南極の生活って?南極で1年4ヶ月暮らした元隊員二人に訊く 水も電気も食料もすべて有限な小さな「村」で
南極地域観測隊が暮らす環境は、全ての資源が有限だ。究極の食品ロス削減、とも言えるのだろうか。広島の「捨てないパン屋」ブーランジェリー・ドリアンの田村陽至(ようじ)さんにご紹介頂き、ここ10年間で3回、日本南極地域観測隊に派遣され、3回目の第57次越冬隊では隊長だった樋口和生(ひぐち・かずお)さんに、取材をご快諾頂いた。樋口さんからは、同じく第57次越冬隊で調理隊員だった渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)さんをご紹介頂き、お二人にお話を伺った。
ロス削減を強制することは一切ない 無理は続かない、自然に
樋口和生さん(以下、樋口):南極に関わり始めたのがここ10年、ちょうど10年目です。10年間の4割ぐらいは南極に行ってた。私は食品ロスは語れないので渡貫さんを呼びました。
渡貫淳子さん(以下、渡貫):いやいや、語ってください。
ー(南極は)究極の食品ロスゼロかなと思って。ゼロというか・・・
渡貫:ゼロではないですよね。食品ロスの大前提として、無理は続かない、と思うんです。ロスを出しちゃいけない、出しちゃいけないと、そこに重きを置いてしまうと、たぶん続かない。だから、無理をしない程度に、ご自身ができる範囲で。南極においても、皆さん、日本よりは気を使って生活していると思うんですが、「スープ飲み干せ」「生ごみを出すな」という形で強制することは、一切ないです。廃棄のルールは決まっていますけれども、ごみを出すことに関しての制約は一切ないんですね。そこをきゅっと(絞って)してしまうと、それ自体がストレスになるので。
ー続かないんですね。
渡貫:はい。ですから、ストレスを感じるような活動は、食品ロス……難しいですね。
ー(広島の捨てないパン屋の)田村さんがやっていることは、抑え付けるのでなく、命。北海道の農家さんのことを語って、自然に、自発的に、そういう(捨てない)気持ちになるようにしているんじゃないかな、と。
渡貫:そうですね。田村さんが発信することによって、同意する方が彼のパンを愛されるのであって。
買わなくていいものをみんな買ってる もっとシンプルに生きられたら
ー日本では、ばんばん捨てている現状がある。そういう人に呼び掛けるとしたら、「無理しない範囲で食べる」という感じですか?
渡貫:そうですね、環境が・・・、食べ物においても何においても飽和しているわけですよ。飽和状態の中、買わなくてもいいものを、皆さん買うじゃないですか。食品に限らず。でも、結局、それが最終的に廃棄になるわけじゃないですか。もう少しシンプルに生きられないですかね。
ー環境を変えることで・・・本州に住んでいた女性の方が、宮古島に引っ越して。彼女が言ってたのが「本州のときはいっぱい買ってたのに、宮古に来たら買わなくなった」
渡貫:都市部で暮らしているからストレスなのかもと思いました。最近、地方に講演で呼んでいただいて行くんですよ。そうすると、皆さん、その環境で十分満ち足りていらっしゃる。この間、すごいのどかなところに行かせていただいて、自分の体内時計が、東京に住んでいることによってすごい早いんだ、ということを気が付いたんです。
食べることに制約のある南極では贅沢ではないおにぎりが些細な幸せにつながる
渡貫:私ね、もともと青森出身なんですけれども、東京に出てきて日本料理屋さんでバイトをしているときに、料理長に「体内時計が遅い」と言われたんです。要は仕事が遅いということなんですけれども。それは、今思うと青森時間だったんだな、と。東京とか、都市部で求められている時間がすごく早いので。南極はある意味、余暇はないんですけれども、やることがシンプルなので。合ってます?
樋口:シンプルでしょう?
渡貫:シンプルですよね。余計なことが、今、多過ぎるんですよ。それがストレスなんだと思います。
樋口:それは、南極に行ったから気づいたということ?
渡貫:そう。だって飲食業界にいたら廃棄なんて当たり前ですし、それを受け入れなければやっていけない。そういうもんだと思っていないと成り立たない業界にいたので。それは南極に行って分かったことです。
私が思うのは、(著書に書いた)おにぎりの最後のところ。
ーはい。
渡貫:最後の3行のところ。決してぜいたくなものじゃないと。日本にはもっとおいしいものがあふれているけれども、こんなおにぎりが些細な幸せにつながると書いたんですが、それは南極だからじゃなくて、たぶん国内においても同じだと思うんですね・・・(涙)
樋口:ティッシュを用意しようか?
渡貫:今日はハンカチを持っています。
樋口:すぐ泣くんだよ。
ー(本に)書いてありましたね。
渡貫:すいません、ここの最後の3行です、私の思いは。
(筆者注「最後の3行」:渡貫さんは著書『南極ではたらく』(平凡社)で「悪魔のおにぎりの材料は決して贅沢ではない。日本にいればもっとおいしいものが溢れているけれど、食べること自体に制約のある南極では、こんなおにぎりが些細な幸せにつながっていた」と書いている)
消費者にも責任はある
渡貫:私は消費者にも責任はあると思うんですよね。
ーありますね。
渡貫:はい。消費者が、「自分に責任がない」と思っているのが問題であって。画一の、きちんとした、安定した商品を求める消費者がいらっしゃるから、企業がクレームを出さないために、価格も規格も統一し、事故が起きないようにし・・・
ー2月3日の閉店間際、大学生と手分けして35店舗、恵方巻きの売れ残りを見て廻ったんです。百貨店とコンビニとスーパー、全部見たんですけれども、多いとスーパーだと恵方巻き200本近く、百貨店でも、あと5分で閉まりますというときに300本とか。売れるわけないじゃないですか。コンビニは見切り販売は、してもいいけどできづらい事情があって、全国で1%ぐらいしかやっていないんですね。スーパーや百貨店は、時間を見て店員さんが20%引き、30%、半額とやっていくんだけれども、(消費者が)砂糖に群がるアリのように、ごーっと集まって。
樋口:そんなに恵方巻き食いたいかな?
ー商売の基本って、売る人が「これおいしいから食べなよ」と売って、お客さんも「これを食べたい、家族にこれを食べさせたい」と買うのが・・・まあ理想論ですけれども。スーパーで店員さんが2人掛かりでバンバン恵方巻きに値引きシール貼って、それ買っていくところを見ていると、単に安いから買うんですよ。そこに何の意思もないというか。
ちっちゃい「村」の仲間が大変な思いをしてるから「ごみを減らす」「ロスを減らす」
渡貫:食品ロスという意味では山屋さん(山登りする人)も、ですよね?
樋口:似てるでしょう?北海道の山は山小屋がないので自分たちで食材を担いで何とか泊まり歩きして。ご飯作れば、なるべく余らさないようにする。余ったらそれこそ若い食うやつに最後まで食ってもらう。
渡貫: 私は食品のロスに対して、環境を考えてというよりは、ごみを処理する担当の負担を減らしたい、という思いのほうが大きかったです。日本だったら、ごみ集積場に分別をして捨てるまでが個人の責務じゃないですか。南極だと、例えば樋口さんがごみ担当だとすると、私たちが出したごみを樋口さんがその後どうやって日本に持って帰るか、までが全部生活の中で見えるわけですよ。樋口さんが大変な思いをしている。じゃあ、できることは何かといったら、ごみを減らすこと。
樋口:環境保全担当の隊員がいます。主に廃棄物処理と汚水処理が仕事。焼却炉から出た灰は、国内に持ち帰って処分する。汚水は、日本の環境基準よりも、もっときれいにして海に流しているんですけれども、その機械のメンテナンスを担当する隊員がいます。
昭和基地はちっちゃい村みたいなもの。発電機担当の隊員もいるし、調理担当もいるし、お医者さんもいる。ちっちゃい「村」だから全部見られるわけです。担当者はそれぞれ1人ずつしかいないし。隊長は村長さんみたいで。
日本ではコンセントの先(エネルギーの有限さ)まで考えない
ー樋口さんは、1回目と2回目の隊員のときと3回目(隊長)とで何が違ったんですか?
樋口:1回目、2回目は南極の野外に行く人たちの安全を守る仕事、野外観測支援担当。ばんばん外に出て、みんながけがをしないように帰ってきてということを1年間やっていました。3回目は、あんまりお外に出られなかった。
渡貫:30人(隊員)の平均年齢40歳なんですよ。それぞれの分野で社会的地位を築かれて着任しているわけですから、プライドもあるわけです。価値観が一緒になることはまずない。でも、他の人の価値観を知ることによって、許せる範囲が広がるわけですよ。
生ごみにしても、相手が見えているから(削減)できたことであって、相手が見えなかったらできなかったかもしれない。でも日常が平穏で何事もなく、トラブルもなく1年4カ月がすーっと過ぎていたら、きっと何も思いは残らなかったでしょうし、この1冊(著書)も生まれなかったと思います。
樋口:まあ、そんなことはあり得ない。
渡貫:でも、だからこそ面白い。面白くないですか?
樋口:面白いですよ。面白くなかったら一緒にいない。
渡貫:きれい事かもしれないですけれども、相手を思いやれるから、食品ロスも考えられましたし。いろいろ考えた時間でした。日本でコンセントの先を考えることはないじゃないですか。
樋口:電気を使い過ぎるとすぐ停電になっちゃう。停電になったら暖房も途絶えて。
渡貫:冷蔵庫も止まり。
樋口:3時間ぐらいで水が凍り始め。
渡貫:南極で働いている人たちは賞味期限、消費期限にはあまりこだわらない方が多いです。というか賞味期限内に食べられるものが少ないので。
農産物を使い切る そのためには食材それ自体が良質である必要がある
ー途上国は農産物ロスが多いんですね、フィリピンは国内の物流コストが高いのと、冷蔵庫や冷凍庫がないから、マンゴーとかいろんなものが駄目になっちゃう。
渡貫:ヴィーガンの方やベジタリアンの方の野菜の食べ方は秀逸ですごい。ニンジンなんか、へたのところだけくるっとむいて使いますし。あの方たちの廃棄の量とか料理の仕方はすごい勉強になります。ただ、皮と実の一番おいしいところに農薬がたまるので、大前提として食材自体がきちんとしたものではないと、皮やそういうところを全て調理するのは賛否両論分かれるところではあるんですけれども。
コンビニなくても生きていける
ーコンビニが南極にないということで。イタリアに取材行ったときに・・・イタリアはコンビニがないんですよね。なければないでやっていけるんだなと思ったんですけれども。どうでした、実際は?
渡貫:実は、私はコンビニにすごく近い食品メーカーにいながら、日常コンビニに行くことがないです。私の生活の中にコンビニは必要ないです。
ーそれは行かれる前から?
渡貫:行く前から。コンビニで買い物するってすごく不経済なんですよ。コンビニはどうしても支払わなきゃいけない払込用紙があるときとかそういうとき。日常的にコンビニには行かないです。
ーじゃあ、別になくても全然?
渡貫:うん。仕事上コンビニに行って商品陳列棚を見ることはあっても買い物をすることはないです。南極において・・・若い子たちはどうだったんですかね?
樋口:なけれりゃないでいいんじゃない?ないからね、確かにね。
売り切れご免でいい
渡貫:売り切れ(品切れ)を怖がるじゃないですか。売り切ったらいいんですよ。
ーそうですよね。
渡貫:供給が過剰だから廃棄が増えるんであって。供給をコントロールする。消費者も売り切れるということを受け入れられるのがスタンダードになれば解決する部分は多いと思うんですけれどもね。恵方巻きもしかりで、売り切れご免で。
田村さんの捨てないパン屋さんも売り切れが当たり前じゃないですか。だから廃棄がないんであって。売り切れることを良しとできる環境ができればいいんですけれどもね。
ー売り手のほうが強い立場にあって、メーカーは売り手に従わないと取引停止というのがあるから。売れ残ったものは消費者が払っていると気付いてないのが問題ですね。
「伝わるように伝える」とは?
ーアカデミック(学術界)でずっと来ているわけじゃないから、書けないんですよ、完璧な論文が、アカデミックなのが。
渡貫:アカデミックって必要ですか?
樋口:必要なんじゃないの?
渡貫:でも、一般の方には伝わらない。
樋口:全部に伝わらなくていいと思う。人に伝える努力をする必要はあるけど、人に伝えることが本来の仕事じゃない。研究者って言葉は悪いけどいわゆる「オタク」だし、そうでなければ研究を続けられない。オタッキーなことを突き詰めて、すぐ社会に役立つものもあるだろうし、50年、100年後に役立つものもある。それはそれで研究者に任せておけばいいけど、短期間で成果を求める政策に従わなければならない側面がある。目先の成果にとらわれない自由な発想を持ち続けて欲しいよね。
ーもったいないですよね。
樋口:井出さんみたいな人が貴重なんです。
ー私は最初が研究職なんですけれども。研究者の人って時々もったいないんですよ、伝え方が。アカデミックな分野の人は、「実務の人には分からないよねー」みたいな。
渡貫:言葉を変えれば伝わるのになあと思うところはあります。私、南極から帰ってきてメディアに取り上げていただく機会が多くなって、取材をお受けしていくうちにわかったことがあるんです。情報って100あるうちの100言っても伝わらないんですよ、10も伝わらない。研究者の方、アカデミックな方は100あったら100伝えようとするじゃないですか。
樋口:それで余計伝わらないんだな。
また涙・・・
樋口:これでどんな記事ができるの(笑)
渡貫:本当ですよね(笑)
ー写真をちょっと撮らしていただいても?
渡貫:写真、要ります?
樋口:じゃあ、渡貫さんだけでいいです。
渡貫:要らないです、要らないです。
樋口:そんな(涙の)写真になっちゃう。
渡貫:要りません。
樋口:今シャッターチャンスです(笑)
ーえ、今シャッターチャンス?(笑)
樋口:また樋口が泣かせた、みたいな。
取材を終えて
お忙しいお二人に3時間半もお話をお伺いした。樋口さんの「10年間のうち4割(4年)は南極にいた」には驚いた。
お話を伺った最初の10分で「南極でロスを出さないよう強制することはない」という言葉に出会い、食品ロス削減の本質的な答えを頂いたと思った。
日本でこんなにも「食品ロスを減らすように」と言わなければならないのは、全ての資源に限りがあるという意識が欠如しているからだろう。水も電気も食料も「どこかから湧いて出てくる」ものだと思っている。全てが無限に得られるものというおごりがあり、自然界から命を頂いているという謙虚な姿勢を忘れている。
南極観測隊の暮らす環境は、水も電気も食料も有限だ。強制されなくても、隊員は自然に「大事に使おう」と意識するのだろう。
「仲間のためにごみを減らす」という言葉も頂いた。ごみを処理する人が仲間で、その顔が見えるからこそ、なのだろう。日本の多くの場所では、ごみや食品ロスで困る人・農産物や食事を作った人との関係性もなければ顔も見えない。
渡貫さんの著書には、南極観測隊の現場で実践されていた、ロスを出さない対策やレシピが細やかに描かれている。印象的だったのは、帰国後「ありとあらゆる食べ物に囲まれ選ぶこともできず、スーパーの惣菜コーナーに並べられている食品を見たとき、時間が経ったらこれらはみんな廃棄されるんだろうなと思っただけで涙が出てきた」という言葉だった。食べ物に制約がある環境で1年4ヶ月暮らしてきた渡貫さんにとって、その感情はどれほど大きく深いものだろう。食べられるものが捨てられるって、涙が出るほど悲しく、やるせないことなのだ。
南極観測隊は、規則に縛られて仕方なくごみや食べ物のロスを減らすのではなく、自発的に自然に仲間のことを思いやり、無理なく資源を大切に使う方たちだった。
取材日:2019年2月20日