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「能登には来ないで」の現実~能登半島地震2か月 第3回

山田健太専修大学ジャーナリズム学科教授
珠洲市内の倒壊家屋(撮影は筆者、以下同じ)

第3回は、最大被災地といわれている珠洲についてのリポートです。

■珠洲

見附島を望む
見附島を望む

見附島周辺は壊滅状態です。とりわけ、立派な黒瓦(能登瓦、耐寒釉薬瓦)の家ほど、押しつぶされている状況があるようです。何よりも家にお金をかける風習があるとのことでしたが、よくわかります。この瓦を、解体時に破棄してしまうのではなく、いかに回収・再利用の道をつけるのかが問われているように思われます。

【追記】現地の方のお話だと、間口を広くとる設計であること、23年5月の大きな地震でも被害があり、その時のダメージに上乗せされた可能性があること、古い家屋が多く柱等の経年劣化が見られること、地震周期が木造建築の倒壊しやすいものであったこと、などが倒壊の主たる原因ではないかとお話しされていました。今後、専門的な検証が進むものと思われますが、美しいの能登瓦の風景が早く戻ることを待ちたいと思います。

見附島から鵜飼地区にかけて
見附島から鵜飼地区にかけて

墓地の様子
墓地の様子

倒壊家屋が多いなか、今回の地震が元旦に起きたことで、犠牲者が少なかったという声もよく聞きました。正月帰省で若い衆が地区にいて、かつ一箇所にまとまって過ごしていたことで、年寄りを避難・救出できたこと、お店が営業していなかったこと、などからだそうです。

旧・正院駅のホーム
旧・正院駅のホーム

ホームのベンチ上に置かれていた箱の中にノートと筆記用具が入っていた。
ホームのベンチ上に置かれていた箱の中にノートと筆記用具が入っていた。

「じしんで町がなくなりかけている。人もたくさんなくなっている。つらい。」とのノートの記述がある。
「じしんで町がなくなりかけている。人もたくさんなくなっている。つらい。」とのノートの記述がある。

旧・正院駅にあったノートを避難者に見せていただきました。

炊き出しが行われていましたが、お話を聞くとまだまだ少なく、3食冷たい食事の日が少なくないとのことです。1か月半を経て、まだこの状況であることをもっと深刻に考えるべきだと思います。

トイレも和式、体育館での段ボール仕切りの生活が、何年たっても全く改善されない国の貧困さを感じざるをえません。13年前の3.11の時にイタリアの緊急対応制度が紹介されましたが、今回もまた、同じレポートが流れることを、行政も報道機関ももっと深刻に捉えなくてはなりません。

仮設住宅の建設
仮設住宅の建設

そうしたなか、ここ珠洲でも、仮設住宅の建設が始まっていました。従来型とトレーラーハウス型が、同じ敷地に共存しています。

北國新聞社珠洲支局
北國新聞社珠洲支局

北陸中日新聞はキャンピングカーで対応
北陸中日新聞はキャンピングカーで対応

珠洲では、1月中は北國新聞は配達されていたものの、中日新聞の配達は限定的であったようです(地区により濃淡があるので一般にいえるかどうかはわかりません)。穴水では逆に、中日が1月4日から配達を再開したのに比して、北國の配達は2月に入ってからとの話を聞きました。取材態勢も悲喜こもごも。珠洲市の場合、北國新聞は社屋が無事でしたが、北陸中日新聞は被災しキャンピングカーで寝泊まりしているとのことです。このキャンピングカー取材拠点方式は、輪島市内でもテレビ局が活用していました。

■能登町と能登島

閉鎖のままのツインブリッジ
閉鎖のままのツインブリッジ

能登島は半島と結ぶ2つの橋の1つが、いまだに閉鎖中です。能登町ではスーパーがすでに営業を始めていました。メインストリートも、隆起が大変です。

営業中のスーパー
営業中のスーパー

街のあちこちで見られる隆起
街のあちこちで見られる隆起

専修大学ジャーナリズム学科教授

専修大学ジャーナリズム学科教授、専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ副会長のほか、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスの各理事、世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長などを務める。新刊に『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』のほか、『法とジャーナリズム 第4版』『ジャーナリズムの倫理』『愚かな風~忖度時代の政権とメディア』『沖縄報道』『放送法と権力』『見張塔からずっと~政権とメディアの8年』『言論の自由~拡大するメディアと縮むジャーナリズム』『ジャーナリズムの行方』『3・11とメディア』『現代ジャーナリズム事典』(監修)など。東京新聞、琉球新報にコラムを連載中。

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