圧巻の「首位打者」たち。2位との差が4分以上の打者や、リーグで唯一人の3割打者
2009年以降、打率リーグ2位の選手に3分以上の差をつけた首位打者はいない。昨シーズンは、セ・リーグの鈴木誠也(.335/広島東洋カープ)が2位のダヤン・ビシエド(.315/中日ドラゴンズ)と2分差、パ・リーグの森友哉(.329/埼玉西武ライオンズ)は2位の吉田正尚(.322/オリックス・バファローズ)と7厘差だった。
20世紀には、2位を4分以上も引き離した首位打者が、延べ11人いた。その差が最も大きかったのは、1951年の大下弘(.383)だ。この年のパ・リーグ2位は.315の蔭山和夫。1994年のイチロー(.385)も2位のカズ山本(.317)との差は6分8厘だが、これは、それぞれの打率の小数点第4位(毛)を四捨五入後に計算したもの。より細かく見ると、大下と蔭山の差は.06854…、イチローと山本の差は.06794…となる。また、1995年のアロンゾ・パウエル(.355)とロバート・ローズ(.315)の差は、厳密には4分未満(.03971…)だ。
イチローは、1994~2000年に7年続けて首位打者を獲得し、そのうち3度、2位に4分以上の差をつけた。他の4度は、1995年(.342)が3分3厘差、1997年(.345)が1分4厘差、1998年(.358)が3分8厘差、1999年(.343)は1分3厘差。1分未満の僅差は一度もなく、7度中5度は3分以上の差があった。ちなみに、メジャーリーグ(ア・リーグ)で獲得した首位打者は、2001年(.350)が8厘差、2004年(.372)は3分2厘差だった。
また、2位に4分以上の差をつけた首位打者のなかで、1941年の川上哲治(.310)だけは、極端に打率が低い。他の延べ10人は、いずれも打率3割5分以上を記録している。もっとも、1941年の3割打者は川上しかおらず、彼を除くと、打率2割7分以上の打者さえいなかった。
川上を含め、リーグで唯一人の3割打者は、延べ6人いる(1942年は3割打者が不在)。長嶋茂雄は、1959年(.334)と1971年(.320)の2度。他の4人は左打者、長嶋は右打者だ。しかも、セ・リーグで唯一人の3割打者となった両年とも、2位との差は3分5厘以上あった。長嶋は1961年(.353)も――この年のセ・リーグには3割打者が他に2人いたが――2位に3分7厘の差をつけている。
なお、2位との差が大きかった右打ちの首位打者を上から5人並べると、1938年秋の中島治康(.361=4分1厘差)、1995年のパウエル(.355=4分差)、1999年のR・ローズ(.369=3分9厘差)、1964年の広瀬叔功(.366=3分8厘差)、1959年の長嶋(.334=3分8厘差)となる。さらに、6位と7位も、1961年と1971年の長嶋だ。
8位には、2008年の内川聖一(.378=3分1厘差)が位置する。当時、横浜ベイスターズでプレーしていた内川(現・福岡ソフトバンクホークス)は、1999年のR・ローズを抜き、右打者のシーズン最高打率を塗り替えた。