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星になったアグネスデジタルの香港カップ(GⅠ)制覇を振り返る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2001年、香港C(GⅠ)を制した際のアグネスデジタルと四位洋文騎手(現調教師)

芝とダートでGⅠを制し海の向こうへ

 週末の香港国際レースが迫った8日、アグネスデジタルが星になった。

 2000年にダートのユニコーンS(GⅢ)を勝ったアグネスデジタル(栗東・白井寿昭厩舎)は、これまたダートの武蔵野S(GⅢ)を2着した後、マイルチャンピオンシップ(GⅠ、芝1600メートル)に出走。良績はダートに偏っていたため18頭立ての13番人気に過ぎなかったが、ここで目の覚めるような追い込みを決めて優勝。芝でGⅠホースとなった。

 主戦の的場均(現・調教師)の引退に伴い、01年春以降は新たなパートナーに四位洋文(現・調教師)を迎えると、戦う舞台を選ばぬ活躍を披露する。

 盛岡でマイルChS南武杯(GⅠ)を制すと次走では天皇賞(秋)(GⅠ)を優勝。そして、続くターゲットを海の向こう、香港の香港カップ(GⅠ)としたのだ。

2001年、香港国際レースに出走するため現地入りしたアグネスデジタル(左)とステイゴールド
2001年、香港国際レースに出走するため現地入りしたアグネスデジタル(左)とステイゴールド

つながれたGⅠ連勝というバトン

 この年の香港国際レースは日本勢にとってお祭り騒ぎとなった。

 口火を切ったのは武豊。ステイゴールドを駆って香港ヴァーズ(GⅠ)に出走した。直線ではいつもと逆方向へヨレたステイゴールドの上で慌てる事なく対処すると、ゴール前猛追。F・デットーリ操るエクラールが勝つ態勢を固めたと思えたが、ゴール寸前、これをかわす。デビュー以来50戦目で引退レースでもあったステイゴールドを、ついにGⅠホースへ昇華させた。

 「さすがユタカさん」

 その手綱捌きに目を丸くしたのが四位だった。

 ところが驚くのはまだ早かった。続く香港マイル(GⅠ)を今度は福永祐一騎乗のエイシンプレストン(栗東・北橋修二厩舎)が先頭でゴール。当時は香港スプリントがまだGⅠに昇格する前だったので、この日の国際GⅠは3つ。そのうち最初の2つを日本馬が優勝したのだ。

香港ヴァーズ(GⅠ)を優勝したステイゴールド(右)と武豊騎手
香港ヴァーズ(GⅠ)を優勝したステイゴールド(右)と武豊騎手

ついに海外でもGⅠを優勝

 そして、末尾を飾る香港カップ(GⅠ)の各馬が登場した。

 アグネスデジタルはレース前日にも少し速めの追い切りを敢行されていた。

 「香港までの輸送はあったけど、そのまま競馬場での滞在になりますからね。それらを考慮して、直前にやっておこうと決断しました」

 追った理由を管理する白井(引退)はそう語った。

 こうしてレースを迎えたアグネスデジタルは逃げるのでは?と思えるほどの好スタートを切った。しかし、ハナへは行かずに最初のコーナーで下げると5番手で落ち着く。その後、徐々に進出。3コーナーで先団を射程圏に捉えると、最終コーナーでは2番手に上がり、直線へ向いた。

 「手応えがあったので、無理に抑える必要はないと思いました」

 そう語る四位にいざなわれ先頭に躍り出る。すると追い上げて来たテールアテールや差し返そうとするトゥボウグらを抑え、そのまま先頭を守ってゴールラインを通過した。

 「最初のコーナーまでが短いのに外枠だったので、外に振られて力を出せないまま終わってしまうのだけは嫌でした。だからスタートは意識して出しました。そういう意味で1コーナーまでうまく運べたのが勝因だと思います」

 そう語る四位の横で感嘆の表情を見せた福永は、当時、次のようにコメントした。

 「ユタカさんが勝って自分も勝って、四位さんには相当のプレッシャーがかかったと思います。そんな中で冷静な手綱捌きで勝った。凄いですね」

当時の雑誌に掲載された筆者撮影の写真。GⅠを制した日本の3騎手
当時の雑誌に掲載された筆者撮影の写真。GⅠを制した日本の3騎手

 ちなみに翌春、香港へ戻ったエイシンプレストンとアグネスデジタルはクイーンエリザベスⅡ世盃(GⅠ)でワンツーフィニッシュを決めるのだが、この時の勝者は福永のエイシンプレストンだった。

 閑話休題。

 この香港カップで重賞ばかり4連勝となったアグネスデジタルは帰国すると02年の初戦でフェブラリーS(GⅠ、ダート1600メートル)に出走。ここも制して芝、ダート、地方、中央、そして海外と、正に無双状態。ドバイワールドカップ(GⅠ、ダート2000メートル)こそ6着に敗れたが、安田記念(GⅠ)もレコードで優勝し、6つ目のGⅠ制覇。この年の有馬記念(GⅠ、9着)を最後に種牡馬入り。17年間の種牡馬生活を終えた矢先の他界となった。

 今回の訃報を耳にした四位は言う。

 「今年から種牡馬を引退して『ゆっくりできるんだなぁ~』と思っていただけに残念です。彼には現役時代、色々な場所へ連れて行ってもらい素晴らしい景色を見させてもらいました。感謝しかありません。天国ではのんびり過ごして休んでもらいたいです」

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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