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戦争とアート ロシアとウクライナで、アーティストたちが続ける表現活動とは? 鴻野わか菜インタビュー

新川貴詩美術/舞台芸術ジャーナリスト
こうの わかな 早稲田大学教育•総合科学学術院教授 photo takasix

 いまもロシアとウクライナの間で戦争が続く。そして戦争中であっても、両国のアーティストたちは表現活動を休みはしない。

 では、戦争中の美術とはどのようなものか。その詳細を明らかにする本が出た。ロシア東欧美術・文学・文化研究者である鴻野わか菜による「生きのびるためのアート──現代ロシア美術」である。

 この本は冒頭で、管理や統制が厳しかったソ連時代の芸術環境に触れ、そしてソ連が崩壊(1991年)した後の変化について綴る。なにしろ、社会主義国家の壊滅という前例のない事態だけに、興味深いエピソードが続出し、学術書だというのに、まずは読み物としてスリリングで面白い。

 さらに本書は、複数の視点によって成り立っていて、ロシアの芸術事情について多角的に理解できる。複数の視点とは、第一に研究者としての視点。冷静かつ客観的にロシアの芸術の変遷や現代の状況を捉える。

 次に、ジャーナリスティックな視点でぞくぞくと開催が相次ぐ地方での芸術祭や、パンデミックの影響などの最新動向を伝える。また、女性の眼差しでフェミニズムやジェンダー、LGBTQとアートを語る。

 さらに鴻野は、同時代を生きるアーティストやアート関係者たちの伴走者としての視点を軸に、ロシアやウクライナのアートを紹介する。伴走者としての視点について、次のように語る。

鴻野 私が最初にロシアに長期留学したのは、1999年から2002年までです。その頃、第二次チェチェン戦争が始まって、とても暗い時期でした。現地のアーティストたちは、ソ連時代に作品を公開できない非公式芸術家だった人も多くいました。ですから、自分の作品に関心を持ってもらえるだけで本当に喜んでくれて、みなさん、私のようなアジアからの留学生をとても暖かく受け入れてくださいました。画集をいただいたり、展覧会に招いてくださったり、そうした交流の中で私は救われる気持ちを覚えました。というのも、なにしろ戦争中なので、一部の人たちが排外主義に傾き、私自身も外国人だという理由で排斥を受けたこともありましたから。

 一方で、知り合ったアーティストや詩人たちは、たとえば「俳句が好きなのよ」と日本文化への関心を語ってくれました。つまり、戦争中であっても、文化が人と人とをつなぐんだと身をもって実感できました。その頃から、アーティストたちと伴走したい、日本に紹介したいと思うようになりましたね。伴走することによって知った、アーティストの考えや思いを本に残しておきたいと前々から思っていました。

ソ連崩壊で希望の時代を迎えたはずが、プーチン体制で弾圧強化

──この本では、戦争に対するロシアのアーティストや関係者たちの声を取り上げています。では、鴻野さんご自身は戦争が始まった時、率直にどう思いましたか?

鴻野 驚きました。ロシアのアート関係者たちも、ロシアの全面侵攻は予想していなかったし、ウクライナの人たちも全面侵攻が始まるとは思ってもいなかったと言います。ただ、アーティストはやはり敏感で、あるウクライナのアーティストは侵攻の前日に火事の夢を見たそうです。そのように、ロシアやウクライナの人たちですら予想外の出来事でしたので、私は本当にショックでした。日本のロシア文化研究者たちにとっても大きな衝撃でしたね。

──ロシアでは転換期に身体やパフォーマンス・アートに関心が強まるという指摘がありましたが、これはロシア特有の現象でしょうか?

鴻野 私はもともと20世紀初頭のロシアのモダニズム文学を研究してました。とくに1910年代が研究対象でした。

──ちょうど旧ロシアがソ連になった頃(1917年)ですね。

鴻野 はい。1910年代のロシア文学には身体を特徴的に描写した作品が多くあります。たとえば群衆がひとつのムカデのような動物に化すとか、それはソ連という制度が確立していく中で作家が感じ取った個の身体の喪失であり、全体的なものに個が吸収されていく過程の表現と言えます。つまり、当時の作家は社会制度や政治の変化を身体の比喩で捉えました。ソ連崩壊後に身体が注目されたのも、このことと通底していると思います。

 ソ連が崩壊したのは1991年ですが、私は93年に2ヶ月だけモスクワに行きました。とても混乱した状態でした。ところが99年に行くと、社会が明るくなっていて、人々の生活も落ち着いていました。詩の朗読会が多く開かれるようになったり、タブーを扱った美術作品も発表されるようになったり。ただ、99年にプーチン体制となり、芸術への弾圧は次第に強まっていきました。ソ連が崩壊してようやく希望の時代を迎えたというのに……。

いまのロシアの状況は、日本を含めて、どこででも起こりえる

──この本によると、昨今の弾圧もひどいそうで。

鴻野 ええ、ロシアがウクライナへ侵攻(2022年2月)して以降は、さらに弾圧が強化されています。ロシアの軍隊に関して虚偽の発言をすると禁固刑になる法律が2022年3月に可決されました。何が虚偽にあたるかというと、とても恣意的で、たとえば「戦争」という言葉を使っただけでも処罰の対象になりえます。

──そういう話を聞いていると、対岸の火事とは思えません。日本のアートをめぐる状況も、政府による規制や介入が深刻になりつつありますから。この本はその警告の書という一面もあると受け止めました。

鴻野 いまのロシアの状況は、日本を含めて、どこででも起こりえることだと思います。そういう思いもあって、この本を書きました。ロシアでは、少しずつ少しずつ戦争を始めやすい状況が準備されてきて、2000年代初頭からテレビや新聞などメディアへの統制が強まっていきました。……戦争って、始めたい人が現れれば、始められるものなんだと、つくづく思いました。

 戦争とパンデミックという困難な状況が立て続けに起きた。だが、希望がないわけではない。鴻野は本書のあとがきで次のように記す。

「美術は、作品を通じて、作家たちが世界を見るまなざしで私たちが世界を見ることを可能にする。美術によって他者の経験を共にすることは、人生に風穴を開け、日常に新しい地平と救いをもたらす」

 ものの見方を更新してくれること。それは美術の大切な役割のひとつだ。

「生きのびるためのアート──現代ロシア美術」 五柳書院 3960円(税込)。表紙の作品は、レオニート・チシコフ《僕の月(モスクワ)》 2003年 写真 ボリス・ベンジコフ
「生きのびるためのアート──現代ロシア美術」 五柳書院 3960円(税込)。表紙の作品は、レオニート・チシコフ《僕の月(モスクワ)》 2003年 写真 ボリス・ベンジコフ

美術/舞台芸術ジャーナリスト

出版社に勤務した後、執筆活動を開始。国内外の現代アートをはじめ演劇やダンスなど舞台芸術に関して、雑誌や新聞、ウェブメディアなどに執筆。主な著書に『残像にインストール 舞台美術という表現』(光琳社出版)、主な編書に『蓬莱山 蔡國強と大地の芸術祭の15年』(現代企画室)などがある。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院情報通信専攻修了。多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科非常勤講師。プロフィール画像撮影:松蔭浩之

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