【JAZZ】音楽が時系列の芸術であることを再認識させる超絶技巧の独り舞台
ギタリストにして作・編曲家、キーボード演奏にも卓越した才能を発揮する鈴木よしひさが、数年前から打ち込んでいる“ポリパフォーマンス”に対する認知度アップを目的としたツールとして完成させたのがアルバム『ポリパフォーマンス』だ。
♪打ち込んでいるけど打ち込んでない音楽?
ついうっかり“打ち込んでいる”と書いてしまったが、本作の主意は“打ち込み”という手法に頼らず、リアルタイムでそれぞれの楽器を演奏することにある。ループマシンも使用しているが、それも原則的に同時進行で処理される。
本編は16曲収録のCDだが、“ポリパフォーマンス”を見たことがなく、なにをやっているのかわからないという人のために、演奏内容を本人が解説するDVDが付いている。いや、見たことがある人が改めて見ても感心すること必至のDVDである、と訂正しておこう。
ギターには、弦を爪弾く、かき鳴らす、メロディーと伴奏を同時に弾く、ボディを叩くなど、ほかの楽器の演奏よりもヴァリエーションが豊かというか、許容されている面がある。
一方で、オーケストリオンのような自動多発声演奏器も19世紀には開発され、いかに少ない人手で多くの音を出せるかに関する人間の興味は連綿と続いていると言えるだろう。
オーケストリオンはマルチトラックのレコーディング手法やハードディスク・レコーディングなど技術の発展によって解消された感はある。初期のシンセサイザー演奏にはポリパフォーマンス的と感じる部分も多いのだが……。
♪見なけりゃわからないが見ちゃうと誤解するかも……
鈴木よしひさは、スタンリー・ジョーダンやタック・アンドレス(そして押尾コータロー)の延長線上に位置するのかと思われるかもしれないが、それには「違う」と答えるしかない。彼はギターでポリ(=複数の)サウンドをめざすのではなく、ギターを含めたバンド・サウンドを単独&同時に表現しようとしている点で一線を画している。
また、“見なければ理解しがたい”という点で話題性が高い反面、興味本位で取り上げられかねないデメリットも併せ持つ。
もちろん、ポリパフォーマンスを色物、ゲテモノとしてとらえても、それはリスナーの自由なのだけれど、なんら遜色のないどころか、音楽的に卓越した内容を備えていることに気づかずにおもしろがるだけで終わってしまうのであれば残念であり、もったいない。
鈴木よしひさがこだわるポリパフォーマンスには、バンド・サウンドの最終命題ともいえる同時発声の意味を解くカギがあるのではないかと思っている。
“息が合う”とはどんな状態で、どんな効果があるのかーー。
それを解くには、呼吸のブレを最小限にとどめる必要がある。極端な話、他人が混じるから“息が乱れる”のだ。
いにしえの楽聖たちは、脳裏に浮かんだメロディやハーモニーを楽譜に移し、複数の他人による同時発生にその再現をゆだねるしかなかった。しかし当然、そこには解釈の齟齬や異なる個性の混入がある。
純粋であることの是非は別にして、個の表現と再現を突き詰める意味は大きいと思う。もちろんそれは、一部の才能ある人にしか許されないことでもあるが。
それを許された鈴木よしひさのオリジナリティにあふれたポリパフォーマンスは、それゆえに“スゴい”のひと言で済ませてはいけないのだ。