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12歳のときダイアナ元妃の死を心の中で封印したヘンリー英王子 母の遺志受け継ぐ決意明かす

木村正人在英国際ジャーナリスト
これからが楽しみな赤毛のヘンリー王子(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

米TV女優メーガン・マークルさん(35)との熱愛が報じられている英国のヘンリー王子(32)が英民放ITVのドキュメンタリー番組で最愛の母ダイアナ元皇太子妃との死別について語っています。英大衆紙デーリー・メールやデーリー・ミラーが一斉に報じています。

ダイアナ元妃は1981年にチャールズ皇太子と結婚、ウィリアム王子とヘンリー王子を授かりましたが、スキャンダラスなダブル不倫の末、96年に離婚。翌97年、エジプト人の大富豪モハメド・アルファイド氏の息子ドディ氏とともにパリで不慮の交通事故死を遂げました。

「パパラッチ」と呼ばれるカメラマン集団に追いかけられ、新しい恋人とみられていたドディ氏とダイアナ元妃を乗せた車はトンネルの中央分離帯に激突。車中のドディ氏とダイアナ元妃ら3人は死亡、ボディーガードだけが生き残りました。

英大衆紙の報道によると、最愛の母を12歳のときに亡くしたヘンリー王子はドキュメンタリー番組の中で次のように語っています。

「僕は実際のところ何が起きたかにとことん背を向けてきました。胸の中で封印した感情はたくさんあります。人生の大半、僕は本当に母の死について考えたくありませんでした」

「しかし僕は昔の自分とは大分違う見方で人生を見ています。かつての僕は砂の中に頭を突っ込んでいたのです。僕の周りにある自分をずたずたに引き裂いてしまうものすべてを埋めてしまったのです」

「僕は(王室や王族、それを取り巻くメディアや世間という)システムと闘ってきました。今も闘っています。僕は母のようにはなりたくありません。母が亡くなったのは僕が非常に幼い頃です。僕は母が置かれていた状況に置かれたくありません」

「僕はそれ(王族であるため必要以上に注目を集めてしまうこと)をどのように使えば良いのか今ではしっかり見えるのです。現在の僕はエネルギーでいっぱいです。燃えています。とても幸いなことに僕は変化をもたらすことができる立場にいるのです」

ヘンリー王子は2006年、アフリカ南部レソトの王子と同国を支援するチャリティー(慈善活動)団体を創設しました。レソトでは人口の23%がHIV(ヒト免疫不全ウイルス)を保有し、子供3人のうち1人が孤児という厳しい状況に置かれています。

「僕は自分の人生にとって本当の意味で建設的なことをしたいのです。母が誇りに思えるような何かをしたいのです。そんなとき誰かが僕に言ったのです。『すぐにレソトに行け』と。地獄とはこのような状況を言うのではないかと思いました」

「最初はチャリティーを立ち上げるメカニズムを持っていませんでした。文字通り、赤毛の白い王子がやって来て、子供たちを笑わせる以上のインパクトを与えることはできませんでした。アフリカ支援は未完の事業です。僕の母も決して成し遂げることができなかった終わることのない仕事なのです」

「僕はその原因と利益、関わっているチャリティーに非常に大きな情熱を持っています。僕がアフリカに抱いている愛情は決してなくなることはないでしょう。僕は自分の子供たちにこの愛情が引き継がれることを望んでいます」

ヘンリー王子は11月、メーガンさんとの交際を認めるとともに「彼女に対する暴言や嫌がらせが押し寄せている」とメディアを厳しく非難しました。「自分の子供たちに」という発言からは結婚して家庭を持ちたいヘンリー王子の気持ちが強くうかがえます。

ヘンリー王子は今年7月にも「母の死について全く語ってこなかったことを心底後悔しています」と心情を打ち明けていました。これまで散々メディアを騒がせてきた問題児は、母の死を肯定的に受け止められるほど、立派な大人に育ったのです。

筆者は優等生のウィリアム王子とキャサリン妃より、どこか生き方が下手なヘンリー王子の方が大好きです。少しやんちゃな赤毛王子のこれからが楽しみです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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