【インタビュー】谷村新司<前編>「毎回さよならコンサートのつもり」。通算4千本超、ライヴは一期一会
「ライヴアーティスト」としての矜持
「昔の自分と今の自分を比べてどうするの。比べることが一番意味がないこと」――シンガー・ソングライター谷村新司が、キャリア44年を経て最も大切な事として教えてくれた言葉だ。谷村は、'72年アリスでデビューし、「冬の稲妻」「帰らざる日々」「チャンピオン」など数多くのヒット曲を作り、1982年からソロ活動をスタートさせ、楽曲提供も積極的に行い「いい日旅立ち」「昴」「群青」「サライ」など、日本のスタンダードナンバーを多く残している。キャリア44年、昨年、その長年に渡る活動の功績が認められ、紫綬褒章を受章。そんな谷村が、今年も4月8日から3日間、恒例の東京・国立劇場・大劇場のステージに立つ。来年の45周年を前に、今年を「イヴ・イヤーと位置づけ、色々と“仕掛け”をし、来年につなげたい」と語っている。国立劇場でのライヴのこと、自身がホスト役を務める音楽ドキュメント番組のこと、そして音楽業界の未来について、今後の活動についてまでインタビュー。<前編><後編>に分け、掲載していく。<前編>では自らを「ライヴアーティスト」と呼ぶ谷村に、ライヴへのこだわりを聞いた。
国立劇場でPOPアーティストとして唯一ライヴを行うことを許される
日本の伝統芸能の聖地といわれている国立劇場で、POPアーティストとして唯一歌うことを認められているが谷村だ。5回目の今年は『THE SINGER』と題して「ジャンルにとらわれずに、この3日間は“歌うたい”に徹してやります。ソングライターでもあるのですが、この時は色々な歌を、シンガーとしてお観せする、お聴かせするということに徹します」と、自身の作品だけではなく様々な歌を披露する。「今回は自分が他の人に提供した曲で、自分が作っていたことを忘れていた曲もやります。どこかでその曲が流れてきて、でも他の人が歌っているのになんで次のメロディが分かるんだろう、あ、これ僕が作ったんだ(笑)、という曲もあるので、来年が45周年ですし、今年はそのイヴ・イヤーなので、そういうサプライズ、この歌ってなんだっけ?というのを入れて、お客さんに喜んでもらいたい」と、ソングライターとしても数多くの作品を提供している谷村ならではの、贅沢なセットリストが用意されているようだ。
さらに先日、世代を超えたコラボ―レションを実現させ、シングル「アルシラの星」(BS日テレ開局15周年特別企画-BS日テレ ドリームソング- )をリリースした人気女性ボーカルユニット・Kalafinaが、3日間ゲストとして登場する。日ごろから若いミュージシャンとのコラボレーションを、積極的に楽しんでいる谷村ならでは組合せだ。「ひとつの音楽をやる時は、ベテランとか若手とか関係ないです。だから今回Kalafinaと歌ったのも新鮮だったし、女子3人の声とコラボするなんて今まであまりなかったので、4声でハモれる快感がありました。4声でハモれるということはテンションコード(復音程=1オクターブより上の音程)が入れられるということなので、なかなかその快感は味わえないです。彼女たちもアジアの国々とか海外で活躍していて、僕がずっとそうだったから、言葉の通じない国で歌う怖さも知っているし、感激も知っているし、だからこういう若い世代の人たちを応援できればと思いました」。4人の声が「大阪フェスティバルホールにも負けない国内屈指の音響の素晴らしさ」の国立劇場で、どんな美しいハーモニーを響かせるか、聴きどころのひとつだ。
「ライヴが3日間続くなら、その日その日を楽しむ。比較することは意味がない。それは人生にも言える事。今を楽しむことが大切」
国立劇場では3日連続で歌う。精魂込めて歌う谷村だが、アリス時代年間250~300本のライヴをこなしていた猛者に、こんな質問も野暮とは思いつつも、3日間歌いっぱなしというのは不安ではないのか聞くと「別になんてことないですよ。5連チャンも7連チャンもずっとやっていますから(笑)。番組の収録が入るのは大体いつも最終日で、今回のWOWOWもそうです。一番声的にはざらっとしている日なので、それはそういう状態を楽しんでもらう。ライヴってそういうものなんですよ。準備万端で緊張感いっぱいの初日、慣れてきて修正が入って、完璧に近づいた2日目。そして声がちょっと荒れ気味になるワイルドな3日目。大体そうなるんですよ。それぞれを楽しむことが大事なんです。だからいつも言うんだけど、比べないということが大事。昨日と比べてどうだったかというのはいらない。昨日は昨日、今日は今日。だから生き方もそうで、あの頃の自分と今の自分を比べるということを僕はしないんです。比べてどうするの?30歳の自分と67歳の自分を比べてどうするの?という感じで、30歳の時はこれができていたのに、今はこれができないって、勝手にネガティブになっているというか。落ち込む人ってほとんどがそれなんですよね。例えばCDが売れないと嘆いてる音楽業界の人たちは、10年前にはこうだったのに、今はこうなちゃったって言ってるだけ。でも10年前はそうだったけど、今これだよって、これをどう楽しむかが大切。30年前には体力はあったけど知識はない。でも年を重ねれば知識が増えて面白くなってくという変化が、人にはみんなあるから。だから比べることが一番意味のないことだと思います」と、ライヴも、今自分がいる音楽業界の状況や全ての事を含めて、「比べること」が最もよくないことだと言い、特にライヴは、本人もお客さんも、その日の“調子”を楽しむのが、生=ライヴの醍醐味と語る。そしてライヴに臨む心構えとして「例えば演奏時間が2時間だったら、お客さんに「もう2時間経ってる」と感じてもらえるエンタテインメントをやらなければいけない」と教えてくれた。
「自分から出かけて行くのがポリシー。さらにフットワークを軽くして日本中の小さな街で歌いたい」
谷村は自らのことを「ライヴアーティスト」だという。アリス時代からその活動の軸足は変わらずライヴに置き、日本中の街へ出かけていく。バンドを従えたツアーの他にピアノ1本で全国を回り、地元と子供達と共演する『ココロの学校』というライヴも行っている。「バンドを帯同してのツアーでは行けない場所に行きたいという想いがあって、名前を聞いたことのない街へも、そこの会場にピアノさえあれば行けるので。日本には600~1200人クラスのホールはたくさんあって、だから「こんな山の中までまさか来てくれるとは」とよく言われます。キャリアがあればあるほど、ビッグネームになればなるほどアーティストは徐々にフットワークは重くなりがちなので、逆に僕はいつまでもフットワークを軽くして、全国を飛び回りたい。自分から出かけていくというのが僕のポリシーなので、だからずっと旅をしている感じです」。キャリアを何年積もうとも、どんなに有名になろうとも、とにかくたくさんの人々に音楽を届けたい、そのためにはこちらか出向くという気持ちは揺るがないし、決してブレない。そしてどんな環境でも、何が起ころうとも歌う覚悟と自信がある。「どんな環境だろうが、どこの国だろうが大丈夫。足がすくむような、吐き気を催すようなシーンを何度も体験してきたので(笑)。怖いものはない。とてつもないトラブルもいっぱい経験しました」と泰然自若、日本、海外で様々な規模と環境の中で、4000本を超えるライヴを行ってきたアーティストにしか言えない言葉だ。説得力が違う。
「明日がないと思いながら、毎日がさよならコンサートと思いながらやらなければ、いいパフォーマンスはできない」
さらに「毎日ベストを尽くす。毎日がさよならコンサートって、ずっと思いながらやっています。そうじゃないといいパフォーマンスはできない。明日、明後日があるから今日は80%くらいの力で、というアーティストがいたら、ろくなもんじゃないです。その瞬間が一期一会なので。明日がないと思いながらやって、気がつくと最終日になっていないと、ライヴをやっている意味がない」と、ライヴへの、音楽への姿勢を説く。谷村が長年第一線で活躍できている理由、その聴き継がれている理由は、音楽に向かう姿勢にある。過去の財産や栄光にこだわることなく、もちろんそれがアーティストとしてのベースとなっていることは間違いないが、決して奢らず、怠らず、若い才能ともためらうことなくコラボし、お互い切磋琢磨し刺激を分かち合う。そしてどんな小さな街の会場へも出向き、音楽の素晴らしさを伝えることをやめないい。“音楽の伝道師”は今日もどこかで人々に、音楽が生み出す感動を伝えている。そして、4月8日からは、大切なお客さんとの一期一会を求め、桜咲き誇る東京・国立劇場の舞台に立ち、その想いを伝える。
<Profile>
1948年、大阪府生まれ。'71年アリス結成。「冬の稲妻」や「チャンピオン」などヒット曲を量産。81年アリス活動停止(のちに再開)。ソロ曲「昴」('80年)は国内のみならず海外でも愛される、代表曲に。積極的にライヴ活動を行い、海外公演も度々行う。2002年、日中国交正常化30周年を記念した音楽イベント(北京)、'05年愛知万博のポップスフェスティバルではプロデュースも手がける。中国・上海音楽学院のほか、東京音楽大学で教鞭をとる一方で、2012年からは、国内各地に出かけて自ら「校長」として、トークと音楽で子どもや父母らとふれ合うライヴイベント「ココロの学校」を行っている。2015年には、その長年に渡る活動の功績が認められ、紫綬褒章を受章。来年デビュー45周年を迎える。