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バドミントン・ロンドン五輪銀メダリスト、フジカキ最後の戦い

楊順行スポーツライター
2012年ロンドン五輪バドミントン女子複で銀メダルの藤井瑞希(右)/垣岩令佳(写真:ロイター/アフロ)

 いまや日本は、バドミントン王国といっていい。男女単複、混合の5種目ともに世界トップランカーを擁し、ことに女子複は上位3組を含み、ベストテンに5組がひしめく。ただその強さは、ここ2、3年のこと。さかのぼれば、末綱聡子/前田美順がオリンピックで全種目中初めて4位に入賞したのが08年北京であり、初メダルは12年ロンドンの藤井瑞希/垣岩令佳、いわゆるフジカキの銀だった。

フジカキの紆余と曲折

 ただ、ロンドン後のフジカキ、ことに藤井には紆余曲折があった。ありすぎた。銀メダルを獲得したあと、9月のヨネックスオープンジャパンで敗退すると藤井は、「私には次の夢がある」とサプライズのペア解散を宣言。12年、最後となる(はずの)全日本総合では、決勝で高橋礼華/松友美佐紀と対戦した。だが初の日本一を目前にしながら、藤井が右ヒザを負傷し、無念の途中棄権だ。藤井は1年間のリハビリを経て復帰も、翌14年の3月31日付でルネサスを退社した。「視野を広げるため」に、ドイツでのプレーを選んだのだ。

 欧州を拠点に活動中の16年。熊本を、大地震が襲う。故郷の人々がもがき苦しんでいるのに、私だけが安穏としていていいのか……いても立ってもいられない気持ちから、日本での現役復帰を決断した。それには、パートナーは垣岩しかいない。藤井不在の間に垣岩が組んでいた前田が16年度で引退したこともあり、17年度から垣岩とのペアで日本バドミントン界に復帰したわけだ。目ざすは、ふたたび日本代表となっての東京五輪出場。だが、そのオーディションともいえる17年の全日本総合は、同じ再春館製薬所の福島由紀/廣田彩花(現岐阜トリッキーパンダース)に1回戦負け。事実上、日本代表への道は断たれた。

 今季は、5月の日本ランキングサーキットで2回戦負けし、9月の全日本社会人でもベスト16。「個人戦としては、最後の大会」と宣言したこの全日本総合選手権、本戦出場には、予選突破が必要だった。これが、ロンドン後のあらましである。

 フジカキ、ことに藤井には、ことあるごとに長いインタビューをさせてもらった。07年のルネサスSKY(のちルネサス、現再春館製薬所)入社時、12年のロンドン五輪直前、14年の渡独前、17年の国内復帰前……。そのたびに、こちらの意図を察した頭の回転の速い受け答えに舌を巻いたものだ。

世界トップ水準の大会で

 今回の、予選突破から本戦1回戦勝利の囲み取材でもそう。ここからは、藤井のコメントを中心に構成する。まずは本戦出場を決め、

「去年の(全日本)総合で1回戦負けし、代表に復帰して東京へ、というのは正直厳しくなった。そこで(垣岩)令佳とも、会社ともじっくり話して、あと1年間だけプレーして引退しようと決めました。(予選突破は)まさか、という感じですが、成績は気にせず令佳と1ゲームでも、1分でも長くプレーしたいのでよかったです。最後の大会で日本代表を、日本一を決める舞台に立てるというのはありがたいことです。あ、でもS/Jリーグ(団体戦)は登録してもらっているので、出るかもしれませんが」

 そして、同じ再春館製薬所の山口茜(パートナーは綿矢汐里)に勝利した本戦1回戦のあとは、

「(山口)茜ちゃんはシングルスの選手なので、対戦が決まったときは"いける"と。試合中に競ったときは、茜ちゃんは頭がよく、勝つ方法を知っていると思い、もう一度締め直しました。レシーブをしっかりして準備ができたので、あの攻撃にも対応できた」

 さあ、そして……29日の2回戦は、タカマツが相手である。

「私たちが代表でやっていたときは、中国がダントツでそこに韓国、日本が必死についていた感じ。それがいまは、女子ダブルスのトップテンに5組って……この全日本総合が、SSF(スーパーシリーズ・ファイナル。年末に、その年の世界トップランカーだけが集まる年間世界一決定戦。現ワールドツアー・ファイナルズ)みたいなレベルですよね」

 いずれにしても、2回戦でロンドンの銀、リオの金というメダリスト対決が見られるのだから、ファンにとってはたまらない。「スピード、体力、球の質、明らかにむこうが上。後輩の胸を借ります」と藤井はいうが、両者の最後の対戦は13年日本リーグ。藤井が笑いながらいう。

「そのときは、私たちが勝っているんですよ!」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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