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「2年半前に壊れかけた」柿谷曜一朗・31歳、名古屋で再出発した本音を45分間激白

元川悦子スポーツジャーナリスト
名古屋移籍で新たなキャリアを構築中の柿谷曜一朗(筆者撮影)

 セレッソ大阪の「エースナンバー8」を7年間背負い、「天才」と評されてきた柿谷曜一朗。その彼が31歳になった今年、名古屋グランパスへ完全移籍した。

「今回は今までで一番、意志の強い移籍。自分の中では意気込みが違います」

 新天地に赴いた1月、柿谷はこう語気を強めたが、4歳から過ごしたクラブを離れることに苦しみ、悩み、迷い、そして覚悟があったのは間違いない。

 彼はいかにして悲喜こもごもの過去を断ち切り、グランパスの一員となる決断を下したのか。

 ここまで胸に秘めてきた本音を今、45分間のインタビューで激白する。

日本代表入りした2013年の幻影と戦い続けた日々

「サッカー人生の中で、僕が点を取って日本代表に入った2013年っていうのは、みんなの印象に残りやすい年やったかなと思う。それが(レヴィー・クルピ&アルベルト・ザッケローニ)監督の求めることやった。『数字にこだわれ』っていうのは、今のマッシモ(・フィッカデンディ監督)も重視してますし、毎年毎年それを続けられたら文句なしやろうけど、それを成し遂げられない状況がセレッソでは長く続いた。そこに尽きると思うんです。

 クラブを嫌いになったとかそういうわけじゃないけど、本当にプレーに集中するってことができていなかったのかな。もう1回、自分がしっかりクラブやチームと向き合う必要があるなと感じていました。名古屋に来て4カ月経ちましたけど、今はそれができてる状態かなと思います」

戦う場所が変わっても華麗なプレーは健在(写真提供:名古屋グランパス)
戦う場所が変わっても華麗なプレーは健在(写真提供:名古屋グランパス)

名古屋移籍を決意した一番の理由

 柿谷はいきなりストレートに感情をぶつけてきた。U-17日本代表時代から追い続けてきた筆者と久しぶりに対面して、セレッソ時代の苦悩が脳裏をよぎったのかもしれない。偉大なレジェンド・森島寛晃(セレッソ大阪社長)が背負った8番を与えられた最初のシーズンにJ1・21ゴールを挙げ、大ブレイクを果たしたことが、逆に大きすぎる重圧になるとは、当時23歳の彼には想像もつかなかっただろう。

「自分で作り上げたあの時のイメージを崩したくなかったし、プライドとして持っていたのは確かですね。セレッソのためには同じ活躍をしないといけないって自覚はあった。監督が代わってもそうだったけど、それは自分のエゴでもあったのかな…。今、思うと自分の実力不足だっただけの話なんやけど、長くいすぎて甘やかされた分、自分もクラブへのリスペクトが欠けてたやろうし、結果を出せない俺の扱いにも困るところもあったのかな…。

 同じ生え抜き組の蛍(山口=神戸)と健勇(杉本=浦和)が移籍して、マル(丸橋祐介)と2人になった後は、マルにものすごく助けてもらいました。それはホントに感謝してます。だけど、その頃の俺はサッカーをやってなかった気がするし、やる環境にないなって感じてた。それが移籍を決めた一番の理由じゃないかなと思います」

SNSとの向き合い方も変化

 アカデミー時代からスター街道を驀進し、「クラブを背負うエース」と期待を寄せられるのは、大変なプレッシャーだろう。華々しい結果を残せば手放しで賞賛されるが、活躍ができなかったり、指揮官の戦術に合わなかったりした時は深刻だ。欧州から戻った後の内田篤人(JFAロールモデルコーチ)や宇佐美貴史、井手口陽介(ともにG大阪)らも似たような苦境に直面したことはあるが、4歳から大事に育てられてきた柿谷は彼らよりはるかに背負うものが大きかった。そのことは今一度、再認識する必要があるだろう。

 複雑に絡み合ったしがらみや重圧から解き放たれた今、彼は1人のフットボーラーとして好きなサッカーと純粋に向き合うことができている。まさに「原点回帰」の状況にいるのだ。

「ホンマにゼロから新しくもう1回、取り組める環境を与えてくれた名古屋には感謝してるし、結果で返すしかないなっていう気持ちです。まだ1点しか取れてないのは事実やし、自分でゴールを取れる選手になるべく、もう一段階ギアを上げて、チームにもフィットしていかなあかんと思います。

 SNS上では『おまえ、何しに名古屋へ、、、』みたいな書き込みをされてるみたいやけど、名古屋に来てからはSNS含めて周りの評価を一切、シャットアウトしてる。自分はそういうのを見て『メチャメチャおもろいのが来た』って楽しむタイプやったけど、物事への取り組みを変えてみることも必要かなと。とにかく今はマッシモに信頼してもらうべく、走り切れる選手になることを意識してやってます」

自分らしさを取り戻した背番号8(写真提供:名古屋グランパス)
自分らしさを取り戻した背番号8(写真提供:名古屋グランパス)

 名古屋移籍後は平均走行距離が約1km増えている。今季唯一フル出場した3月21日の鹿島アントラーズ戦でも11.147kmを記録。チーム内では稲垣祥、米本拓司に次ぐ3位に入った。「走れるニュー曜一朗」を体現しつつあるが、ここまで12試合でスタメンは8試合と全てのゲームに出ているわけではない。ランゲラック、丸山祐市、吉田豊、稲垣など絶対的な信頼を寄せる選手は連戦でも代えない傾向の強いフィッカデンディ監督だけに、「自分はまだそこまでのレベルには至っていない」と柿谷は感じているという。

「(マッシモには)使い倒されても倒れへんような姿勢を見せていかないとあかんよね。そのためにも走力の部分でもっと上げていかないと。セレッソでユン(・ジョンファン=現千葉監督)さんの時に3部練とかあったけど、朝5時50分からスタートっていうだけで走る練習はしてないし、レヴィーもゲーム形式中心。こんなキツい練習はホンマに初めてやけど、走行距離は増えてます。ただ、自分としてはボールを触る回数も増やしたい。全部を一気に求めることはムリなんで、監督の狙いを感じながら、徐々にやっていく感じですね」

「川崎を倒すためだけに戦ってるわけじゃない」

 「名古屋の曜一朗」になるべくガムシャラに取り組む日々を過ごす柿谷。その先にあるのは、まだ手にしていないJ1タイトルだ。セレッソ時代には2017年YBCルヴァンカップと天皇杯の2冠を経験しているが、当時は主力から外れていて自分の手でつかんだという実感はない。だからこそ、新天地で未知なる頂点をつかみたいのだ。

「ホンマ優勝したい。歳取って、現役でプレーできる時間が限られる中で、シンプルに1選手として何が一番やりたいかというとJ1優勝。やっぱりタイトルを取りたい、サッカーしたいってのが素直な気持ちやね。

 4月29日と5月4日に川崎フロンターレとの2連戦があるし、そこはもう天王山じゃなくて、今季の全てと言っていいくらい。仮に俺らがあかんかったら、『名古屋のせい』みたいにされるんだけはやめてほしい(苦笑)。あのサッカーにどう対抗するのかっていうのはJ1・19チームの課題だからね。

 もちろん自分らも全力で頑張るし、昨年8月に豊田スタジアムで1-0で勝った試合以上のゲームができるように最大限の準備はします。ただ、川崎を倒すためだけにJ1で戦ってるわけじゃないし、守って1点取って勝つだけじゃ絶対にあかん。5回戦って3回勝てるようなサッカーができるように積み上げていく必要があるんです。川崎は中村憲剛(川崎FRO)さんが中心となって10年以上前から積み上げてきたから今がある。名古屋も時間はかかるかもしれんけど、そうなっていくべきやと僕は思いますね」

この男には笑顔が一番似合う(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
この男には笑顔が一番似合う(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「天才」が「大器晩成」と語るわけ

 柿谷がその原動力になれば、30代のFWをあえて獲得したクラブやフィッカデンディ監督への何よりの恩返しになる。これまでのキャリアで100%の準備をして、100%の力を出し切れたことはないという彼だが、この2連戦でそれを遂行できれば理想的だ。

「2007年U-17ワールドカップ(韓国)のフランス戦のロングシュートとか、2013年東アジア選手権(韓国)の決勝・韓国戦のゴールとかいろんなことがあったけど、今が一番自分らしいし、素直に生きてるよね。

 正直、家族ができたのが一番大きいかな。

 2年半前に娘ができたんやけど、俺がしんどくなったのもその頃。そのタイミングで生まれてきてくれなかったら、自分が壊れてたんじゃないかなと思うくらい。損得なしに純粋に俺に向かってきてくれる存在ってのはホントにすごい。あいつが大きくなったら、『そこだけは感謝してる』って言うたろと思ってんねんけど。今年7月に2人目も生まれるんで、あと5~6年くらいは大丈夫かな(笑)。嫁にはホンマ、感謝してます」

 31歳になってむしろフレッシュな状態になった柿谷は「まだまだ動くぞ、31歳」を代名詞に走り続けるつもりだ。

「『大器晩成、柿谷曜一朗』ってのはいいですね。花開くのが50歳くらいかもしれない。そしたらカズさん(三浦知良=横浜FC)を超えられるね(笑)。そうなるように頑張ります」

 清々しい笑顔で45分間のインタビューを締めくくった名古屋の8番。彼が直近2連戦で打倒・川崎の旗振り役になってくれることを切に祈りたい。

■柿谷曜一朗(かきたに・よういちろう)

1990年1月3日生まれ。大阪府大阪市出身。4歳からセレッソ大阪が運営するスクールに入団し、2006年にクラブ史上最年少の16歳でトップチームに昇格。同年9月のAFC U-16選手権では12年ぶりの日本優勝に貢献し、MVPを獲得。2007年のU-17W杯は全3試合に出場した。2009年に徳島ヴォルティスへ期限付き移籍で赴き、2012年セレッソに復帰。2013年の東アジア選手権でA代表デビューを果たす。同大会での得点王獲得を機に代表に定着し、2014年ブラジルW杯にも参戦した。直後にスイス1部・バーゼルへ。UEFAチャンピオンズリーグ出場も経験し、2016年1月に古巣・セレッソに復帰。エースナンバー8を着けて5年間プレーしたが、近年は出番が減っていた。そして2020年12月24日、名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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