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[社会人野球日本選手権]ENEOS、2度目の夏秋連覇へ。田澤純一の登板なしでまず1勝

楊順行スポーツライター
2008年、京セラドームでの田澤純一(写真:アフロスポーツ)

 社会人野球の第47回日本選手権、2日目。第2試合には、夏の都市対抗を制して夏秋連覇を狙うENEOSが登場した。四国銀行のエース・菊池大樹に7回まで無得点と苦しんだが、8回に山﨑錬の適時打などで逆転。いったん追いつかれてもつれたタイブレークの延長10回には、瀧澤虎太朗の2点三塁打などで勝ち越し、粘る相手を振り切った。

 投げては、先発の柏原史陽から関根智輝、加藤三範のリレーで計14三振。元大リーガーで、9月に復帰した田澤純一の登板あるかが注目されていたが、大久保秀昭監督がシーズン前から頼りにする3人が力を発揮した。

 なかでも、9回から登板し6人をピシャリと抑えた2年目左腕・加藤。もともと制球のよさが持ち味で、この試合でも左打者へのクロスファイアの伸び、そして精密さが目を引いた。

 都市対抗でも、5試合中2試合に先発、2試合に救援と、優勝に大貢献。ことに準決勝のNTT東日本戦では、先発して6回3分の2を6安打2失点にまとめ、チームもサヨナラ勝ちしている。4回に同点2ランを喫しても、「キャッチボールからまっすぐがよく、それを投げ切れました」という最速147キロのストレートを投げ込み、サヨナラ勝利に結びつけた。

1年目は山あり谷あり

 もっとも、1年目は山あり谷ありだったのだ。筑波大3年時に左ヒジの手術を受け、その1年間は登板なし。ようやく不安なく腕を振れるようになったのは、社会人入り後の昨年4月だった。「久々に思い切り腕を振れて、野球は楽しいなと思いました」と加藤はいい、その長野大会では、救援の2試合4回3分の2を無失点でまとめ、優勝に貢献している。

 だが、都市対抗西関東第1代表決定トーナメントの東芝戦。0対0の7回途中に登板してピンチをしのいだが、8回1死から柴原健介に手痛い一発を浴び、0対1で敗れた。チームはその後、第2代表決定戦に勝って本大会出場をたぐり寄せたが、

「もしあの一発が最後の試合だったらジ・エンドで、都市対抗予選の厳しさにゾッとしました」

 それでも1年目は、日本選手権と都市対抗の二大大会で計10回3分の2を投げて無失点と「思った以上にできた」。それも、球の質が高いからこそで、2年目の今季は先発、救援とフル回転だ。

 岩手・山田町の船越小学校卒業を間近に控えた、2011年3月11日。東日本大震災の大きな揺れのためにまず校庭に避難し、海をよく知る職員がさらに高い山へ誘導してくれた。その後、津波が校舎を襲うが、全員が難を逃れた。それから11年がたつ今季のシーズン前、こんなふうに話してくれた。

「負けない投手がテーマです。ピッチャーは、勝たせることはできなくても、点を取られなければ負けはありません。ピンチでのマウンド度胸を見てほしい」

 タイブレークの10回裏無死一、二塁から3人を完璧に抑えた場面で発揮されたのが、まさにその「マウンド度胸」だったかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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