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「能登には来ないで」の現実~能登半島地震2か月 第2回

山田健太専修大学ジャーナリズム学科教授
志賀原発の外観(撮影は筆者、以下同じ)

第2回は原発の話から始めます。能登半島には稼働中の原発と、かつての原発建設予定地があります。

■志賀原発

志賀原発の入口(裏側)
志賀原発の入口(裏側)

北陸電力の志賀原発は震災後、敷地内のメディア視察を一切拒否したままで、中で何が起こっているかは霧の中です。もともと震災前から、内部への取材には極めて消極的だったようで、閉鎖的な体質が伺われます。

【追記】3月7日にようやく敷地内に報道関係者の立ち入りが認められました。

アリス館志賀
アリス館志賀

能登原子力センター
能登原子力センター

花のミュージアム「フローリィ」
花のミュージアム「フローリィ」

一方で、お決まりのように原発周辺には関連施設がいろいろあり、広報には熱心なようです。アリス館志賀は原発PR館です。原子力センターはしっかり開館していました。各種研修にも利用されているようです。そのほか花のミュージアム「フローリィ」もありますが、冬季休館からそのまま閉館するのではとの話も聞きました。

志賀町の海岸線
志賀町の海岸線

志賀町領家南
志賀町領家南

志賀町は今回の地震で最大震度7を記録した場所でもあります。特徴は、1階がぺっちゃんこになっていることです。そしてもう1つの特徴はボランティアが「いない」ことです。3時間ほどの滞在でしたが、らしき人影は全く見えませんでした。ボランティアセンターも開設されていましたが、人影はありません。

志賀町ボランティアセンター
志賀町ボランティアセンター

別荘地
別荘地

ただし例外もありました。原発のすぐ脇にはダイワハウスが開発したという別荘地が続いていて、高級車が並んでいました。見た目は全く無傷です。原発の横が別荘地という光景は初めてで、なかなかっシュールです。原発のおかげとされていますが、半島全体を通じ道路がもともとよく整備されていたともいわれます(実際には、半島の海岸線を走る周回道路は通行止めが多く、回れませんでしたが‥)。

■珠洲原発

高屋の海岸
高屋の海岸

珠洲市街から高屋に抜ける道も通行止めでした
珠洲市街から高屋に抜ける道も通行止めでした

能登半島には30年前、もう1つの原発計画がありました。珠洲原発です。その建設予定地だった半島の先端・高屋地区は今回の地震の震央付近でもあり、その海岸線の隆起の状況からだけでも、「万が一」を考えると空恐ろしくなります。まだアクセス道路も仮復旧の状況で、一般車は入れない状況です。

高屋の入り口・バス停付近
高屋の入り口・バス停付近

住民運動の拠点でもあった圓龍寺
住民運動の拠点でもあった圓龍寺

高屋地区
高屋地区

それでも約30人が地区に残って生活をされています。住民運動の中心だったお寺も倒壊していました。地区入り口の反対住民の「見張り小屋」があったのは、バス停から見て右手奥の家屋でしょうか。

■ワイナリー

ハイディワイナリー
ハイディワイナリー

一転、少し明るい話も。能登半島には2つのワイナリーがあります。輪島市のハイディワイナリーと穴水町の能登ワインです。どちらも断水と停電で大変ながらも、すでに剪定作業などスタッフが忙しそうに働いておられました。現地でのギャラリー等は閉鎖中ですが、オンラインショップでの販売が再開しています。

ハイディワイナリーの入口、ワイン畑を通し門前の海岸線を望む
ハイディワイナリーの入口、ワイン畑を通し門前の海岸線を望む

被害の状況
被害の状況

能登ワインの入口
能登ワインの入口

閉館中のギャラリー
閉館中のギャラリー

剪定作業
剪定作業

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専修大学ジャーナリズム学科教授

専修大学ジャーナリズム学科教授、専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ副会長のほか、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスの各理事、世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長などを務める。新刊に『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』のほか、『法とジャーナリズム 第4版』『ジャーナリズムの倫理』『愚かな風~忖度時代の政権とメディア』『沖縄報道』『放送法と権力』『見張塔からずっと~政権とメディアの8年』『言論の自由~拡大するメディアと縮むジャーナリズム』『ジャーナリズムの行方』『3・11とメディア』『現代ジャーナリズム事典』(監修)など。東京新聞、琉球新報にコラムを連載中。

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