ちょっとしたことで「共感」は生まれる
見知った人間と「赤の他人」の違いとは
私たちは、他人との関係性をどんな尺度で決めているのでしょうか。物心ついたころからよく見知っている親兄弟や血縁者は最も近しく感じる対象でしょう。友人や恋人、パートナー、隣近所の人、仕事仲間などというように関係性の範囲が広がっていきます。
その一方、見知っていない全くの「赤の他人」にはあまり関心を抱かず、時として憎悪や攻撃の対象になったりもします。ネット上の誰かに対して罵詈雑言を浴びせたりする場合は、匿名で自分が「赤の他人」になりすましていることもあるのかもしれません。
いずれにせよ、自分と近しい関係の相手には、面と向かって罵詈雑言など発することはなかなか難しいでしょう。逆に「赤の他人」という関係性が希薄な相手には、こうした抵抗感をあまり抱かずに憎んだり攻撃したりしやすいとも言えます。
もちろん、人間には他者の傷みを自分のことのように感じる「共感」の感情があります。では、この「共感」は他者との心理的な距離とどんな関係性があるのでしょうか。どの程度の「仲」なら「共感」の感情が芽生えるのでしょうか。
一緒に何かをやると「共感」が生まれる
これについて、カナダのマギル大学(McGill University)というところの研究者が、学生を使ってある実験をしたそうです*1)。実験に使ったのは日本ではまだプレイできない「Rock Band」という音楽ゲーム。多種多様な楽器をそれぞれのプレーヤーが担当し、一緒にバンドを組んで演奏をする、というもので、このゲームを一緒にした「赤の他人」と、ゲームをしない全くの「赤の他人」とで「共感」の度合いを比べてみました。
実験は、一緒に15分間「ROCK BAND」をやった二人、互いにまったく見知らぬ二人、という二人一組の複数の組み合わせで行われたそうです。研究によると、一緒にゲームを15分もやれば、全くの「赤の他人」よりもずっとお互いに対して「共感」できるようになりました。
どうやって「共感」の度合いを調べたのかといえば、一人が氷水が入った冷たい水に手を入れ、別の一人はその感覚を評価してもらいます。やはり、一緒にゲームをプレイした組み合わせのほうが、より他者の感覚に「共感」した、というわけです。
「共感」できない「赤の他人」からのストレス
これは、マウスを使った実験でも同じような「共感」の情動反応がみられましたが、私たちは「同じことを一緒に行う」という単純な行動で、感情的にかなり影響を受けやすいようです。軍事教練では、集団で同じ動作をし、ある命令に対して同じ反応をする、ということが繰り返し行われ、幼児教育でも組み体操など同じ動作をみんなでやることを熱心にやります。
こうしたことで、一種の社会的、同族的な「共感」が生まれるのかもしれませんが、企業社会も似たようなものでしょう。また一方で、全くの「赤の他人」の存在は、知らず知らず私たちに強いストレスを与えているとも考えられます。満員電車で「赤の他人」と密着することが、どれほどのストレスなのか考えるとちょっと怖くなりますね。ただ、一緒に満員電車に乗っている、という「共感」が、時に生まれることもあります。
- 1) Loren J. Martin, Georgia Hathaway, Kelsey Isbester, Sara Mirali, Erinn L. Acland, Nils Niederstrasser, Peter M. Slepian, Zina Trost, Jennifer A. Bartz, Robert M. Sapolsky, Wendy F. Sternberg, Daniel J. Levitin, Jeffrey S. Mogi. "Reducing Social Stress Elicits Emotional Contagion of Pain in Mouse and Human Strangers", CELL, Volume 25, Issue 3, p326-332, 2 February 2015. DOI: http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2014.11.028