正体は若いオス、ツァボの人食いライオン
野生動物が人間を襲撃する事件はしばしば起こっており、時として動物の犠牲になる人間もいます。
その中でもツァボの人食いライオンが起こした襲撃事件では、多くの人が犠牲になったのです。
この記事では青年将校と死闘を繰り広げたツァボの人食いライオンについて紹介していきます。
ライオンの正体
ツァボで労働者を襲った2頭の人食いライオンは、たてがみを持たない若いオスの兄弟とされています。
ツァボ地域に生息するライオンは、気温が高いため、たてがみがないか短く、また、群れが小規模でオスも狩りを行うのです。
2頭が人間を食べ始めたのは、病死した人間の遺体を食料としたことがきっかけであると考えられています。
特に当時、アフリカスイギュウが減少していたため、人間を狙うようになったと推測されているのです。
このライオンたちは、後にシカゴのフィールド自然史博物館で剥製として展示されていました。
しかし、剥製の出来栄えはあまり良くなく、展示までには射殺から25年以上かかったのです。
1924年にパターソンが売却し、2007年の価値では約690万円に相当します。
事件から100年後、ライオンがなぜ人間を襲うようになったのか調査が行われ、遺伝的素因や環境要因が関係している可能性が示されました。
科学者たちは、2頭が若く健康であったため、老齢や病気によるものではなく、通常の捕食行動として人間を襲ったと結論付けたのです。
実際、アフリカではライオンによる人間被害が多発しており、特定の条件下ではどのライオンでも人間を襲う可能性があるといいます。
さらに、他の人食いライオンの調査でも、老衰や病気が原因で人間を襲うケースは少数派であり、健康な個体が人間を襲うことが多いことが確認されているのです。
人間を捕食する行動がライオンの群れに伝承されることもあり、そうした場合、群れ全体が「人食い」となる例も報告されています。
しかし、ライオン全体としては、あくまで一部の個体がこのような行動を取るに過ぎないという見解が示されているのです。
ケニア政府は2007年に2頭の剥製の返還をフィールド自然史博物館に求めたものの、博物館はこれを拒否し、現在も返還要求が続けられています。
犠牲者の数は
2頭のツァボの人食いライオンの犠牲者数には諸説あり、28人以上や135人という数字が挙げられています。
パターソンは「28人以上のインド人労働者に加え、多くのアフリカ原住民も被害を受けた」と記述したものの、犠牲者数は定かではありません。
小原秀雄は、パターソンの記述を基に「135人は少なすぎる」と疑問を呈しています。
カリフォルニア大学の研究チームは、同位体分析により2頭が実際に食べた人間の数を調査し、先に殺されたライオンが24.2人、後のライオンが10.5人を捕食したと推定しています。