落合弁護士による「特定秘密保護法案の刑事手続上の論点」
元検事で弁護士の落合洋司さん(東海大法科大学院特任教授)が、12月2日、参議院議員会館で「国家機密と刑事訴訟~特定秘密保護法案の刑事手続上の論点」と題する講演を行った。東京地検公安部での捜査経験もある落合弁護士は、「公安捜査の経験者から見て、捜査権限を発動しやすい法案」と述べ、処罰範囲が広く、捜査が暴走しないための歯止めもないなど、問題点を指摘。「捜査経験者として、公安捜査にも関与したことがある身としては特に、強い危惧感を覚えるものがあり、慎重な議論、審理が不可欠」と述べた。
以下は、講演の抄録(文責:江川)
視点
特定秘密保護法案について、刑事手続において、現実にどのようなことが起きるか、いかなる危険性があるかということを、現行の刑事実務に即して考えておくことは必要であり、意味があるのではないか。そういう視点で検討を加えてみたい。
捜査はいつ、どのような始まるのか?
一般の刑事事件では、警察による犯罪の認知や被害者による届け出、相談から捜査は開始される。その後の捜査に問題が生じることはあっても、犯罪なり犯罪的事象がまず存在している。窃盗とか放火とか、そういった事象が生じている時、そういった対象に捜査を行うのをいけない、という人はいない。捜査の必要性、合理性があるのが普通。刑事部(警視庁刑事部や東京地検刑事部など)が担当する。
これに対し、法案が想定する各種犯罪行為は、高度の政治性がある。であるがゆえの特殊性を有する可能性が高く、いわゆる「公安事件」として、取り扱うのも、公安部(警視庁公安部や東京地検公安部など)になる。
ここが、まず全く異なる。
私自身も東京地検公安部に所属していたことがあるが、こういう公安事件の特徴としては、「犯罪があるから捜査する」だけでない。
たとえば
「捜査すべき組織や人がいるから捜査する」
「捜査することに意味、意義がある」
「捜査により組織や人に打撃を与える」
といった政治的、恣意的な捜査が行われることが往々にしてある。
たとえば、出前のチラシを集合住宅にポスティングしても誰も立件されないが、政治的な主張を記載したビラとなると、話は違ってくる。建造物侵入等で起訴され、激しく争って最高裁まで有罪となったりする。
警視庁公安部が捜査終結にあたって、国松長官の件はオウム真理教の関係者であるということを表明して、それが名誉毀損であるとして、民事訴訟に訴えられた件で、一審で負けて、先日、2審でも負けた。
あれは公安的発想。一般の刑事事件であれば、不起訴になった事件を警視庁刑事部がああいうことは絶対やらない。起訴もできないのに、「あの人が犯人なんです」とわざわざ公表するのは、普通の刑事事件の感覚であればありえない。公安事件では、その辺の感覚が違う。証拠は乏しかったけれど、特定の人なり組織なりがやったということについて公表していく、それには公安的な意味、価値がある、と考えたのだろう。100万円という損害賠償が認容されても、天下国家のために必要だったんだというのが、公安的な感覚。
公安捜査が全部ダメだというつもりはないし、適正に行われているものもあり、そうしなくてはいけないのだが、このような公安捜査の特徴に加えて、法案が「秘密」に関わる行為を広範囲に処罰対象にしていること、また未遂犯、過失犯まで処罰対象としていることから、「特定の対象に対し捜査を遂行する意図」があれば、起訴が難しくても、様々な切り取り方により立件が可能になる。犯罪構成要件が幅広くなっているので、今言ったような意図を持って進めていけば、「この辺をつまんでいけば、いけるんじゃないか」と感じる。
自分の公安捜査の経験に照らしてみると、捜査権限を発動しやすいという印象を持つ法案だ。そういう印象を持つ法案は、危険性が高いと思わないといけない法案でもある。
犯罪構成要件のどこに問題があるか
法案23条
未遂犯も過失犯も処罰される。特定秘密の漏えいという結果が発生しなくても犯罪になる。漏えいする意図があれば、些細な行為が処罰対象になり得る。
過失犯とは、国家公務員法では処罰されていなかったが、この法案では処罰の対象となる。「ついうっかり」も処罰対象。人は、故意犯は犯さないと思っている人は多いが、過失犯というのはやってしまう可能性がある。車の運転も注意しても、100%事故は起こさないとは言えない。ついうっかりは誰しもありうること。それを処罰対象とする圧迫感は、公務員の特定秘密を扱う人にはかかってくるだろう。
未遂犯、過失犯が処罰されることで、それだけ処罰範囲は大きく広がることになるのは明らか。
法案24条
「人を欺き、人に暴行を加え、もしくは人を脅迫する行為により、または財物の窃取もしくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者」が対象だが、「管理を害する行為」が何かは曖昧、不明確であると言わざるをえない。「管理」の概念を広く捉えることにより、些細な行為が「管理を害する行為」ととらえられて、少なくとも捜査段階での令状発布等の場面では決め付けられる恐れは多分にあろう
法案25条
秘密の漏えいを「共謀」「教唆」「煽動」した者が3年以下、または5年以下の懲役とされている。
「共謀」とは犯罪の実行について合意すること。刑法で共同正犯という場合、実行行為を共に行うという実行共同正犯だけでなく、共謀共同正犯も処罰に値することになっている。その場合は、共謀した2人以上の誰かが実行行為に及んでいる。
法案が言うのは、「共謀」しただけで、犯罪が成立する。誰も実行しなくても処罰の対象になる。数年前、組織犯罪処罰法の中に共謀罪を入れようとして、法案が提出され、大きな反対が巻き起こった。法案は成立せずに、共謀罪は日の目を見なかったが、そこで問題となった共謀罪がこの法案に入ってきた。組織犯罪処罰法の時に議論された危険性や問題点がここでも指摘されなければならない。
当時の議論の中で、法務省は、具体的、現実的な合意を要するとしていた。しかし、刑事実務では、「黙示の共謀」も共謀に含まれるとされる。言葉にする必要はない。目と目があって意志が通じ合うとか、暴力団の事件で親分が「オレの気持ちは分かってるな」というと子分が「はい」と言ったりする。お互いに何をやるか口に出さなくても、気持ちが通じ合う場合は黙示の共謀とされ、かなり広範囲に共謀が認定されている現実がある。
暴力団の組長と護衛役との間に、(拳銃所持の)黙示の共謀が認定されたケース(スワット事件など)もある。最近では、政治資金規制法の事件で、小沢さんを起訴した根拠も「共謀」。最終的には無罪になって確定したが、一審判決見ても、状況証拠で共謀していたと疑われる状況はあった、としている。断片的なメモが立証に供されて、共謀しているんじゃないかとされる危険性を持っている。何人か疑われている中で、間違った自白をしてしまうケースもありうる。過去の冤罪事件をみていると、複数の人がいて、逮捕勾留されてガンガン調べられる。やってなくても耐えきれないで、早く終わりたいということでかなり迎合して嘘の自白をする場合がある。そういった調べが他の人の証拠にも使われて、共謀したとして起訴される例は、過去にもある。共謀を独立した犯罪とすると間違った立件につながってくる可能性が高くなる。
そういったことも、この法案の審議ではもっと議論されなければいけない。
「教唆」とは、犯罪の決意をさせるようはたらきかけること。
「煽動」とは、犯罪に及ぶようあおること。
たとえば、インターネット上で、公務員に対して国民に有益な情報の提供を広く呼びかけるような行為をすると、内容によっては「煽動」と評価される可能性がある。「煽動」については、表現の自由との均衡を図るため、「明白かつ現在の危険」がないと処罰できないという考え方もあるが、我が国の判例はそこまでの切迫性を要求していない。判例によれば、煽られた対象が犯罪に及ぶ危険性がある行為を行えば、処罰に値する、表現の自由も無制約ではない、となる。
刑法上の教唆犯は、正犯が実行行為に着手しない限り処罰されない。だが、こうした特別法における教唆犯は、教唆行為があれば処罰可能。処罰範囲はより広がっていく。
法案の中に歯止めはあるか?
このような条文がある。
法案第22条
この法律の運用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない
2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする
しかし、1項のようなスローガン的な規定は、他の法律でも時折見られるが、「あってはならず」といっても、それは当然のことで、法規範としての実効性はない。法規範は、何かに縛りをかける「これをしてはいけない」「こうしなければいけない」というのがあって初めて意味がある。「あってはならない」というのは、「戦争があってはならない」と言っても戦争が起きることの歯止めにはならないのと同様。実効性は乏しい。
「十分な配慮」も、何が「十分な配慮」なのかは曖昧かつ不明確で、これも法規犯としての実効性はないか、極めて乏しいものでしかない。
捜査はいったん動き始めると、敷いたレールの上をばく進するようなもの。この事件を何とか形にして起訴にもっていかなきゃと必死になる。そうやって必死になっている人たちに、「あってはならない」などと言っても何の意味もない。この規定に実効性はない。気休めにもならない。捜査の暴走への歯止めにはならない。
「報道又は取材」に限定する方法論もかなり問題。国民が、主権者として行政の保有する情報にアクセスしようとする行為への配慮が見られない。「業務」というのは、反復継続して一定の行為に及んでいるということ。ブロガーなども反復継続していると、報道の業務の中に入れると言っているようだが、どこで線引きをするのか。
「法令違反」というのも、実はあいまいで不明確。
たとえば、
・午後5時以降は部外者立ち入り禁止(日中は出入り自由)の建物に、午後5時以降に記者が立ち入って取材するのは、形式的には建造物侵入に当たりそう
・官公庁などには入るのに訪問票というのを書かされることがあるが、取材先に立ち入るため身元を隠そうと考え、訪問票に偽名を書いて立ち入った。これは形式的には私文書偽造・同行使罪に該当しそう
このような場合に、取材目的が正当で平穏に活動していても法令違反ありとして正当な業務とみないのか。このように、法令犯を形式的に捕らえれば処罰範囲は大きく広がる危険性を持っている。
捜査はどのように行われるか
ざっくりと3類型に分けてみる。
1 監視・内偵から立件パターン
警察当局は、様々な組織や人を、警察当局の判断・基準に基づいて、日々監視し内偵を行っている。その過程においては、様々な情報提供者からも情報を入手する。中には「エス」と呼ばれる組織内の情報提供者もいる。そこから、立件へと結びつく、結びつけるケースは従来も立件例があり、今後も一定数出てくるはずである。
中には、証拠が乏しくて、起訴までは難しい、というものもある。そういった場合、起訴できないからやめるのか。ここが刑事事件と違う。刑事事件であれば、起訴できないものはやめておこうとか、せいぜい検察庁に送って終わる、と考える。公安事件では違う感覚、違う考え方で動いている。本来は起訴は難しい事件でも、既に行った監視・内偵を無駄にせず、組織や人に打撃を与えて、今後の特定秘密へのアクセスを防止するといった政策的立件もありえる。その見立てが間違っていれば、関係者に甚大な悪影響を及ぼすことになる。
2 内部調査や内部情報により立件パターン
行政機関の内部調査、内部情報が出てくる。たとえば、内部抗争の挙げ句に、抗争の一方が他方を打倒するため警察にタレこんだりする。それに基づいて立件される、というケースもありえる。役所は人事抗争が激しかったりして、政治家まで巻き込んだ暗闘が起きることもある。その中でタレこんでくるという場合もあるだろう。
警察が得た情報の内容によっては、立件したものの捜査が進捗せず、無理な捜査が行われることもありうる。根拠薄弱なまま捜索差し押さえが濫用され、その対象に報道機関、報道関係者も含まれるといった捜査へとつながりかねない。
3 特定秘密が報道等により外部へ出ていることが判明し立件されるパターン
西山記者事件のようなパターンである。このようなケースでは特に、秘密漏えいの経緯、漏えい元に関する捜査が徹底して行われることになるだろう。報道により外部への漏えいが明るみになったのであれば、報道機関や報道関係者に対する捜査が行われることになる。
報道機関へいかなる捜査が?
法案に関する政府答弁では、報道機関への捜索・差押が行われないかのように言ってる人もいたが、従来の判例では、報道機関への捜索・差押は表現の自由との関係から慎重に行われるべきとしながらも、捜索・差押自体は許容している。
たとえば、H2年7月9日の最高裁決定(TBSビデオテープ押収事件)で、最高裁は「諸般の事情を比較衡量すべき」と述べている。それで必要となれば、令状も出る。
刑事訴訟法では、報道機関、報道関係者に情報源(ニュースソース)に関する押収拒絶権や証言拒絶権認められていない。捜査の中で、報道機関や報道関係者の自宅等への捜索・差押は十分に行われる可能性がある。情報源を明らかにするため、報道関係者への取り調べが要請されることも十分あり得る。報道機関だから情報源明らかにしなくていい、ということにならない。10年以下の懲役など重たい犯罪にしているので、それだけの犯罪があった疑いがあって捜査機関が動いている時に、報道機関が対象にならないはずがない。
参考人は取り調べを拒否できるが、その場合、刑訴法226条による公判前の証人尋問を行うことができる。報道関係者は証言拒絶権がないことから、情報源について情報源についても証言義務を追うことになる。
我が国では、刑事法制上、報道機関による取材、情報源秘匿についての法的保護が希薄。その上での秘密保護法成立は、さらに報道機関を窮地に陥らせる可能性が高い。
報道を見ていて、報道機関によって、強く反対しているところと、反対していないところがある。反対していない報道機関は、こういう危険性というのは分かっているんだろうか。こういう点はちゃんと認識しておかないと、本当に大変なことになりかねない。
特定秘密に関する刑事公判はどうなるか
刑事公判を行ううえで、特定秘密をどのように取り扱うかは大きな問題となるだろう。
起訴状では、公訴事実が特定されなければならない。最近、性犯罪の被害者の名前を匿名にすることが問題になっているが、これも特定の問題。何をもって特定されるかというのは諸説あるようだが、他の犯罪と識別される程度に特定されていなければいけないし、それで足りるというのが今の実務のスタンダードな考え方。特定秘密が問題となった場合、犯罪構成要件上の行為対象となった特定秘密であることが識別できれば、その性質上、秘密の内容事態を記載する必要はない、という取り扱いがされる可能性は高いだろう。検察官は、それが「特定秘密」であることを外形として立証していく。防衛庁のだいたいこれくらいのところに来ている特定秘密、という程度で、中身は秘匿しつつ立証していくということにならざるをえないだろう。そういう立証ができなければができなければ起訴はできない。
ただ、このような取り扱い、立証をした場合、問題が出てくる。
・被告人が否認している場合や、既遂犯以外で秘密漏えいの結果が生じていない場合に、特定秘密の内容が明らかにされないため、被告人の防御権行使に支障を来す
・故意犯として起訴された場合に、「特定秘密」についての認識・認容が問題にされているにもかかわらず、具体的に明らかでないため、外形立証の限度でしか問題にできず、刑事公判が形骸化する
といった問題が生じる可能性はある。
法案10条では、裁判所や捜査に従事する人が他に見せないという前提で提供を認めているが、被告人・弁護人が内容を知ることは、そもそも想定されていない。
まとめ
法定刑も重く、その処罰範囲の広範さや捜査権限濫用の危険性にも軽視しがたいものがあって、報道機関への影響も、具体的な事件によっては多大なものがあり、その歯止めもないというのが実情である。
捜査経験者として、公安捜査にも関与したことがある身としては特に、強い危惧感を覚えるものがあり、慎重な議論、審理が不可欠であると考えるが、そうなっていないのが非常に残念である。
〈衆院で修正された後の法案全文はこちら〉