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あえて「普通科」の立ち位置から美術教育を行う 女子美術大学付属高等学校・中学校(1)

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
高2の美術の授業(学校提供)

日本初の女性のための美術学校

日本で唯一の美術の高等教育機関であった東京美術学校(戦後、国立東京芸術大学に内包された)には当時男性しか入学できなかった。そこで、横井玉子らを発起人として、女子でも美術を学べる高等教育機関として1901年に開校したのが私立女子美術学校(現在の女子美術大学)である。良妻賢母を目指す技芸学校ではなく、美術を通して女性の自立や社会的地位向上を実現する意図をもってつくられた。

そこに出資者兼2代目校長として関わったのが佐倉藩出身の佐藤志津だった。1915年、女子美術学校附属高等女学校開校。初代校長佐藤志津。同年、名称を私立佐藤高等女学校に変える。この年、志津は、矢島楫子(女子学院初代院長)や津田梅子(現津田塾創始者)らとともに勲六等宝冠章を受けている。女子美術大学附属高等学校・中学校の校名になるのは戦後、1951年になってからのことである。

文字通り、美術に軸足を置いた教育を行う学校だ。しかし専門学科を設ける都立の芸術高校などとは違う。あくまでも「普通科」の学校として、一般教養を身につけたうえで、美術的技巧を活かせるひとを育てることを目的としている。教育理念は「智(ち)の美」「芸(わざ)の美」「心(こころ)の美」。「心をこめてものを見る」が合言葉。卒業生には女優の桃井かおりがいる。

中学入試に実技がない理由

中学入試に「絵画」や「図工」はない。ものの観かたを学ぶところであって、単に技法を学ぶところではないからだ。絵を描くのが好きで、ぼんやりと将来は美術に関することをやっていきたいとイメージする生徒たちが集まる。「好き」という気持ちを大切に、型にはめず、美術を楽しむ。国語、数学、英語などの授業でもどこかしらに美術的な要素が取り込まれている。

卒業生の約7割は女子美術大学または女子美術大学短期大学部へ内部進学する。他大学も合わせると約9割が美術系に進学する計算だ。普通科の高校であるが、一般的な進学校とはカリキュラムや進路指導の考え方がだいぶ違う。美術科主任の遠山香苗さんに聞く。

「中学生のうちは『美術と遊ぶ』がコンセプトです。さまざまな美術的活動を通じて『好き』を育てます。そのなかで自分の向き不向きを知り、将来の方向性が見えてきます。内部進学者が多いので、カリキュラムとして受験勉強はほとんど意識していません。芸術の本質に触れさせ、生徒の独創性や主体的発想を育てることを大切にしています。また、頻繁に大学に行ったり、高大連携授業を行ったりという機会があります。高校時代に大学の単位を取得することも可能です」

受験勉強の代わりに卒業制作

世間の高校3年生が大学受験勉強で大変な時期に、女子美の高3生たちは卒業制作に取り組む。

「最終的には190cm×160cmといった大きさの絵画を仕上げます。高3の夏くらいから何をテーマにどんな作品にするのかを考え始め、2学期になると担当教員にその案をプレゼンします。1回でOKが出ることはなくて、何度も面談を重ねます。だいたい一人当たり5〜7回におよぶんじゃないでしょうか。『世の中の受験生たちはみんな必死で頑張っている。あなたたちはあなたたちのやり方で頑張りなさい』と励まします」

何度も企画を練り直し、その過程で挫折感や達成感を味わう。ただし、ネット上で情報や素材を見つけるのはNGというのがルール。街に出て取材する。自分の五感を使って自分にしか見つけられない情報や素材に触れ、自分にしかできない発想に昇華する。自己と向き合うことでもある。教員はできるだけ生徒のオリジナリティが引き出されるようにサポートする。その成果を発表するのが、毎年上野の東京都美術館で開催される卒業制作展だ。女子美の教育の集大成である。

2020年度から選択コースに「工芸・立体」も

内部進学希望者は、成績上位者から希望学部・学科を選択できる。「この先生のもとで学びたい」「この大学で研究されているこのアプローチを学びたい」などのこだわりがある生徒は、女子美術大学以外の大学に進学することもある。

「学校としては受験対策の教育をするつもりはありませんので、どんな大学に行くことになっても共通して求められる芸術分野の底流となる基礎と応用について教えるようにしています。ただし美大入試は大学によって傾向が違い、個別の対策が必要なので、外部受験を目指す多くの生徒は予備校にも通うのが実状です」

高2からはコース選択制。これまでは「絵画」「デザイン」の2つのコースからの選択だったが、2020年度からは「工芸・立体」のコースが加わる。カリキュラム上、高3では週10時間がこれらの選択科目にあてられているが、美術系以外の進路を目指す場合、この時間を英語や数学などの科目に振り替えることができる。たとえ1人でも生徒がいれば、担当の教員を付けて授業を行う。

「近年はアートの価値が各分野で見直されてきていますので、生徒たちが思い描く将来の選択肢も幅が広がっています。かつてであれば、美大出身者が自分の才能を活かして食べていくためには、美術の先生になったり、画家になったりという限られた方法しかありませんでしたが、いまはメディアでもマーケティングでもさまざまなところで美術的な観点をもった人材が必要とされていますよね」

幅広い一般教養を土台としながら、美術という明確な立場から世の中を見る。自分の興味・関心、特性を活かしつつ、しかし最終的にはそれにとらわれることなく生きる術を授ける学校だといえる。

「受験勉強か一般教養か専門教育か」ではなく

もっと女子美のような学校が増えれば、子どもたちの個性や特性がより認められやすくなる。自己肯定感も高まるだろう。社会の多様性も高まるはずだ。

理数系に軸足を置く普通科の学校は、スーパーサイエンスハイスクールなどの形ですでにある。国際教育に軸足を置く学校もスーパーグローバルハイスクールなどという形で存在する。さらには、スポーツに軸足を置く普通科、音楽に軸足を置く普通科、文学に軸足を置く普通科などがあってもいいはずだ。スーパーアートハイスクールなどというおかしな名称は不必要だと思うが。

そしてそのような特徴的な教育を行っている高校と大学が日ごろから連携し、女子美で行われている内部推薦と近い形で進学できる制度が整備されれば、そろいもそろってみんなで同じような受験勉強をして、偏差値で比べられるような教育制度が意味をなさなくなる。それこそ本当の高大接続ではないだろうか。

受験勉強がないからといって、国数英理社などを学ばなくていいということではない。女子美のように、一般教養としてそれはしっかり修めたうえで、それぞれの個性や特性を評価する進学制度ができればよい。そうすれば、一般教養教育が大学受験勉強に汚染されることも防げる。各教科の教員が、受験で点を取らせるための教育から解放され、本質的に重要な教養としての教科教育を行える。ただし、国全体という大きな規模で実施すると歪みも大きくなるので、個別の高校と大学が実情に合わせた独自のしくみをつくるべきだろう。

漫然とものを見ていても本当にそのものを見ていることにはならない。あえて視点を定めるからこそ、他視点・多視点を得ることができる。そこで初めてものの本質が立体的に浮かび上がり、本当にものを見ることができるようになる。幅広い教養を土台にしつつ、1つの視点から一点突破するからこそ、広い視野が得られる。女子美の教育を見ていると、そんな逆説に気づかされるのだ。

一般教養が大切なのか、学力担保のためにはやはり受験教育も有効なのか、実社会を生きるための専門教育に力を入れるべきなのか……。巷の教育議論は択一式になりやすい。しかしあえて視点を1つに定めることで、これらを一気通貫する道筋が見えてくる。そしてその視点は子どもたちの「好き」であるべきだ。

これからの教育のあり方を探るヒントが、女子美のような特徴的な私学の教育のなかには豊富にある。

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英語で美術についての議論ができるひとを育てる 女子美術大学付属高等学校・中学校(2)

https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20200430-00176098/

→学校ホームページ http://www.joshibi.ac.jp/fuzoku/

※この記事を首都圏模試センターのサイトで読む→https://www.syutoken-mosi.co.jp/blog/entry/entry002174.php

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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