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世界よ、これが逆王手だ! 渡辺明名人(37)角打ちの逆王手から大熱戦を制して名人戦七番勝負3勝1敗

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成:筆者)

 5月19日・20日。長野県高山村「緑霞山宿 藤井荘」において第79期名人戦七番勝負第4局▲渡辺明名人(37歳)-△斎藤慎太郎八段(28歳)戦がおこなわれました。

 19日10時に始まった対局は20日21時15分に終局。結果は133手で渡辺名人が勝ちました。

 渡辺名人はこれで3勝1敗。名人位防衛まであと1勝としました。

 第5局は5月28日・29日、神奈川県箱根町・ホテル花月園でおこなわれます。

 渡辺名人と斎藤八段の通算対戦成績は、渡辺6勝、斎藤3勝となりました。

「矢倉を制する者は棋界を制す」

 本局は渡辺名人先手、名人は初手、角筋を開きました。戦型は本シリーズ3回目の矢倉模様に進みます。後手番の斎藤八段は急戦をにおわせる現代風の作戦で臨みました。

 1日目、昼食休憩明け。それまで玉を動かさなかった斎藤八段は32手目、玉を一つ立ちました。中央二段目に玉を構える「中住居」(なかずまい)という布陣で、これが斎藤八段用意の作戦でした。玉を堅く囲うことはできないデメリットはありますが、バランスがよいメリットもあります。

 対して渡辺名人はその中住居に向かって上から攻めていきます。6筋、5筋の歩を突いて仕掛けました。

渡辺「わかんなかったですけど、行くところかなと。あそこは行かないと、あんまり作戦として面白くないんで」

斎藤「(中住居は)作戦だったんですけど、△6四角って上がる前に仕掛けられてしまったので、少し失敗してしまったかな、といいますか。中住居っていうのが、そもそもどうだったのか。それより急ぐべき手があったかもしれないですね。ちょっと仕掛けが見えてなくて。そこからはずっと自信がなかったですね」

 斎藤八段は仕掛けに意表をつかれて自信がなかったようですが、形勢は互角です。

 41手目、渡辺名人が金を立ったところで1日目終了。斎藤八段が42手目を封じることになりました。今期七番勝負はここまで3局、すべて渡辺名人が封じていました。本局が斎藤八段にとっては、タイトル戦初の封じ手となります。

 1日目を終わって形勢は互角。ただし持ち時間9時間のうち、残りは渡辺名人6時間1分、斎藤八段3時間51分と差がついています。時間配分も当然、勝負の重要な要素です。

 2日目朝、立会人の青野照市九段が封じ手を開きます。

青野「封じ手は△5五歩です」

 斎藤八段は42手目、盤上中央天王山、5五の地点で当たりになっている歩を取る順を選んでいました。

斎藤「5五歩取ると争点になるというか。5五をねらわれてしまうので。本当は他の手で辛抱しようかなと思ったんですけど。どれもちょっと苦労が多かったな、というか。本譜も自信がないんですけど、長く戦えそうな順を探してたっていう感じで」

渡辺「(封じ手あたり)はあんな感じかなと。△8六歩の突き捨てが入るかどうかという感じで。受け方としてはそうですね、△6四角かな、とは思ってたんですけど」

「5五の位は天王山」

 そんな古い言葉があります。現代将棋の序中盤で当てはまる例はそれほどありませんが、本局の場合はまさにその盤上中央の地点が争点となりました。斎藤八段は角銀銀で5五の地点を支え、渡辺名人は飛角金銀で圧力をかけていきます。

名人、初王手

 47手目、渡辺名人は角を切って銀と刺し違えます。進めば駒割はほぼイーブンに戻りますが、先に駒損をするので思い切った攻めに見えます。局面が大きく動き、駒の交換がおこなわれながら、渡辺名人は飛車を走り、初王手をかけながら天王山を突破。1歩得に成功しました。

渡辺「(中央で)駒の総交換になったところは一応1歩得だったんで、それで主張でまあ、少しいいかなと思ったんですけど。なんかちょっと、何手か指したら、あんまり成算がなくなっていたんで。ちょっとどこかおかしかったかなっていう。はい」

 将棋は必ずしも先に王手をかければいいというわけではありません。その気になれば序盤数手で王手はかけられます。「初王手、目の薬」という言葉は、昔の目薬のように、それほど効能がないことを示すという解釈もあります。

 また「王手は追う手」という言葉もある通り、終盤で王手をすればするほど、勝ちが逃げていくという状況もあります。

 本局の場合、斎藤玉は中住居で正面から攻めを受け止める形なので、はからずも早い段階で王手がことになりました。渡辺名人が先攻し、斎藤八段がしっかり受けて、局面はバランスが保たれ、形勢に差はついていません。

 1歩を損する代償に貴重な手番を得た斎藤八段、渡辺陣に角を打ち込み、桂を跳ね出して反撃に出ます。駒割は金銀と桂の交換で渡辺名人が大きな駒得。対して斎藤八段は飛と馬(成角)の威力を背景に、合わせの歩、垂れ歩、継ぎ歩と歩の3連打で渡辺玉に迫る形を作りました。

斎藤「やはりまだ苦しいと思ってたんですけど。7二金っていう形がどこまで損になるかっていうと、けっこうきわどいかもしれないと。ちょっと元気が出てきたんじゃないかなと一応思っていて。そうですね、△8五歩、継ぎ歩が効けばもしかしたらなにか勝負できるかもしれないと思っていたところでした」

 77手目。渡辺名人は飛車を元の位置から左に一つ寄せ、斎籐陣に直通させます。斎藤八段は先ほどの歩の3連打で歩切れ。そこをついて厳しい攻めにも見えました。

 しかし78手目。斎藤八段はタダで取られる場所に銀を打つ勝負手を放ちました。相手の飛車の縦の利きを止めるため、歩があれば歩ですむところ。そこへ銀をたたきこむのですから、大変な迫力です。タダで取られるとは言っても、本当にタダだとばかり桂で取ってくれば飛車筋が止まり、手番が交代して斎藤八段勝ちになります。とはいって、飛車で取れば馬と交換され、飛車を持たれて渡辺玉はさらに危険にさらされそうです。

斎藤「継ぎ歩するところで長考したときに一応見えたので、うーん、まあ、成否はわかんなかったですけど、一番きわどい変化かなと思ってやっていきました」

 複雑きわまりない局面を前にして、渡辺名人は時間を使って考え、そのまま18時、休憩に入りました。第2局、第3局は途中で差がついて、夕休に入る前に渡辺名人勝ちで終わっています。本局は勝敗不明のまま夜戦へともつれこみました。

渡辺「▲3八飛車でちょっと余してるのかなと思ったんですけど△3七銀が・・・。そうですね、なんか・・・。そのあとの変化がちょっとわかってなくって・・・」

 ともかくも本局は、中終盤の変化がどれもすさまじく難解だったようです。

まれに見る難解な一局

 18時30分、対局再開。ここまで時間をかけて考えているはずの渡辺名人も、すぐには盤上に手が伸びません。休憩の30分をはさんで52分を使い、シンプルに同飛車と銀を取りました。

渡辺「うーん、夕休以降はなんかあんまり、そうですね、先手にとってどの変化もあんまり思わしくなかったんで。うーん。まあ成算はなかったですね、夕休以降は」

 86手目。斎藤八段は手にした飛車を渡辺陣に打ち込みます。自陣の飛車と合わせて2枚の威力で、渡辺玉を上下はさみうちにする態勢を築きました。

 残り時間は渡辺1時間14分、斎藤11分。ここもまた難しい局面でした。

「コンピュータ将棋ソフトの評価値を見ればいくらか差はついているらしいけれど、人間の目には難解」

 そんな状況は頻出します。いずれそうした状況を一言であらわす新時代の言葉が生まれてほしいものです。

 比較的残りに余裕のある渡辺名人は、時間を使って考えます。しかし明快な答えは出なかったようです。34分考えて、当たりになってる自玉そばの銀をかわしました。きわどいう受け方です。

 ここでソフトは代わりに▲3四角と、斎藤玉へ王手をかける角打ちを最善として示していました。それで渡辺名人よしなのだそうです。しかしそれもまた難解な順です。渡辺名人も当然、その攻防の角を読んでいました。

 渡辺「一番肝(きも)の変化なんですけど、それがちょっとよくわかってない。(△4三金と)金上がられて負けかなと思ったんですけど。それ(▲3四角)が効けば勝ちなんですけど、効かないから負けかなと思ってやってました。再開明けで考えて、▲3四角断念してるんで。そこでちょっと形勢としては、粘る感じに切り替えてというか。そこまでは▲3四角効けばいいかなと思ってたんですけど。ちょっとそこで方針を変えてというか」

 第一感で目につく攻防の角は、とりあえず王手なので打つことができる人もいるかもしれません。しかし名人が成算が持てないというわけですから、それでよしと読み切って、その先ずっと正解を指し続けられる人もいないでしょう。

 終局直後、開口一番、渡辺名人はこのあたりについて振り返りました。

渡辺「なんか角、3四から効かないんで、負けかなと思ったんですけど」

斎藤「ああ・・・。そうですね。なんかありそうな・・・気がしたんですけど」

渡辺「やっぱ角効かないですよね」

斎藤「(盤上4三のあたりを指差しながら)金で・・・」

 あとは細かい変化の確認が続きます。両対局者、そして検討陣もこの変化を読み切れてはいませんでした。

 成算が持てなかった名人は相手玉に王手をかけず、他の順、自玉周りの駒を動かしてきわどい粘りで勝ちを探しました。

 88手目。斎藤八段は先ほどまで銀がいた空間に、すっと金を引きます。これもタダです。「終盤は駒の損得より速度」の格言通り、スピード重視で渡辺玉を寄せていきます。実に見応えのある攻防。もし斎藤八段が勝っていれば、寄せの妙手順として称賛されていたでしょう。形勢は逆転して、わずかに斎藤よしです。

斎藤「△6九飛車のときに▲3四角が効かなければ、うーん、けっこう面白くなってきたかなというか。なんか攻防手みたいな手が増えてきた感じだったので、チャンスが来たような気もしていたんですけど」

 95手目。渡辺名人は自玉の頭に銀を打って粘り続けます。流れがよくない中、最善の順を選んで踏みとどまります。またもやここも難しい。残り11分の斎藤八段は決断を迫られます。

 斎藤八段は貴重な6分を割いて銀を打ちます。王手。しかし斎藤八段は喜んで王手をしたかというと、そうではありません。

斎藤「△6六銀っていうのがなんか受けにいったようで飛車の聞きを止めてるんで、中途半端だったかなと思います」

 さらに斎藤八段は天王山に銀を打ち、駒を取りながら攻め続けます。しかし「王手は追う手」の言葉通り、渡辺玉を右辺へと逃し、貴重な手番を渡すことになりました。局後、斎藤八段はこのあたりを悔やみました。

斎藤「(チャンスが来たかと思った局面から)数手進んで▲5六銀打が見えてなかったので、うーん、そこで間違えたか。もともとまだわるかったのか。そこが一番間違えてしまったかな、というか。結局なんか先手玉を、右に右に逃がしてしまったので。そこが一番、わるい手を続けてしまったかな、というところでした。(なにが最善だったかは)ぱっとは思い浮かばなくて(苦笑)。対局中はどの手もけっこう怖い思いをするので、指せなかったという感じだったんですけど。でもどれか覚悟を決めてやるしかなかったのかもしれません」

 103手目。渡辺名人はついに角を打って斎藤玉に王手をかけます。水面下の変化ではずっと現れていた角打ちを、ここでようやく放ったわけです。

 104手目。斎藤八段は三段目に金を上がる「移動合」で王手を受けます。9時間の持ち時間を使い切り、一手60秒未満で指さなければならない「一分将棋」に追い込まれました。

 ソフト示す形勢は再び名人よし。残り時間も差がついている。しかし勝敗は依然不明です。

名人、逆王手!

 110手目。手番を得た斎藤八段は2筋に飛車を回って成り返り、四段目の渡辺玉に王手をかけます。渡辺名人は龍(成飛車)の利きをさえぎるため、何か駒を打たなければなりません。

 111手目。渡辺名人は合駒に角を打ちました。

 この角は遠く斎籐玉にまで利いています。自玉の王手を防ぎながら、相手の玉に王手。これぞまさに本来の意味での「逆王手」です。

 逆王手でいいのならば、これほど気持ちのいい順はありません。そして名人はこのあたりではっきり、形勢好転を感じたようです。

渡辺「自玉が寄らなくなって、はっきり勝ちになった瞬間はあったんですけど。▲2七角のあたりで一手寄らなくなったんで(相手玉に)詰めろ続けば勝ちなんですけど」

 112手目。斎藤八段は金を四段目に上がってしのぎます。2回の角打ちの王手に対して、2回の金の移動合。この攻防も実に見事でした。

渡辺「(▲2七角と逆王手をし)そのあとちょっとなんか寄せ方がおかしくて。ちょっとわかんなくなってしまった。寄せ方がおかしかったかもしれないですね。▲2七角のあたりは勝ちだと思ってやってたんですけど」

 まだ明快な順は見つからない。しかし名人は大きなミスをすることなく、ゴールに向かって進み続けます。

 113手目。渡辺名人は桂で相手陣二段目の金を取り、詰めろをかけました。8分を使って残りは21分。ここは持ち時間が残っていたのが幸いしました。もちろんそれは偶然ではなく、名人のゲームプランによるものです。

 116手目。斎藤八段は二段目までに引き戻されていた玉を三段目に立ち、粘り続けます。斎藤玉の上部はかなり広く、渡辺名人が寄せ損なえば入玉も見えてきます。手に汗握る最終盤の攻防は続きました。

渡辺「ちょっとスマートな勝ち方ではなかったかな、というか。読み切ってやってたわけじゃなかったんで。もうちょっと・・・。なんかあったかなとは思いますけど、はい」

 渡辺名人は王手をかけながら、最後に斎藤陣の飛車を取ります。玉を上段に逃がす寄せで、ともすれば「王手は追う手」となってしまいます。しかしここでの選択は正しく、勝ちを確かにする順でした。

 斎藤玉はついに中段五段目まで逃げてきました。受けが難しい斎藤八段は渡辺玉に詰めろをかけ、下駄を預けました。あとは斎藤玉が詰むや詰まざるやです。

 125手目。渡辺名人もついに一分将棋に入りました。第1局と同じく、両者ともに持ち時間9時間を使い切ったことになります。

斎藤「まだこちらもちょっと、詰み筋が最初見えてなかったので。どうかなと思ったんですけど。やはりちょっと駒を持たれすぎてるかなと思います」

「中段玉寄せにくし」の言葉通り、斎藤玉はそう簡単にはつかまりません。しかし名人は時間が切迫する中、詰みを読み切りました。

渡辺名人、初防衛まであと1勝

渡辺「最後ちょっと詰みが錯覚で、簡単に詰みだと思ってたんで。そうですね、そこははい、ちょっと・・・。詰みが発見できてよかったなという感じですね、はい」

 渡辺名人の寄せに追われながら、斎藤玉はついに渡辺陣にまで足を踏み入れます。

 133手目。渡辺名人は金を打ち、王手をかけました。斎籐玉は上下はさみうちの形。盤上左隅の桂香までぴったり利いて詰んでいます。

 斎藤八段は水を口にしました。投了の際、声がかすれないようにするために、水を飲む棋士もいます。

「30秒」

 そこまで読まれたところで、斎藤八段ははっきりした声で「負けました」と告げ、頭を下げました。渡辺名人も一礼を返し、ついに大熱戦に幕が降りました。

 手数は133手と平均より少し長いぐらいです。しかし水面下では幾筋もの難解な変化が存在し、大変に密度が濃い一局でした。終局図を見ただけでも、大熱戦の余韻が伝わってきそうです。

 渡辺名人は3勝目をあげ、名人位初防衛まであと1勝と迫りました。第5局は8日後におこなわれます。

渡辺「来週またすぐあるので、いままで通りしっかり準備をして臨みたいと思います」

 対して斎藤八段は「カド番」に追い込まれました。

斎藤「カド番にはなりましたが、気持ちを切らさず、前を向いてやっていければなと思っています」

 長い名人戦の歴史でも、1勝3敗からの大逆転は、過去に1度しかありません。

 本シリーズははたして、どのような結末を迎えるのでしょうか。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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