坂本龍一とピアノが対話する!?ドキュメンタリー映画「CODA」が問いかけて来るもの。
音楽家の坂本龍一が2012年からの5年間をどう過ごし、どんな姿勢で音楽と向き合い、何と闘った来たかを、地道に追い続けたドキュメンタリー映画が、今秋公開される。「Ryuichi Sakamoto : CODA」と題された作品には、音楽ファン、映画ファンのみならず、今の世界を生きる人間をふと立ち止まらせる、示唆に満ちた言葉や風景が散りばめられていて、単なるセレブ・ドキュメントを超えた、ある種異様な説得力がある。
まるまる5年間、日本各地とニューヨークを往き来して被写体を追い続け、本作で劇場映画デビューを果たした監督、スティーブン・ノムラ・シブルが選択した作品のグランドデザインは、坂本龍一に関する知識の有無に関係なく、明確で分かり易い。東日本震災後の東北に始まり、原発反対運動に参加した首相官邸前を経て、その後、突如襲いかかった癌との戦いと、そこからの再起、そして、40年に及ぶ華々しいキャリアを振り返りつつ、間には、現在進行形で行われる音作りのプロセスを挟み込む。その間、時間軸は前後するものの、一貫して伝わるのは、自然が人間にもたらす恩恵を、そのパワーを、彼が音楽に還元し、伝えようとする真摯な姿勢だ。
2011年3月11日、押し寄せる津波に体ごと持ち上げられ、何日か水上を浮遊し、その後回収された、まだ被災した傷が残る一台のピアノの鍵盤を恐る恐る叩きながら、彼は言う。「音は狂っているけれど、むしろ、これがピアノ本来の叫び声かも知れない」と。つまり、そもそもピアノは多くの木材を人間が削り、物凄い力で無理矢理束ねたもので、被災したピアノは津波という自然の力によって元の姿に戻ったというのが、彼の考え方なのだ。そうであれば、自ら防護服を着て福島第一原発の帰還困難地域を歩いたり、本能的に官邸前に足を運び、人々の前に立って原発再稼働反対を訴えた、それら突発的な行動の真意も理解できる。彼にとっての環境問題は一時のポーズではない。一生の伴侶であるピアノと向き合い続ける限り、絶つことができない文字通りのライフワークなのである。
だからだろうか。彼が被災者の前で、寒さで凍り付く指に魂を込めて"戦場のメリークリスマス"を演奏するシーンで、自然に涙がこぼれ落ちるのは。
ニューヨークの自宅兼スタジオに籠もり、アフリカの大地や北極の氷にマイクを近づけ、収集してきた大自然の鼓動や、降り注ぐ雨音、銅鑼の音等を、主要な要素として取り入れ、それを敬愛するバッハを思わせるオルガン曲に重ね合わせた8年ぶりの最新アルバム"async"(2017年3月29日リリース)には、ここ数年、様々な体験を経て来た音楽家、坂本龍一の新たな試みが集約されている。
ドキュメントには、レアな映像やコメントもふんだんに登場する。テクノポップの最先端を駆け抜けた頃の、濃いメイクを施した彼の貴重なインタビュー。故・大島渚監督から「戦場のメリークリスマス」(83)への出演を打診された時、嬉しくて仕方がないのに生意気にも「音楽もやらせてくれたら出る」と言ってしまったこと。闘病中にも関わらず、敬愛するアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督から「レヴェナント: 蘇えりし者」(15)の作曲をオファーされて、思わず体調を考えず承諾してしまったこと。ベルナルド・ベルトルッチ監督から急に舞い込んだ「ラスト・エンペラー」(87)の作曲。同じく、「シェルタリング・スカイ」(90)でのベルトルッチの無茶ぶり(見てのお楽しみ)等々。それらを笑いながら振り返る彼の無邪気さが、深刻な状況を克服して来られた原動力なのかも知れない。
今も、ニューヨークのアパートで日々ピアノのレッスンを欠かさない坂本龍一。そして、コートを羽織り、マフラーを首に巻いてグランドゼロに程近いローワーマンハッタンの雑踏へと消えて行く姿は、やっぱりかっこいい。本人は「いつ命の終わりが来るかも知れない」と、諦めとも、達観とも取れる言い方をするが、音楽の神様は彼に永遠の時間を与えるに違いないと思わせて、終始興味深いドキュメンタリーは幕を閉じる。
Ryuichi Sakamoto: CODA
11月4日(土) 角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
配給:KADOKAWA
公式サイト:http://ryuichisakamoto-coda.com/
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