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【世界的「心理学者」が示唆】子育てにストレスがない人がやっていること

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

タイトルにある世界的「心理学者」とはキルケゴールのことです。彼は主著である『死に至る病』の扉に「心理学的論述」と記しています。この場合の心理学とは、深い人間洞察という意味です。すなわち、現在の心理学が科学であるゆえ言及できないことを彼は丁寧に書き記したのです。

さて、その心理学的論述をもとに、子育てにストレスがない人がやってることについて、以下に一緒に見ていきたいと思います。

大人であれ子どもであれ

「心理学的論述」によると、私たちは大人であれ子どもであれ、「本当はこうしたい、こうありたい」という気持ちを持っており、それはなぜそういった気持ちを抱いてしまったのか本人にもよくわからない気持ちのことだとされています。

例えば、幼稚園児が「大人になったらサッカー選手になりたい」と言うのは、なにもテレビの影響だけではないのですね。

あるいは、小さな女の子が「大きくなったらお花屋さんになりたいです」と言うことがありますが、なぜ花屋なのかよくわからないのが常です。なんらかきれいなものが好きだという理由なのであれば、なにも花でなくてもいいはずです。でも花屋なのです。

大人も同じです。生活するだけで精一杯の人が「私は貧しい子どもの手助けをするボランティアをしたいです。まったくの無償でいいです」と言う――そういう人が以前、私のもとにカウンセリングに訪れましたが、これは理性的に考えるとおかしな発言ですよね? 自分は食えなくてもいいから他人のために働きたいという気持ちはとても崇高な気持ちですが、まずは自分自身の生命維持のために自分が食べていかなくてはならないという生物の大原則に矛盾しているのだから。

しかし、そういった気持ちを私たちはなぜか、抱いてしまうのです。

心の3つの領域

ちなみに、元祖「心理学者」であるキルケゴールによると、私たちの心には3つの領域があるとされています。「欲求」「べき論」「永遠」の3つです。

欲求というのは、食べたい、寝たいなど「〇〇したい」という言葉で表すことのできる気持ちです。

べき論というのは例えば、「受験生は勉強すべきだ。間違っても予備校の帰りにラブホテルに立ち寄ってはいけないし、そうすべきでない」など、私たちの多くが知らず知らずのうちに抱いている気持ちのことです。

3つ目の永遠が、先にご紹介した、なぜかわからないけど気づいたら私たちが抱いてしまっている気持ちのことです。 

永遠を否定してはいけない

さて、それでは、元祖「心理学者」が示唆する、子育てにストレスがない人がやっていることは何でしょうか?

答えは、自他の永遠を否定しないというものです。

自他というのは、言うまでもなく、親自身と子どもという意味です。永遠を否定したらどうなるのかは、驚くほどリアルです。

例えば、本当はピアニストになりたいのに音楽の才能や経済力に恵まれなかったゆえに製造工場で派遣社員をやっている子育て中の女性がいるとします。彼女は自分がピアニストになれないことくらい分かっています。しかし、永遠が彼女に、ピアニストという夢を見せてきます。

その夢、すなわち永遠に蓋をして、すなわち我慢をして、彼女は子育てをします。当然、その我慢が子どもに、例えば八つ当たりというかたちで向かいます。親子ともにストレスフルになります。

あるいは、子どもが「野球をやりたい」と言うのに、「野球なんかやってたら勉強する時間がなくなるでしょ」と言って野球をやらせない親がいます。子どもは野球をしていれば勉強しなくて済むという計算高さだけで野球をしたいと言っているのではありません。本人とよく話せば分かることですが、子ども自身だってなぜ自分がそこまで野球に魅了されるのかよく分かっていないのです。つまり子どもにとって野球というのは、永遠そのものです。

それを否定して子に無理やり勉強させるとやがて、子どもはおかしくなっていきます。これは具体的な例を示すまでもなく、あなたの周囲をぐるりと見渡せば理解できることでしょう。

親子問題は「べき論」が生む

現代社会は言葉と数値で割り切れないことを嫌いますから、とかく「べき論」を優先させます。すなわち因果関係のよくわからないものを排除します。その結果、例えば、あるていど学歴がないといい給料を手にすることができず、その当然の帰結として社会的弱者になると信じてやまない大人が多い。

しかし他方、人の心というのは、何百年も前から、おそらくは何千年も前から、変わっていません。すなわち、「なぜかわからないけどこれをしたい、こう生きたい」という気持ちが、計算抜きに純粋に現れてくるのが私たちの心です。それを否定してはいけないということです。

まずはあなた自身の現実と永遠の折り合いをつけてみてはいかがでしょうか。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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