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ドキュメンタリーだからって客観性が大事とは考えてない─『アートなんかいらない!』山岡信貴インタビュー

新川貴詩美術/舞台芸術ジャーナリスト
『アートなんかいらない!』より (C) 2021 リタピクチャル(以下同)

 この夏、アートにちょっかいをかけるかのようなタイトルのドキュメンタリー映画が公開される。題して、『アートなんかいらない!』。

 監督の山岡信貴が患った「アート不感症」をめぐり、アートが必要か否かを問う作品だ。展覧会で絵画やインスタレーションを見ても、山岡はちっとも何も感じないし、面白いのかどうかすら判断できない。

 そこにパンデミックが追い打ちをかける。不要不急が声高に言われ、美術館や芸術祭の中止や延期が相次ぐ中、山岡監督は30人を超えるアート関係者に話を聞きに行く。その模様を、この映画は伝える。

 だが、一般的にドキュメンタリーと言えば、何かの現象なり問題なり、あるいは人物なりに注目し、客観的に記録するものである。だというのにこの映画では、客観性は排除され、監督の主観を中心に進んでいく。その背景について、山岡信貴監督に話を聞いた。

観客全員に「確かにアートはいらんなあ」と納得してほしいわけじゃない

山岡 最近のドキュメンタリーは音楽もナレーションもないものが主流ですが、ドキュメンタリーだからって客観性が絶対的に大事だとはぼくは考えていない。たとえば公害問題とかであれば、誰がどう悪いか、責任の所在はどこかとか客観的に問題提起ができる。

 でも本作の場合、「自分はアートが面白くないな。じゃあ、なんでそう思うんだろう?」という、そこが出発点。だから客観的に測れる物差しがないし、この問題はさすがに観客とも共有しづらい。ただ、共有はできなくとも、観客がアートについて考える縁(よすが)となるようなきっかけをもたらす方法はあるはず。

 だいたいぼくは、観客全員に「確かにアートはいらんなあ」と納得してほしいわけじゃない。アートが好きな人なら、これまで見てきたアートやアートだと思ってきたものが「え、それらは本当にアートなのかな?」と考え始めたり、その一方で、アートが苦手な人が「もしかするとアートっておもろいのかも」と思うようになったり、そんな反応があるといいなと思ってます。

アート関係者に加え、盆栽作家やラブドールの製作スタッフにも取材

高品質なラブドールを製造するオリエント工業の社長や開発、製造スタッフたちも登場
高品質なラブドールを製造するオリエント工業の社長や開発、製造スタッフたちも登場

 『アートなんかいらない!』には、相馬千秋や北川フラム、津田大介らアート関係者に加え、アートのくくりからは外れそうな人たちも登場する。盆栽作家・小林國雄や、土屋日出夫らラブドールの製作スタッフたち、身体改造ジャーナリスト・ケロッピー前田、NASAに関わる理論物理学者・佐治晴夫などなど。彼らの話によって、アートとは何かという問いに複眼性をもたらせる。

山岡 最初はアートのプロデューサーたちに話を聞きに行きました。で、聞いていくうちに、アートとそうじゃないものの境界はどうなっているのか興味が起きてきた。それで、アートと言われればそうかもしれないけど、つくってる当人たちはそんなこと考えてないよね、って人たちにも話を聞いた次第です。境界を探ると初めて見えてくるものに近づけるかもと思って。

 彼らを選んだ理由はそれぞれあって、たとえばラブドールの場合、いま大半のアートは視覚表現だけど、触覚を使った表現のひとつとしてラブドールを取り上げた。で、話を聞くと本当に面白かった。ラブドールって持ち主と一緒に暮らすものだし、裸で抱いたりもするから、ちょっとしたアラもないよう注意深くつくってる。それに金額も張るからお客さんから厳しいご意見をいただいて開発する。そんな話を聞いてると、昔、宮廷画家が置かれていた立場、つまりオーダーに応じてきちんと応える営みは、アートの本道なのではと思えてきた。神様、仏様相手の宗教画や仏像なんかもそうですよね。

「表現の不自由展」で揺れた「あいちトリエンナーレ2019」を振り返る津田大介
「表現の不自由展」で揺れた「あいちトリエンナーレ2019」を振り返る津田大介

内に秘めた攻撃性がありつつ、ちょっとおもろい町田康の関西弁ナレーション

 また、この映画の特徴のひとつに、ナレーションが挙げられる。監督の代弁者の面もありつつも、ひと筋縄ではいかない軽妙なおかしさがある。ナレーターを務めるのは、作家でパンク歌手の町田康だ。

山岡 ぼくはいつも、ナレーターが何者かが気になるんです。つくる時も見る時も、「これ、どこの誰がしゃべってんの?」って。

 で、本作では町田康さんの役柄設定を用意しました。「ぼくはアートに興味が持てません」と語る人と、その語りにツッコミを入れる人の掛け合わせができないかと思って。言ってることや起きていることについて、「いや、ちゃうがな」「こうやん!」「こういう意見もあるんとちゃうの?」みたいに。

 パンクロッカーであり、どこかひょうひょうとした町田さんの関西弁は、内に秘めた攻撃性がありつつも、ちょっとおもろいという両面があります。つまりツッコミ役にして、観客を混乱させたりひっかき回す役割もあります。いわば宙ぶらりんというか、「これはこうですよ」というふうに説明する方向になるべく持って行かないようナレーションの設定をしました。

 では、多くのアート関係者やアートに少し近い多様な人々に話を聞いて、山岡監督のアートに対する考え方はどう変わったのか。「アート不感症」は変化したのか?

山岡 不感症自体は変化はありませんでした。不感症は不感症のままです。たくさんの人たちの話を聞いてみて、彼らの見解はもちろんわかる。もう、まったくみなさんのおっしゃる通りで、微塵の反論もぼくにはない。でもだからって、アートが面白く思えるようになるかというと、さほど変わらなかった。ただ、「不完全な者たちがつくった不完全なものの象徴」として、多少は愛情を持ってアートに接することができるようにはなりました。上から目線な感じですみません。

 山岡監督に最後の質問をした。

──最近、展覧会に行きましたか?

山岡 (やや時間をかけて思い出して)大地の芸術祭かな、越後妻有(えちごつまり)の。(ロシアの芸術家)カバコフの新作ができたと聞いて、「おお、これは!」と思って行きましたね。

──なんやかんや言って、見に行くんですね。

山岡 もしかしたら、すごいものが見られるかもしれないと思ってはいます。見に行かないと、とんでもないものを見逃すような気がして。

山岡信貴……1965年、大阪生まれ。1993年に『PICKLED PUNK』で映画監督デビュー。ベルリン映画祭ほか多数の映画祭に招待上映される。 photo takasix
山岡信貴……1965年、大阪生まれ。1993年に『PICKLED PUNK』で映画監督デビュー。ベルリン映画祭ほか多数の映画祭に招待上映される。 photo takasix

『アートなんかいらない!』

監督:山岡信貴

ナレーション:町田康

陰からの声:椹木野衣

8月20日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

美術/舞台芸術ジャーナリスト

出版社に勤務した後、執筆活動を開始。国内外の現代アートをはじめ演劇やダンスなど舞台芸術に関して、雑誌や新聞、ウェブメディアなどに執筆。主な著書に『残像にインストール 舞台美術という表現』(光琳社出版)、主な編書に『蓬莱山 蔡國強と大地の芸術祭の15年』(現代企画室)などがある。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院情報通信専攻修了。多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科非常勤講師。プロフィール画像撮影:松蔭浩之

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