【九州三国志】祖父の死が招いた嵐と、家中の内紛!若き当主の試練に迫る日々
弘治3年、若き頼房の祖父・上村頼興がこの世を去ると、その死は一族内に嵐を呼び込みました。
叔父・頼孝とその弟たちが謀反を起こし、相良領を巡る骨肉の争いが勃発したのです。
頼房は家臣たちと協議を重ね、まずは頼堅を討ち、頼孝を追い詰めて菱刈へと逃亡させました。
その後も叛乱鎮圧に尽力し、日向に逃げた頼孝らも最終的に帰参へと誘導しましたが、これは偽計に過ぎず、数年後には悲運の最期を迎えたのです。
同じ年には犬童伝心の帰参が叶い、上村地頭として再び相良家に仕えることとなりましたが、永禄2年には家臣の内紛が発生しました。
奉行の東長兄と丸目頼美が恋愛沙汰を発端に対立し、獺野原での戦いにまで発展。
頼美は敗北し、日向へと逃れることとなったのです。
頼房はこうした困難の中で相良家の未来を守るために奮闘を続けますが、外交や婚儀もまた大きな役割を果たしました。
永禄3年には義滋の四女・千代菊との婚儀が執り行われ、翌年には遠江守の称号を得ます。
激動の時代に若き当主が背負った重責、その試練の日々は尽きることがありませんでした。