引退競走馬の命を救え!! トップ騎手と一流調教師も支援する男の取り組みとは?
大震災のボランティアへ行き気付いた事
「骨盤を骨折していました。この施設がなければ残念ながら処分されていたでしょうね」
そう語る男の目は憂いを帯びていた。そんな彼の前にはつぶらな瞳を輝かせ「何を話しているの?」という表情を見せる1頭のサラブレッドがいた。そして、その傍らには私自身、久しぶりに会う小柄な女性がいた。
彼等がいるのは滋賀県、栗東トレセンから車で十数分に位置する通称TCCセラピーパーク。TCCはサラブレッドコミュニティークラブの頭文字だ。約700坪の敷地内にはグッドデザイン賞を受賞した瀟洒な建築物があり、そのロビーには馬の一生を表す大きな壁画がある。また、敷地内には36メートル×18メートルの馬場、12の馬房を擁す厩舎棟もある。
男の名は山本高之。
TCC Japanの代表取締役である彼が生まれたのは1980年1月7日。本日、41歳の誕生日を迎えた。松下で設計士をしていた父・光男と母・笑美子の間に生まれ、2歳上の姉と共に育てられた。生まれ育ったのは栗東だったが、馬とは無縁の家庭。野球に熱中した少年時代はトレセンの存在も知らなかった。
立命館大学に入学してすぐ、そんな彼と馬との関係が急接近する出会いがあった。1人の女性と知り合い、付き合うまでになった。その彼女の兄がJRA騎手の福永祐一だった。
「『騎手で生活していけるの?』と聞いてしまうくらい競馬に対する知識がありませんでした」
大学を卒業後、コンサルタント会社に就職。2年後、ベンチャー企業に転職し東京へ移ると、06年には自らIT企業を立ち上げた。
「携帯向けのコンテンツを企画、運営する会社でした。その頃は決して生活に余裕はありませんでした」
5年後の11年、未曾有の厄災が起きた。東日本大震災だ。山本はボランティアで宮城県沿岸部の復興に力を注いだ。その際、感じた事があった。
「地域力がないと復興はままならない」
また、現地でよく聞かれた事があった。
「栗東出身と伝えると多くの人に『馬の街ですね』と言われました」
そこで「馬を地域資源として役立てられないか?」と考えるようになった。
ボランティア活動が終わると東京ではなく、故郷の栗東へ帰った。古民家を借り、納屋を改造した馬房に購入済みの2頭のポニーを繋養。15年9月、障害を抱えた子供を対象にしたホースセラピーを行う『PONY KIDS』を開設した。
「乗馬や触れ合いを通じて心身の障害を抱える子供達を癒す事業です」
場所を決めるより先にポニーを買った姿勢に、退路を断って臨んだ心意気が見て取れる。それから約5年後の19年5月には会場を冒頭で記した場所に移した。
ポニーは5頭に増え、施設を利用する子ども達は幼稚園児から高校生まで、計180人にまで増えた。それに伴い20人になったスタッフには理学療法士や保育士の資格を持つ者も配している。
「京都や大阪、福井からも通っている子ども達や、呼吸器をつけている重度の子も乗っています。また、乗れるのはポニーの他にもメイショウナルト(14年七夕賞1着など重賞2勝)などサラブレッドもいます」
引退競走馬の命を救え!!
このようにホースセラピーから始めた事業だが、現在それは片翼に過ぎない。PONY KIDSの他にホースシェルターとして活動するTCCがあって初めて両翼が揃うのだ。山本は言う。
「現在は7頭のサラブレッドがいます。そのうち5頭が『引退後、行き場の決まらなかった元競走馬』です。ここでリトレーニングを行ないながらセカンドキャリアの行き場を探しています」
日本では毎年数千頭のサラブレッドが生産される。順調なら競走馬となる彼等だが、その全てが牧場に戻れるわけではない。とくに牡馬は好成績を残しても繁殖に上がれるのはほんの一部だ。リタイア後の転用先が不明の馬達も少なくないのが現実なのだ。山本は、罪もなく淘汰される馬達を1頭でも救おうと手を差し伸べたのである。
「賛同する人達に会員になってもらい、会員さんには馬に触れ合えたり、動画配信サービスを受けられたりといった特典を提供させていただきます。また、個別で共同馬主になってもらうようにも呼び掛けています」
一時的な感情で動けば早晩、路頭に迷いかねない。TCC城の天守閣が引退馬の支援なら、賛同してくれる人達への様々なサービスが本丸。本丸がしっかりしていないと天守閣はすぐに崩れてしまうのだ。そんな城郭によって命の糸を紡がれた馬達は、オーナーの口数が集まった上で次の行く先が決まれば、ここを去る事になる。
「現時点で全国30カ所くらいに35頭ほどTCCから旅立っていった馬達がいます。競技やセラピーで活躍をしている馬もいますし、乗用馬となった馬もいます。オーナーならオーナー会費でそういった馬達に乗る事が出来ます」
大学時代に付き合った女性とは後に結婚した。冒頭で記した小柄な女性こそ彼女であり、つまり、山本にとって福永祐一は義理の兄となったわけだ。
「義兄というより義父という感じで、大きな決断をする時には必ず相談をしています」
福永はJRAが主催している引退競走馬の検討委員会でも活躍しながら、山本の活動も裏で支えてくれていると言う。
「取材時にTCCのキャップを被ってくれたり、うちが主催するイベントに出てもらったり、協力してもらっています」
そんなトップジョッキーからは調教師の角居勝彦も紹介してもらった。
「角居先生が全国のホースセラピーを視察された際、ご一緒させていただきました。各所で『困っている事は何か?』などと聞いてまわり、私自身、勉強になりました」
角居や福永と話していると、彼等が私利私欲に走らず競馬界全体を、馬の世界全体を考えている点で一致している事が分かる。そんな強い援軍と「1頭でも多くの命を救う」という錦の御旗の下、支援活動を連携して行っていると山本は言う。
「現在ここにいるキングスクロスは大怪我をしてまだ人を乗せる事が出来ないどころか運動もままなりません。でも養老牧場のヘイハチロウファームへ行く事が決まっています」
また、15年にカペラS(G3)を勝ったキクノストームもここにいたが、目標となった口数が集まったため昨日6日、アンフィ乗馬クラブへと旅立った。
間もなく1年になろうかという新型コロナウィルス騒動の影響もモロに受けている。馬の動きは停滞し、オーナーも集まり辛くなっているのが現状だ。しかし、山本の「行き場のない馬を救済したい」という気持ちがそれにより弱まる事はない。
「約3週間後の2月にはサイトデザインや特典内容の変更など大幅なリニューアルをして再オープンを予定しています」
先述したTCCセラピーパークのロビーにある大きな絵。馬の一生を表したその絵はモザイクアートになっており、近くで見ると2万葉の写真が使用されている事が分かる。山本は言う。
「クラウドファンディングで協力してくれた人達の写真です」
クリック1つで全競走馬の現役引退後の余生まで分かる国もある現在に於いて、日本のそれはまだまだ遅れていると言わざるをえない。しかし「何とかしたい」と考えているのが山本や角居、福永だけではない事は、このモザイクアートを見るまでもないだろう。ここまで読んでくださった読者の皆様も、何某かの力になりたいと思われたのではないだろうか? 彼等の活動が日本の競馬界にとって転轍機となるよう願おう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)