香川県ゲーム規制条例 県が反対意見をスルーするのは… 隠された親の“本音”
ゲームの利用を1日1時間に制限する香川県ゲーム規制条例が4月1日に施行されましたが、その後も、条例に反発する動きが続いています。それでも県議会と県は実質的にスルーしています。その背景にあると思われる三つの理由と、条例を求めた“本音”について、あえて規制推進派の目線からも考えてみます。
◇2022年の「ゲーム依存」適用前に条例施行
ゲーム規制条例は、18歳未満の「ゲーム依存」を防ぐのが狙いで、「ゲームは平日1日60分まで」など具体的な制限が記されるのが特徴です。県や保護者、ゲーム会社などの責務を記していますが、罰則はありません。当初は、ネットも対象でしたが、世論の反発を受けてゲームに限定した経緯があります。
規制の根拠となる「ゲーム依存」ですが、2019年に世界保健機関(WHO)が疾病と認定しました。「12カ月以上にわたり」「ゲームを遊ぶ習慣をコントロールできない」「現実世界で悪影響を及ぼしてもゲームをやめられない」という、かなり厳しい条件になります。ただし疾病の適用は2022年からの予定で、詳細な調査結果はまだですが、条例が一足先に施行されています。規制派目線で言えば「香川県は先進的!」という感じでしょうか。
さらに付け加えると、WHOの認定は、アルコールやギャンブルなどの依存症を専門にする久里浜医療センターの樋口進院長が働きかけました。なおWHOは、新型コロナウイルスの感染拡大に対抗する外出自粛の一環として、人々にゲームを推奨するキャンペーンをしています。不思議に思う人もいると思いますが、WHOはゲーム規制の方針を打ち出したのに、ゲームを推進しているのが現状なのです。
◇条例施行後も反論続々
条例の施行から約2週間後の4月13日、地元テレビ局の「瀬戸内海放送(KSB)」が、条例のパブコメの原本(A4用紙4186枚分)を入手して分析した結果、条例に賛成した意見に“多数派工作”の疑いがあると報じました。同じような文章が大量に送られて、送信日時も連続、おまけに誤字やスペースも同じものが多数あったのです。多くのメディアも同様の内容を報じましたが、議会は動く気配を見せません。
5月14日、高松市の高校生と母親が、県を相手に国家賠償請求訴訟を起こす準備をしていることが報じられました。この動きを受けて、香川県のゲーム規制条例を策定していた秋田県大館市が作業を一時凍結しています。
「ゲーム条例は憲法違反で人権侵害」高校生が香川県を提訴へ(KSB)
さらに5月24日には、香川県弁護士会が条例の廃止などを求める声明を発表しました。この声明に対し、浜田恵造知事は「憲法の理念や法令上の規定に反したものではないと考えております」と実質的に反論しました。
ゲーム条例の廃止を…香川県弁護士会が異例の会長声明(KSB)
条例でありながら、これだけ全国的な注目を集め、施行後2カ月でこれだけの動きがあることは異常の一言ですし、それに対してアクションを起こさない姿勢も異常です。ただ「スルー」の姿勢は一貫しているのは確かで、香川県のホームページに意見が寄せられても、丁寧に応対しているように見えて、ちゃんと質問に対する回答をしていません。
◇ゲーム規制は「県是」
県が沈黙する最大の理由を考えます。まずは「ゲーム規制」が香川県の理念「県是」になったからでしょう。地元紙の四国新聞は、ゲーム依存防止のキャンペーンを展開して新聞協会賞を受賞しました。県も条例の成立前から予算をつけていました。また条例の成立にあたり、情報をなるべく閉ざし、パブコメの“多数派工作”をしてまで条例を成立させました。ゲーム条例を否定しても、香川県の“権力者”は誰も得をしないのです。
この一連の展開で、香川県の知名度は大きく飛躍しました(悪い意味で)。そこまでして成立させた条例を、いまさら「間違っていた」と認めるわけにはいかない……という論理は、当事者視点から考えると理解はできます。撤回、修正したり、疑惑を認めたら、責任の追及が始まるのは確実です。
◇「条例」は子供に手を焼く親の“切り札”
二つ目は、子供の教育に手を焼く親の理論「ゲームとネットが悪い」という思いを、反映させたということです。現実として、親が子供のデジタル知識を習得するスピードについていけず、子供が何をしているか分からずに苦労しているケースがあります。
これは条例に他県が追随しないかについて、教育分野の関係者の考えを探ったとき、明かされたことです。「追随しないのか?」と質問すると、「そもそもゲーム時間の制約は家庭の問題と思う」と香川県のやりすぎ感を指摘するとともに、教育現場の最大の課題の一つは、ゲームではなく、ネットを使った子供同士のいじめの対応なのだそうです。親がゲームをする子供を止められないこともあるのだそうですが、緊急対応が必要なのはネットの方なのですね。ともあれ、ゲームをする子供に手を焼く親の“切り札”が「条例」という構図です。「決まりだから」「条例だから」と子供を説得するのに楽……というわけです。
香川県のゲーム規制条例は当初、ネットとゲームをワンセットにしようとしていたわけですが、それも邪魔者(ネットとゲーム)の排除に動いた……と考えると、納得できるわけです。
◇国への不信感
最後は、地方が抱く国への不信感です。国の迷走ぶりは、来年1月に予定の大学入学共通テストでも表れていますし、オンライン授業をはじめとするデジタル化で、教育現場が対応に苦労しています。
国体の文化プログラムになったeスポーツの推進も同じです。切り替えの早い教師は、ゲームの位置付けを「娯楽からビジネスに変わった」と柔軟に捉えられますが、皆がそう簡単にいかないということです。ファミコンが登場して40年足らずですが、「ゲームは遊びだったのに、急にビジネスの可能性があるといわれても困る。前例もないのにどうやって指導すればいい?」というわけです。「国はゲームの利点ばかり見て、ゲーム依存のことを考えていない。だから県が率先してやる!」という論理もあるのでしょう。
◇条例よりも地道な努力を
ゲーム規制条例も、(私は賛成できませんが)それなりの考えがあったとも言えます。だからと言って、パブコメの賛否を強調したり、情報を非開示にしたり、ルールを悪用しているのはいただけません。多くの人の疑問に答えないのも非常に不誠実かつ不公正です。
この条例の取材を重ねて、教育関係者の意見を聞くうちに、条例の本質は「手のかかる子供の面倒を見たくない」「ルールはお上が作って」という親の安易な願望の表れではないかと思うようになりました。教育は大変で、根本的には、子供に対して大人が真剣にしつこく向き合うしかありません。ただ家庭の事情もあります。共働きの親もいるでしょうし、経済的に苦しむ傾向のあるシングルであれば、教育の問題はより切実です。
そして親が子供の面倒を見られない“本音”を認めず、学力低下の理由を「ネットやゲームが悪い。親は悪くない」となっていないか心配です。この構図は歴史の繰り返しでして、小説や映画、アニメ、マンガが時代によって「親の敵」になってきました。
「YouTuberになりたい」という子供に対して、将来のメリットとデメリット、なぜ勉強が必要なのか、その可能性と面白さなどについて、親が自分の言葉できちんと説明できれば、子供の反応も違うのではないでしょうか。ジェネレーション・ギャップもあるから時にはケンカにもなるでしょう。しかし、親が子供に本気でぶつからずして、子供が真剣に考えるわけがありません。
ゲームやネットの利用を制限したり禁止して、「教育が正常化され、依存の問題が解決する!」と思うなら、それもいいでしょう。しかし、ゲームやネットを消し去っても、他のものがとって代わるだけで、子供が勉強するわけではありません。下手をすれば、子供たちが時間を持て余し、非行、薬物依存に走る未来だってありえるのではないでしょうか。
そしてゲームやネットを禁止にすれば、国内のデジタル産業は斜陽になり、同時に子供たちの活躍する舞台が一つ消え、日本は世界の潮流から置き去りにされてしまいます。それは経済の国際競争力と国際的地位の低下を意味しています。
そもそも、この手の話に特効薬は存在しません。ネットやゲームについて親が地道に勉強し、子供を信頼し、時には争いながらも、向き合うしかないのではないでしょうか。親同士が恥ずかしがらずに連携して相談し、問題があれば、各種団体や自治体の助けを得ることでしょう。繰り返しになりますが「自分は忙しいから勉強できない。だからお上(条例)にお任せ」というのは、いささか都合がよすぎると思うのです。