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第90回都市対抗野球・出場チームのちょっといい話4/Honda

楊順行スポーツライター
昨年の東京スポニチ大会は狭山と熊本、史上初のHonda対決だった(写真/筆者)

「野球人生で一番緊張しました」

 南関東の第2代表決定戦(6月9日)。日本製鐵かずさマジックとの接戦は、1対1と同点の延長10回、1死満塁でHonda・佐藤竜彦に打席が回ってきた。2球で追い込まれたが、「三振だけはダメ。なんとかバットに当てよう」と4球目の外角直球を振り抜くと、打球は右中間を破るサヨナラ打で2対1。Hondaが、3年連続33回目の出場を決めた。

 父は、ヤクルトなどで活躍した真一さん。長打力が持ち味で、社会人2年目の昨年は、公式戦で5本塁打している。JFE東日本との第1代表決定戦でも、敗れはしたがソロアーチを2本架けていた。今季は、内角を逆方向に打つ意識を強めてバットがよりスムーズに出るようになったと3年目の佐藤はいう。東京ドーム本番では、一昨年は出番なしで初戦敗退の昨年は3打数ノーヒット。「勝負どころで打てたのは自信になった」と、大舞台でも飛躍を期する。

優勝候補も……不安でいっぱい

 ところでその昨年の都市対抗、Hondaは初戦でJR四国に敗退した。東京スポニチ大会、1カ月後の四国大会でも優勝し、黒獅子旗争いの有力候補とみられていながら、だ。この2月。鹿児島・鹿屋での春季キャンプをたずねると、岡野勝俊監督はこう明かした。

「南関東第1代表で出場はしましたが、不安でいっぱいだったんです。春先はよかったんですが、都市対抗前の7月上旬にかけて、別のチームかと思うくらい打てなくなった」

 2017年に就任した岡野監督は、まず長打力の増強をテーマに掲げた。都市対抗通算14本塁打の西郷泰之をコーチにすえると、17年は公式戦30試合で14本塁打と、すぐに成果が現れた。昨年はさらに、打率の向上を模索。おかげでスポニチ大会では5試合6本塁打、四国では5試合42点と、強力な打線ができあがった。だが……「別のチーム」になってしまった都市対抗では、わずか5安打で1点。シーズンを通せば公式戦25試合でチーム打率.298、20本塁打と打線は威力を発揮したが、大一番でそれが沈黙したわけだ。

 感じたのは、ピーキングのむずかしさだ。昨年は、スポニチ大会に照準を合わせ、見事に優勝を果たしたが、そこからいったん落ちたチーム状態はなかなか上向かなかった。だから今季は、例年なら前年12月から始める強化練習を1カ月遅らせる手に出た。そしてこの決断は、吉と出ているようだ。連覇を狙ったスポニチ大会は予選リーグで敗退したものの、4月の岡山大会はベスト4。そして5月の新潟大会では優勝と、昨年とは逆にチームは右肩上がりで都市対抗予選に突入し、第2代表の座を勝ち取ったわけだ。

切磋琢磨のHonda3兄弟

 本田技研工業には、埼玉(狭山市)に本拠を置くHondaのほかにHonda鈴鹿、Honda熊本の3チームがあり、すでに出場を決めていた鈴鹿、熊本とともに、東京ドームに3チームがそろったことになる。これは、初めてだった09年を皮切りに、17年から3年連続5回目のそろい踏みだ。実は今季から、昨年まで鈴鹿の監督を務めていた甲元訓氏が、3野球部のゼネラルマネージャー(GM)に就任。野球のほかにも陸上、サッカーなど、7つの企業スポーツ部をサポートすることになった。甲元GMによると、

「3つの野球部には異なった文化や歴史がありますが、日本一を目ざす上ではライバル。ただ、同じ企業のチームとして、それぞれにプラスになるような連携はできないものかとつねづね感じていました」

 それまでも、転勤というかたちでチームを移ることはあった。たとえば狭山の栃谷弘貴投手、熊本の片山雄貴投手は鈴鹿からの移籍組だし、熊本の岡野武志監督も現役時代は狭山で送った。今後は「3つの野球部、7つのスポーツ部、その選手やスタッフが、社内外で活用されるような存在にしていきたい」という甲元GMのもと、ますます交流が活発になるかもしれない。ちなみに昨年の東京スポニチ大会では大会史上初めて、決勝が狭山と熊本のHonda対決だった。都市対抗本番も……というのは、まんざら現実味のない話じゃない。

 今季からHondaの主将となった井上彰吾がこう語る。

「他チームの選手によくいわれるんですよ。Hondaは強いけど、本大会ではこけるよね……いつも前評判は高いだけに、これほど悔しいことはありません」

 この井上は筑陽学園高、日大と、長野久義(現広島)の後輩。その長野がいてHondaが優勝した09年から、ちょうど10年がたとうとしている。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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