飲食に流行はいらない。同じものをずっと食べ続けたい
●今朝の100円ニュース:鍋スープはあっさり回帰(日本経済新聞)
ジーパンに穴が開くたびに、近所の洋服直し店に持ち込んでいる。1回800円ほどかかる。合計4か所も直しているジーパンがあり、修理代で別の服が買えたのではないかと思うこともある。
「ダメージ加工のジーパンを買うから穴が開きやすいんだよ。次は普通のジーパンを買ったら?」
腕はいいけれど商売気のないおじさん店主に言われてしまった。正論である。真っ青の丈夫なジーパンではなくて、ダメージ加工を施した商品をわざわざ買っているのは、「小慣れ感」を重視する妙な流行に従っているに過ぎない。僕自身には「これが格好いい。これを履きたい!」という強い気持ちはない。
「他人から恰好よく見られたい」「この服装で失礼に当たらないだろうか」などを真っ先に考慮するのが洋服だと思う。「自分」ではなく「他人からの目線」を優先して選ぶのだ。あまりに流行外れな恰好をしにくい。あえて「外す」ようなファッションセンスも僕にはない。たまに「他人の目を一切気にせずに好きなものだけを着ている」風の人を街中で見かけることがあるが、最初からコミュニケーションを拒絶しているように映るので参考にしたいとは思わない。
日経新聞の記事によると、鍋の流行も変化しているらしい。トマトやカレー、チーズ風味の鍋人気が一段落し、あっさりした寄せ鍋への回帰が進んでいるという。本当なのか。
僕は「食の流行」には疑問がある。飲んだり食べたりすることは、食事のマナーは別として、他人より自分を優先すべきだと思うからだ。例えば、納豆が時代遅れの食べ物と見なされるようになったとしても、僕は自宅で納豆ご飯を食べることをやめないだろう。外食も同じだ。一緒に食べる人の好みは考慮するべきだけど、普通の人は食べるものに流行などは求めないので、軽く打ち合わせて「いつもの店」に行けばいい。
どんなものをおいしいと感じるかは数年おきに変化するものではない。こってり鍋が好きならば、流行などに左右されずに食べ続ければいい。外食店や食品メーカーはファッションのように安易に商品を変えるべきではないと思う。「新しい料理」ではなく「いつものおいしい料理」を食べたい客は少なくないからだ。
素材や調理法をより良くする地道な努力は大切だと思うが、「こってり」を「あっさり」に変える必要などはない。
僕が好きなのは、モランボンの「担々鍋」の素だ。寒い季節は週に1回ぐらい食べたい。あの味はいつまでも変わってほしくない。