雅子さまのお召し物に国際親善への思い ファッションから読み取れるメッセージ
皇室の方々が自らのお気持ちを伝える手段は、お誕生日に際する記者会見や文書回答、歌会始に出されるお歌などに限られている。そのため、お召しになるファッションにメッセージ性を込めることも少なくない。
思えば、令和になってから、天皇皇后両陛下初の外国訪問として予定されていたイギリスご訪問はコロナ禍で見送りとなり、これから本格的な国際親善を…という矢先であったことから残念な出来事であった。
しかし、雅子さまのファッションを見ていると、お召し物のチョイスに国際親善への思いとこだわりが表れているように感じる。そこで、筆者なりの解釈をお伝えしたい。
◆雅子さまが希求される世界平和
雅子さまは歴代皇后の務めである御養蚕に取り組まれているが、6月1日、蚕に桑の葉を与える「御給桑」の作業に陛下と愛子さまも参加し、ご家族3人で取り組まれた。その時のご様子を写した写真を見ると、雅子さまは黒いベスト、愛子さまも黒のトップスをお召しになり、全体的に地味な黒を基調にされている点が特徴的だ。
実はこの頃、ウクライナ東部のセベロドネツクで市街戦が続き、多くの犠牲者が出たと報じられていた。雅子さまは洋服の色に、追悼のお気持ちを託されたのではないだろうか。
その4日後(6月5日)、両陛下がオンラインで出席された全国植樹祭の映像からは、そうしたお気持ちがより強く伝わってきた。式典の途中、両陛下は会場の人たちとともに黄色いハンカチを振られ、この日の雅子さまのスーツは水色だった。
ハンカチの黄色とスーツの水色。ウクライナの国旗の色と同じであったのは、いまだ解決の糸口すら見えない紛争の中、ウクライナの人びとへのエールを、静かに送られたかったのではないだろうか。
◆相手国を尊重した雅子さまのおもてなし
7月27日、両陛下は来日していたインドネシア大統領夫妻と会見された。この時、雅子さまは薄いピンク色の着物をお召しになっていた。夫人が、ムスリム女性が身に着けるスカーフ、ヒジャブを巻き、インドネシアの民族衣装を着ていたので、それに合わせて雅子さまも日本の伝統衣装である着物を選ばれたのだろう。
流水に花の模様をあしらった風雅な柄からは、日本文化の一端が伝わってくるようだ。賓客の民族衣装に合わせて、雅子さまも着物をお召しになったところに、相手国に敬意を払う姿勢が表れていたように思う。
そうしたお心遣いは、皇太子妃時代のファッションからも読み取ることができる。それは1999年、ベルギーのフィリップ国王が来日した時、陛下とご一緒に、雅子さまは扇柄が描かれた美しい着物で迎えられた。扇は神楽や能などで使われ、末広がりの形をしていることから、おめでたい縁起物とされている。
その後、フィリップ国王は結婚し、2002年、日韓ワールドカップを観戦するため、夫人とともに再び来日した。前回は独身だったが、今度は妻を伴ってやってきたというわけだ。
この時、お二人をおもてなしするにあたって、雅子さまがお召しになったのは、扇柄の以前と同じ着物。もちろん、偶然というわけではないだろう。
ベルギー王室に仲間入りした夫人とも思い出を共有し、これからも家族ぐるみで親しく交流していきたいという、雅子さまのお気持ちの表れだったことが伺える。きっとフィリップ国王も、「あの時と同じ着物だ」と、嬉しくなったに違いない。
歴史を紐解けば、上皇さまがまだ結婚前だった皇太子時代の1953年、エリザベス女王の戴冠式に出席するために訪欧した際、ベルギーにも滞在されたのだが、この時、上皇さまを実の弟のように歓待したのは、即位したばかりのボードワン国王(現国王の2代前)だった。
以来、皇室とベルギー王室は親しい交流が続き、1993年のボードワン国王の葬儀では、生前の交流の深さから、上皇ご夫妻が棺の最も近くで葬列の先頭を歩かれた。
こうした親密な関係があるからこそ、雅子さまは敢えて同じ着物を選ばれ、過去も現在も、そして未来も変わらぬお付き合いを続けて行きたいとのメッセージを託したのだろう。
新型コロナの影響により、天皇皇后両陛下がお出ましになる機会は少なくなってしまっているが、時折、報道される雅子さまのお姿を目にした時には、そのファッションにどんな意味を込められているのか、推理してみてはいかがだろう。
「『梓』から『菊の御紋』へ 天皇陛下の即位後に変化した『お印』の刻印」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20220816-00309958