとった甲冑隊の面々が首塚に向かいました。
楠公祭が終わった後、首塚の前で観心寺の永島住職の弟さまと記念撮影を行いました。
さらに河内長野を代表する来賓方と、南天苑のおかみさん、そして手前にいる女性は「大楠公の歌」を歌う河内長野出身ソプラノ歌手の西尾薫さんです。皆さんと記念撮影を行い、いよいよ今回のメインイベントが始まります。
楠木正成甲冑隊のメインイベントは観心寺から甲冑姿で歩いて南海三日市町駅に向かい、そこから電車で天見駅、南天苑を目指すというものです。楠公祭の後、せっかくなので甲冑隊の後をついていくことにしました。
南天苑のおかみさんが楠木正成甲冑隊のサポート役です。甲冑を着て記念撮影するのと、三日市町駅まで歩くのでは勝手が違うと、歩くのに邪魔なものはあらかじめ外すことにしました。
甲冑隊は首塚から観心寺の金堂方面に歩きます。左に見える建掛堂は、本来正成が三重塔を立てるために初層まで完成した段階で湊川で討ち死にしたために、未完のまま急遽屋根を付けたものなので、独特の形をしているという寺伝のある建物です。
秘仏で年に2日間御開帳がある如意輪観音が安置されている金堂の前でも記念撮影。
金堂からの階段を下りていく甲冑隊です。
山門の前でも記念撮影を行います。
ここで、手に持っている旗を置くことになりました。聞けば旗を持って歩くと道路交通法違反になる恐れがあるからとのこと。またひとつ勉強になりました。
もちろん大楠公像の前でも記念撮影です。
いよいよ三日市町駅まで歩きます。ちょうど観心寺KUーRIさんの前を通過しました。
enさんの前を通過しているところです。ここにはかつて松中亭という旅館がありましたが、現役旅館の南天苑関係の皆さんが前を通過するのは、なんとなく不思議でもあり面白いですね。
観心寺バス停の前を通過します。甲冑は15kgの重さがあります。そのため歩くだけでも相当体力がいるとのこと。
晴天の中を歩いていく甲冑隊。実は5人いた甲冑隊は4人になっています。理由は隊員のひとりが体力的に三日市町駅まで歩くのは難しいと判断したからです。無理をして大きなトラブルが起こってはいけません。賢明な判断ですね。
甲冑隊は歩道沿いを淡々と歩きます。この辺りは下りなのですが、それでも大変そうです。
やがて葛ノ口バス停前を通過しました。まっすぐ行けば河合寺を経由して河内長野駅方面に行けます。左に曲がれば三日市町駅方面となる分岐点です。
甲冑隊は三日市駅方面を目指します。「落ち武者みたいにならないように歩こう!」と山崎社長の声が響きます。
途中に見えた鳥居は笠松稲荷神社です。かつて地域の人は観心寺と笠松稲荷神社の両方をいっしょに参拝したという由緒ある神社です。
清見台東口バス停の前を通過します。
ここでは少し登りなどもあり、甲冑隊も苦労しています。山崎社長が声をかけながら後ろに続く若者たちに檄を飛ばしていました。
やがて東中学校のある日東町と昨年リュウゼツランが咲いたことで話題となった清見台を結ぶ高架橋を甲冑隊は通過します。
高架橋を過ぎるとあとは三日市町駅まで降りが続きます。地元の住宅販売業者「アローラホーム」と書かれている看板のイルカが、笑顔で甲冑隊を応援しているように見えるから不思議ですね。
ここでわらじにトラブルが発生したようです。おかみさんと同様に甲冑隊のサポートをしている女性が心配そうに様子を見ます。
甲冑隊は声を出しながら三日市町駅に向かって頑張って歩きます。
思わず動画にまで撮影してしまいました。
三日市町駅に最も近いバス停まで来ました。あと一息です。
ついに南海電車の線路と三日市町駅が見えてきました。
三日市町駅は左に曲がれば改札口にすぐ行けますが、ここは正成由来の楠公学問橋を渡ります。
楠公学問橋を渡る楠木正成甲冑隊。
フォレスト三日市の建物が見えてきました。
楠木正成甲冑隊は寄り道します。それは、正成が幼少のころ、加賀田にある大江時親邸に毎日通って兵法を習ったという伝承を基に設置された石像の前です。
ということで石像の前で記念撮影です。
甲冑隊は駅を目指します。途中すれ違う人や車は「何ごとか?」とみんな驚いていました。始めの第一歩なので仕方がありませんが、こんな小さなことが地域の人に知れ渡り、やがて町おこしにつながるのではと思いました。
甲冑隊はエレベーターで改札に向かいます。
そしてエレベーターから出てきました。不思議な光景ですね。
不思議な光景はさらに続きます。サポート役のおかみさんが切符を購入し、切符で改札に入ります。
改札を通り抜ける甲冑隊。駅員さんも驚いているように見えました。
ホームに降りてきました。
三日市町駅も天見駅も通過する特急こうやが通り過ぎました。
今度は両方の駅に停まる急行が入ってきました。
電車に乗り込む楠木正成甲冑隊の皆さん。
電車の中のようすです。乗客はスマホを見ながらもみんな甲冑隊を気にしていました。当然ですね。
冷房の効いた車内でくつろぎの様子の甲冑隊、わらじでここまで歩いたのは本当にすごいですね。
電車は天見駅に到着しました。
天見駅から南天苑は目と鼻の先です。
最後の力をふり絞るかのように歩いていく甲冑隊。
天見駅の改札を出ます。
この日は日曜日なのでいませんが、もし平日だったら天見小学校に通う児童と遭遇していたかもしれません。そうしたら児童たちはどんな表情をしたのでしょう?
最後の坂を下る楠木正成甲冑隊。
南天苑の建物が見えてきました。
赤い欄干の橋を渡れば南天苑です。
という事で南天苑に到着しました。
私は最後までついていったので、気が付いたら楠木正成甲冑隊のストーカーみたいになってしまいました。それでも最後は甲冑に触らせていただきました。ものすごく重いです。これを頭にかぶってここまで歩いていたとは驚きです。
最後に山崎社長は今後の活動について教えてくださいました。
- 各種イベントへの参加
- Youtube、ショートムービー、SNS等の視覚的コンテンツの制作
- 『中世の甲冑展(仮称)』の開催
- 楠公武者行列の再開
- メンバーの増強と甲冑及び旗指物など備品の購入など
今回は5人だったので、10人以上いたらもっと迫力があるかなということでした。特に新しいメンバーを増やしたいそうなので、楠木正成甲冑隊に興味のある方は、南天苑の山崎社長に問い合わせてみてはいかがでしょう。
1回目だったのでまだまだ小さな活動だった楠木正成甲冑隊ですが、これからどんどん大きくなっていくような気がしました。
今年は湊川の戦い楠木正成が戦死して689年を記念しての楠公祭ということで、あと11回でちょうど700回になります。11年後の700回記念のときには、楠木正成甲冑隊が河内長野の町おこしにはなくてはならない名物になりそうな気がします。
あまみ温泉南天苑(楠木正成甲冑隊)
住所:大阪府河内長野市天見
アクセス:南海天見駅から徒歩2分
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