伯楽のダービー回避で思い出される英国遠征を含めた幾つかのエピソードとは……
ラストダービーの最終切符を手中に
東京競馬場での5週連続GⅠ。2週目となる今週末は古馬牝馬のGⅠ・ヴィクトリアマイルが行われる。ここに有力馬であるグランアレグリア(牝5歳)を送り込むのが美浦・藤沢和雄調教師だ。
「順調に来ています」
そう語る1500勝トレーナーだが、先週半ばにはまさに“順調”だったはずの馬を“使わない”事で話題を呼んだ。
5月1日に行われた青葉賞(GⅡ)。ここで2着となったのが藤沢の管理するキングストンボーイだった。日本ダービーと同じ東京芝2400メートルが舞台の青葉賞は正にその頂上決定戦のトライアル。2着までにダービーの出走権が与えられるのだ。今年の9月には70歳となる藤沢は、来年の2月を持って定年により厩舎を解散しなくてはならない。つまり、ダービーは今年がラストチャンスで、期限ぎりぎりその最終切符を手にしたわけだ。
伯楽と、朗報を喜んだ1人の男の関係
この朗報に喜んだのが同業者の鹿戸雄一だ。騎手時代は藤沢のサポートをした仲の鹿戸は言う。
「むしろこちらが助けていただきました」
2001年には騎手として通算300勝を達成した鹿戸だが、丁度その頃から減量に苦しめられるようになった。そこで調教師への転身を考えると、手を差し伸べてくれたのが藤沢だった。
「『うちで勉強すれば良い』と厩舎へ招いてくださり、調教師としての基礎から教えてくれました」
とくに覚えている事が2つあった。1つは05年のゼンノロブロイのイギリス遠征。
「インターナショナルSに挑んだロブロイについて、約1ケ月、ニューマーケットに滞在しました。なかなか出来ない経験をさせてもらいました」
また、もう1つは調教師試験で不合格になった時の話だった。1度落ちると次に受験出来るのは1年後。ハードな勉強をしたにもかかわらず門扉が開かれなかった時のショックは大きく、まずはひと休みしたいと思った鹿戸。その胸の内を見透かすように藤沢は言った。
「休まずに今すぐ勉強をしなさい」
叱咤激励され、07年、3度目の受験で難関を突破。08年に開業した。
「藤沢先生がいたからこそ合格出来たと思っています」
今年、開業14年目となる鹿戸は、皐月賞馬エフフォーリアでダービーに臨む。その大一番で、師匠と呼んで差し支えのない男と戦える事を喜んだのだ。
最後のダービーを放棄した理由
しかし、喜びも束の間、伯楽から思わぬ発表があった。
『キングストンボーイ、ダービー回避』
レース中に怪我でもしたのか?と、早速、藤沢に電話を入れて聞いてみた。
「ロブロイもシンボリクリスエスも持ったまま坂を上がって来て青葉賞を勝った。それでもダービーでは2着に負けた。青葉賞で何とか2着を確保しているようではダービーで勝ち負けにならないでしょう」
理屈的にそうだとしても藤沢の調教師人生で最後となるダービーである。何があるか分からないのが競馬なのだから、権利がある以上、行使したくなって当然ではないだろうか。そう問うと……。
「私の最後のダービーなんていうのは馬には関係ない事。キングストンボーイは無理をさせなければまだまだ良くなる馬。彼のためにここは“やせ我慢”をさせてもらいます」
思い出された1つの逸話と2頭の馬
今回の発表を“思わぬ発表”と先述したが、実は権利を取った時からこんな事もあるのではないか?と思っていた。というのも、「使わない」という意味で、過去にあった1つの出来事と2頭の馬が頭に浮かんだからだ。
1つの出来事は14年の話だ。この年、藤沢は矢作芳人と激しいリーディング争いを繰り広げた。結果、藤沢が53勝、矢作は52勝で最後の週を迎えた。この最終週、矢作は16頭の攻勢をかけてきた。そして、2勝を上積みしこの年の勝ち星を54とした。
これに対し藤沢は僅か4頭を使ったのみ。リーディングの座は逆転で関西の伯楽の手に渡った。この時、「何故、藤沢先生も攻勢をかけなかったのか?」と問われると、彼は答えた。
「私がリーディングを取る目的で沢山、馬を使うなんて気は頭からなかった。リーディングを取れなかったのは自分が至らなかったからですよ」
勘違いしていただきたくないのは、矢作がリーディングのために沢山走らせたというわけではないという点。そもそもが出走数の多い厩舎であり、その上で勝ち星も多いのだからつまり“手掛ける馬の多くを走れる状態にしている事”が立派な調教師なのである。そして、実際に逆転したのだから何も間違ってはいない。そもそも最終週に何頭使おうが何勝しようが、そこまでの積み重ねがなければリーディングは争えないし、取れない。矢作は無理して16頭使ったわけではなく、使えるから使っただけであり、だからこちらはこちらで素晴らしいのだ。リーディングを争う2人なのだから、当然といえば当然だが、どちらの姿勢にも感服させられたものである。
藤沢に話を戻そう。今回のキングストンボーイのダービー回避で、思い出された馬が2頭いる。
サイレントハピネスとダイヤモンドビコーだ。
前者は1995年、オークストライアルの4歳牝馬特別(現フローラS)を、後者は01年に秋華賞のプレップレースであるローズSをそれぞれ快勝した。しかし、いずれも本番には使わなかった。藤沢は語る。
「トライアルを使って本番という臨戦過程を誰もが考えるわけだけど、自動的に行くものだと決めつけては駄目でしょう。競馬ぶりや状態を考慮して、“本番も含めて”次にどこへ向かうかを判断しないといけないでしょう」
英国遠征時の伯楽の言葉
この思考がどこから来ているかはシンプルだ。
「馬にとって何がベストかを常に考えていれば自然とそう思うんじゃないかな……」
無理させない事で馬が成長し、その後、もっと大きな成果を運んでくれるケースがある。我慢する事が自分にも厩舎にも反映されるマイレージなのだ。しかし、今回のキングストンボーイはどうか。ダービーを我慢させ、1年後に開花したとしても、その時、藤沢はトレセンにいない。つまり、藤沢は自分のためには使えないマイレージをそれでも貯め続けているのだ。
ここでダービー回避を耳にした際の鹿戸の弁を記そう。
「最高の舞台で一緒に競馬が出来なくなったのは残念だけど、いかにも藤沢先生らしいですね」
ゼンノロブロイのイギリス遠征時にはこんな逸話があった。到着に合わせて1度、現地入りした藤沢が体調を崩したのだ。後に藤沢は言った。
「馬じゃなくて良かったよ。(体調を崩したのが)馬だったら、たとえ海外だろうと使わずに帰国させますよ」
ヴィクトリアマイルに古馬のマイルGⅠ完全制覇が懸かるグランアレグリアも、思えば桜花賞を勝ちながらも3歳時にはその後2回しか使わなかった。それが後の本格化と密接に関係しているのは疑いようがない。マイルに戻って捲土重来を期す今週末、藤沢最後のヴィクトリアマイルに注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)